第154話 対面
放課後が近づくにつれて朱音は緊張していった。午後の授業はほとんど集中を欠いていて、授業の内容は全く頭に入ってなさそうだ。
「……朱音ちゃん、なにかあったの?」
「あー、ちょっとな。また明日にでも話し聞いてやってほしい」
「何かに困ってるとかではないのかな?」
「困ってるといえば困ってる。だけど朱音の問題だから」
「水樹くんは知ってるの?」
「少しだけな」
近くの席でそれに気づいた桐島が振り向いて小さめの声で俺に問う。
桐島に話しても問題はないと思うが、それを決めるのは朱音だ。明日には普通になっているだろう。そう思って返事をすると納得はしていないらしい。微妙な顔をして前を向いた。
少しだけだ。俺が朱音の祖父母との問題について知っているのは。
俺たちの会話にも気づいてなさそうだ。そんな朱音に俺まで少し緊張してしまっていた。
心配していそうな桐島に見送られて俺たちは教室を後にした。どことなく朱音の足取りも重そうだ。
朱音の手をとって歩き出す。詳しい場所は聞いていないが電車に乗ることはわかっている。駅に向かって歩けば問題はない。
「朱音、大丈夫?」
俺の問いかけにも答えずに握っている手に力が入った。いつもより強いそれが返答らしい。緊張はしているが大丈夫。といったところだろうか。
電車に乗って揺られる。周りは俺たちと同じ制服を着ている生徒だけだ。
通学に電車を使っているとこういう感じなのか。
あちこちで大なり小なりのグループが話しながら駅に着くのを待っている。つり革につかまる俺の腕を朱音が持っていた。
「つきあわせてしまってごめんなさい」
「謝ることじゃないって。朱音が俺を頼ってくれて嬉しい」
周りに聞かれたくもないので声量は控えめだ。だが、俺にはしっかりと伝わる。
「はい。頼りにしています。時人くんがついて来てくれて嬉しいです」
会話に少し気が緩んだのか朱音は微笑んでいた。思わず頭を撫でそうになって堪える。
電車で一駅。揺られる時間も短く会話もそこそこに俺たちは電車を降りる。乗り換えに使うような駅でもないのか降りるのは俺たちだけだったようだ。電車が去ったホームに二人きりになった。学校終わりの生徒たちで賑やかだった車内とうってかわってとても静かに感じる。
「あっという間だったな」
電車に乗って少し話して気もそれたかと思えばもう降りてしまった。またも緊張した顔つきに朱音が戻ってしまう。
「……はい」
周りに誰もいない。なら、少しくらいは問題ないだろう。
「朱音」
名前を呼んでゆっくりと朱音を抱きしめた。密着した胸から少し高鳴る朱音の鼓動が聞こえる。
「……時人くん?」
「緊張伝わってきてる。俺にも分けてほしいなって」
「分けてって」
表現が面白かったのか朱音がくすくすと笑い出した。もう大丈夫だろう。ゆっくり離れて朱音の顔を拝む。
「ありがとうございます。さすが時人くんです」
「……だろ?」
反応に困る褒められ方をされたが、朱音は嬉しそうだ。
「行きましょうか。ここからは少し歩きます」
「りょーかい。着いていくよ」
学校から駅までの道のりと逆転して朱音が手を引いて歩き出す。
俺自身も色々覚悟を決める必要がありそうだ。
たどり着いた一軒家。住宅街に並ぶそこが目的地だった。表札には秋月とあった。奇しくも月の字は一緒らしい。
「ここです」
「さすがに緊張してきた」
「……ですよね」
少し笑った朱音が呼吸を整えて震える指でチャイムを鳴らした。ピンポーンと軽く高い音が響く。
『……はい』
「長月朱音です」
『……ちょっと待ってね』
「はい」
おそらく祖母だろうか。深みのある声が機械から聞こえた。
一旦、朱音から手を離してやや後ろに立つ。久しぶりに会うのに最初から妙な印象を持たれても困る。
カチャリ。と鍵が開いた音がして扉が開いた。
「ご無沙汰しています」
「久しぶりね」
さっきの声はやはり祖母だったようだ。
声色はそうでもないが優しそうな顔をしている。今の二人の表情を見れば家族とはわかるだろう。という表情だ。
「……あなたは?」
一瞬の間を空いて俺に気づいたらしい。同じ制服を着ていて無関係でもないことを察しているようだ。
「はじめまして。水樹時人といいます。朱音さんと親しくさせてもらっています」
「はじめまして……。朱音さん。これは?」
「突然すみません。私がお願いして着いてきてもらいました」
「……そう。とりあえずあがりなさい。……水樹くんもどうぞ」
「はい」
「おじゃまします」
促されるまま家に入る。どう思ったのか深く追求はされなかった。
いや、これからされるのだろうか。
後ろ手で玄関の扉を閉める。
ローファーを揃える朱音の手が震えていた。廊下を歩き出した朱音の背中をリュック越しに軽く二回叩く。頑張れという意思を込めて。
通されたのは居間だろうか。和室の座卓に座るように促されたので朱音の隣に着いた。
「元気にしているようですね」
「はい……。あの、お祖父さんは?」
「今は少し出ているわ」
朱音の祖母はやかんからお茶を注いで俺たちに出しながら対面に座った。
「それで、話と言うのは?」
さっそく話を切り出した祖母に朱音がリュックからプリントを取り出す。
連絡するきっかけ。三者面談の案内だ。
「あの、学校で面談があります。それで、その、相談に来ました」
「そう……。面談ね」
朱音からプリントを受け取って老眼鏡をかけて目を通している。
「はい。それで……もし迷惑でなければ来てもらえないかと思いまして」
「……迷惑。ね」
祖母は朱音の使った単語を繰り返した。
それを聞いた朱音が一瞬身構える。
「迷惑とは思っていないわ。……少し驚きました」
「え、あの。それは……」
「朱音さんから話があると聞かされて、現れたかと思えばまさか男の人を連れてくるのだから。だから、こんな普通の話だったなんてね」
やはり俺が着いてきたことで妙な印象になってしまっていたみたいだ。だが、話しぶりから悪い方向には向かっていなさそうだ。
「……あの、こちらの時人くんなんですけど」
朱音は祖母から目を逸らさない。祖母もプリント越しに朱音の目を見ていた。
「今、お付き合いをしています。その紹介も兼ねて今日は来ました」
緊張からか朱音も朱音で世間話を挟まない。
「紹介?……私に?」
「はい」
「突然すみません。改めまして水樹時人です。朱音さんのクラスメイトで、現在、付き合っています」
老眼鏡越しの視線が光った気がした。その眼光は鋭い。だが、逸らすわけにはいかない。そう思った。
「……そう。そうね、私は朱音さんの祖母に当たります。秋月文です」
丁寧な挨拶に驚く。
それはただ丁寧なのか他人行儀とも言えるが。
……普通はどうなのだろうか。
久しぶりに現れた孫が恋人を紹介してきたなら。
どう反応するのだろうか。
朱音の祖母の文さんの目から何を感じ取れればいいのだろうか。
「いいんじゃないかしら。少し髪が鬱陶しいけれど」
何かの許可は下りたらしい。
「ありがとうございます」
礼を言っておく。
鋭かった視線が柔らかくなった気がした。
「そして、面談ね。……悪いけど行かなくてもいいかしら?」
想定と違った返答に面食らった。
さっきまでの柔らかな雰囲気から予想外の答えだ。
手ごわそうな文さんに座卓の下で握る拳に力が入った。
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