第1話 隣の彼女は関西弁
第一話は文字量が少し多いですが、最後まで読んでいただけると幸いです。
「あれ、長月さん?」
バイト先である喫茶店に向かおうと、水樹時人が家を出たときだった。
マンションの廊下を歩いてきたのはクラスメイトの長月朱音。買い物帰りの様相で、スーパーの袋片手に彼女はこちらに向かって歩みを進める。どうやら飲み物や調味料をまとめて買ったようでその袋は重たそうだ。
このマンションの角部屋に住んでいる自分の方向に歩いてきたので、どの部屋かは予想がつく。というか一部屋しかない。
「隣に住んでるの長月さんだったんだ。」
彼女は心底面倒くさそうに、こちらを一瞥し、部屋に入ろうとしたその時だった。
どうやら限界を迎えたらしいビニール袋がちぎれて中身が落ちた。見方を変えればここまで保っただけ幸運でもある。
流石にこれを無視するほど冷酷でもない。そのいくつかを拾い渡す。袋が破けただけでそれらは無事なようだ。
「中身は問題なさそう。じゃ俺行くから。」
そもそも仲良いわけでもなく、学校で話すこともなかったのに、学校外で話すことなんてない。
軽く自嘲してバイトに向かう。
隣にクラスメイトが住んでいようが何か変わるなんてこともないし。変えようとも思わない。
気持ちを切り替えて歩き出した。
「おはよ。時人。」
ロッカーで靴から校内用の上靴に履き替えていると後ろから声をかけられた。
学校でわざわざ俺に挨拶する人なんて数えるほど。
そんな数少ない友人である柳竜に手を上げて返事する。
「おはよう。竜。」
「相変わらず鬱陶しい前髪してるな。」
「楽だからいいんだよ。」
軽く話しながら教室へと向かう。入学して一ヶ月と少し。梅雨入りはまだ先のようでここ暫くは春の陽気に包まれている。
中間テストが近くにあるため、朝の教室では勉強してる生徒もいた。
隣の席である長月朱音もその一人で、英語の教科書とノートを開いて何か書き込んでいた。
窓際の席で真剣に勉強している様はとても絵になっていた。
席に着いた時人に気づいたようでこちらに顔を向ける。
何か話すのかと口を開きかけたが、違う方向からの声にタイミングを逃した。
「時人さ、数学の課題やった?」
プリント片手に近づいてきた彼に軽く返す。
「もちろんやってない。」
「やっぱりかー。じゃあいいや。」
そう言うと彼は違うクラスメイトのもとに去った。
人懐っこく陽気な性格の柳竜。その大きな目と、基本的には笑顔でいる彼には多数の友達がいた。自分とはまるで反対な彼が親しくしてくれてるので、とても助かっている。
結局彼女と挨拶するタイミングも逃したのでそのまま1限目の準備をする。
今日も長い一日が始まる。
昼休み。
カロリーでメイトな棒状のアレとパックの牛乳を胃に入れて昼食を済ませる。
食に興味がないのでご飯は適当になりがちだが、それでも生きていけるのでなんとかなるもんだなと思う。
「一緒に食べてる意味ねー。」
目の前で弁当を食べている竜がカラカラと笑う。
教室で席は離れているものの、時人の席で昼を食べることが多い。
竜は所作が丁寧で一口一口味わうように食べる。彼が人に好かれるのはこういう面もあるからだろう。
「ところで朝、長月さんが時人見てたぞ。なにかしたのか。」
食べ終わり弁当箱を片付けながら竜が告げた。
「その時言えよ。」
「ちがいない。いや珍しいなと思って。」
ぶっきらぼうな物言いになるも、気にせず笑いながら返した。
今朝あのまま彼女はしばらく時人の方向を見ていたみたいだ。彼女が顔を向けたのは何か理由があったよう。まあ予想は着く。
隣の席を見ても彼女はそこにいない。どこかに行っているようだ。だからこそ竜も言ったのだろうが。
「俺も未だにあまり話せてないんだよなあ。話せても一言二言。それも敬語で返されたら距離を置かれてるって感じるしなあ。」
あのコミュニケーションお化けでも難しいらしい。なら尚更自分には関係のない話だ。
そんな彼の言い方には含みがあった。
「俺に用なんてないだろ。竜がうるさかったとかじゃないか。なんだ?話したかったのか?」
「そのとおりだよ。諸君!」
半ば食い気味に竜が語り始めた。
「長月朱音さん!その長い手足はいわゆるモデル体型!スカートから覗く白い肌は雪原のよう!眼鏡と髪型で隠れがちな顔は一見地味にも見えるが俺の目は誤魔化されない!間違いなく美人!」
長月についてどうやら高い評価を持っているらしい。
恥じらいもなく語る竜だったが、昼休みの賑やかな教室でなければ席を立っていたところだ。
「まだ入学してそんなに経っていないから知られてないけど、夏くらいになれば周りも気づき始めると思うんだよ。」
それまでには仲良くなっておきたいよね。と彼が締めた。
「距離を置かれてるって気づいてるならほどほどにな。」
だよなあー。とお茶を飲んで昼食を終えた。
「……あの水樹さん。」
授業が終わり、帰ろうと席を立とうとしたときに声をかけられた。
「長月さん。どうかした?」
隣の席の彼女は、冷静な表情とはどこか違う顔をしていた。
「昨日お礼言う間もなく去ってしまって……」
「ああ、別にいいのに。」
「いえ、ありがとうございました。」
と、礼を受け取って帰ろうとしたが昼の会話を思い出す。
「もしかして言うタイミング探してた?気を使わせてごめんね。」
どうやら当たりらしい。眼鏡の奥の目が少し開かれた。
「いえ、こちらこそ帰りまで言われへんくて……」
「あれ、方言?」
そう言うと彼女は顔を真っ赤にして固まってしまった。
「長月さん地元ここじゃないんだね。」
先ほどの発言に重ねて問いかけた。そう言うとびくん、とふるえて俯いてしまった。髪の端から覗く耳が薄く赤く染まっている。方言にコンプレックスでも抱えているのだろうか。だとすれば詳しく聞くのは野暮と言えるかもしれない。
「中学生まで大阪だったので……。」
か細い声でそう言った。顔を上げないので表情は見えない。
「そうなんだ……。とりあえず昨日の礼は受け取ったから。おつかれ。」
深く聞いても仕方ない。そもそも興味もない。早々に会話をきりあげる。
それに今日もバイトだ。急いでいるわけではないが、余裕綽々といったわけでもない。
一度帰り準備がいる。静かな喫茶店とはいえ飲食物を扱う接客業。
普段は人と目を合わすのを避けるため伸ばしている前髪。それを左右に分けるなり、後ろに撫でつけるなりしてバイトに向かっている。夜には酒も出す店のため制服も着替えて行かないといけない。
彼女に別れを告げて教室を後にした。
「え……せわしないなあ……。」
顔を上げると既にその人は帰ったようだ。
放課後の教室の喧騒に呟きを聞く人は誰もいなかった。
「……大阪弁、知られたくなかったのになあ。」
開いた窓に向けてため息をついた。
夜。バイトは終わりの時間になる。
今日は21時にあがりだ。いま客はいない。閉店時間はまだ先だがマスターの雰囲気から察するにもう店を閉めるようだ。
「時人くん。今日はお疲れ様です。」
この店のマスターは父親の友人で、ロマンスグレーの髪に豊かな髭を蓄えた渋い翁。
外見もさることながら、穏やかな佇まいに、溢れるほどの優しさ。外見内見共にこう年を取りたいと思わせる紳士だ。
マスターはレトロな雰囲気の店にとても良く似合っている。
「お疲れ様です。とはいえ、今日はあまり忙しくなかったのでそこまで疲れてないですけどね。」
「おやおや、その言い方ですと店があまり繁盛してないようですね。それでは今度は友人でも連れてきてください。お店には貢献してもらわないと。」
マスターとジョークを交わす。お互いに本気でない。そもそも時間がゆっくりと流れているかと錯覚するような喫茶店だ。花の金曜日とはいえバタバタと忙しくなることなんて多くない。
「そういえば明日はライブですね。時人くん頼みますよ。」
「そういえばそうですね。何か指定ありましたっけ?」
「今回はなにもありません。時人くんにお任せしますよ。」
「あー、了解です。」
マスターの微笑みに手を上げて了承する。明日は賑やかになりそうだ。
家で放課後の会話を思い出す。
早くお礼をしないとと焦っていたし、タイミングを逃し続けて不意に敬語が外れてしまった。
敬語でないと関西弁が出てしまう。標準語はなかなか話すことができない。
敬語で話していると距離をとっていると思われているみたいだ。あまり人と話すのが得意でない自分には都合が良い。
「水樹さん。変な人やなあ。」
自分もなかなかだが、彼も変わっていた。あの賑やかな人以外と話しているのはあまり見ることがない。それに、タイミングを伺っていることに気づいていながら彼から話しかけることもなかった。あまり人と話す気はないらしい。周りに興味もないのか、私が隣に住んでいることも昨日気づいたようだ。
私は隣に彼が住んでいるのはたまたま見かけて知っていた。しかし仲良くなるつもりはなかったし、袋が破れることがなければ、話すこともなかっただろう。
彼ならお互いに深く関わることなくすごすことができそうだ。
5月とはいえ夜は冷え込む。戸締まりを確認してメガネを外して布団に包まる。
そういえば昨日に続いてとても静かだ。明日はテストに向けて勉強をしないと。そう思って眠りについた。
初投稿の物語なので、優しい目で見ていただけると幸いです。
次から一話あたりの文字量がこれより短めとなります。
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