第146話 朱音の眼鏡
「いつもと位置ちがくない?」
「ここがいいです」
昼前のリビングは俺と朱音の話し声しかしない。テレビもつけずに俺たちは過ごしていた。
もっともテレビがついていても内容は頭に入ってこなかっただろう。
いつもなら隣に座る朱音が俺の膝の間で落ち着いていた。
機嫌もよさげにスマホを操作している。どうやら写真を眺めているみたいだ。
「時人くんの控えめなピース可愛いですよね」
ちょうど画面に写っていたのは俺と朱音と桐島、萩原の四人の写真。解散間際の教室での一枚だ。
朱音を抱きしめるように覆って肩越しにスマホを見つめる。
「桐島、自撮りうまいなあ」
桐島が撮ったその写真は全員がいいバランスで画角に収まっている。何となくスマホのカメラを起動して腕を伸ばしてみた。
気づいた朱音が笑顔で顎に手を添えている。カシャと音がして写真が撮れた。問題なく俺たちが写っている。
「うまく撮れましたか?」
「多分」
朱音に写真を見せると送ってください。と即答された。そのままアプリを開いて朱音に送信する。朱音は手早くそれを保存していた。
「大須くんも写真送ってくれてますよ」
「見せて」
大須は俺たちとの写真はもちろん、他のクラスメイトとも写真を撮っていたみたいだ。面識のあった友里だけでなく、桐島、萩原、永田とそれぞれツーショットも撮っていたし、忙しそうに働いているそれぞれも撮っていたようだ。
「大須もカメラのセンスあるよなあ」
「上手ですよね。……ほら、この時人くんカッコいいです」
大須に送られた写真を見せられる。家庭科室での写真だ。俺が置かれているモノを吟味している。
「いつの間に……」
「さりげない一瞬を見逃してませんね。さすが大須くんです」
これが大須だから許されているものの一歩間違えれば盗撮でもある。まあ被写体が困っていないので問題はないが。
確かに写真の中の俺はいい角度から撮っているのか長い前髪をすり抜けて表情が見えている。その俺は悩ましげに選んでいて、本人である俺でなくても真剣なのが伝わってきそうだ。
「朱音の写真はないの?」
「……ありますよ」
というか何故大須は朱音に個人的に送っているのだろう。何となく仲間はずれにされた気がして片手でスマホを操作する。
目の前の朱音のスマホからも音が鳴った。俺が作った大須との三人のグループに招待された音だ。
「朱音が写真を独占するのはよくない」
「拗ねてます?」
俺だって朱音の写真はほしい。もちろん大須との写真も大事だ。くすくす笑っている朱音はすぐにグループに加わった。
「拗ねてない。……後で俺も写真共有するから」
まだ大須のいないグループのアルバムが朱音の送る写真で埋まっていく。それを自分のスマホで眺めていた。
「とりあえず今日までの大須くんが送ってくれた写真をあげておきました」
「さんきゅ」
まだくすくす笑っている朱音を抱きしめながら写真を流していく。やはり大須にはカメラマンの才能がありそうだ。そのどれもが被写体の魅力を写している。
見ていると大須が気づいたようでグループに加わった。
『いつ遊ぶ?』
『昨日会ったところだろ?』
『大須くん、おはようございます』
『日付決めるためのチャットかと思ったのにー』
『朱音ちゃんおはよう!』
『近いうちにな』
大須は俺たちよりも文字をうつスピードが速いらしい。続けざまにメッセージが送られてきて俺と朱音のスマホから音がなっている。
『昨日は楽しかったか?』
『楽しかったよ!時兄ぃも朱音ちゃんもありがとうね!』
追加で大須から一枚写真が送られてくる。俺たちと別れてからのマスターの店での一枚。
マスターと談笑している両親だった。
『あの後ねママが来るまで一緒にお話ししてたよ』
『時兄ぃたちはどこ行ってたの?』
文面だけ見るとまるで拗ねているかのようだが、おそらく大須にそんな意思はないだろう。純粋に気になっているだけだと思う。
『ラーメン食べた』
『美味しかったですよ』
『いいなー。今度つれてってねー?』
『今度な』
相変わらず大須とのメッセージは止まらない。適当に切り上げてスマホをソファの上に置く。
だが、朱音のスマホはいまだ何か受信しているみたいだ。
「あ、見てください時人くん。松山さん、打ち上げでも女装していたみたいですよ」
朱音に見せられたスマホの画面にはどこか吹っ切れたような表情でピースしている友里が写っていた。
「友里、断らなさそうだからなあ」
「そうですね」
クラスのグループチャットに送信されていたそれはクラスメイトの様々なコメントと突っ込みで流れていく。そんな朱音のスマホをぼんやりと見ていた。
「クラスのグループには入らないんですか?連絡事項とか結構共有してくれますよ?」
「朱音が見てくれているならいいかなあ。今更っていうのもあるし」
「まあ時人くんの連絡先が広まっていかないので私的にはありがたいですけど」
「それはどうも」
ここで俺の連絡先にそんな価値ないなんて言ってしまえば朱音のお説教を食らうのはわかりきっていたので曖昧に受け取っておく。
朱音はそのクラスのグループにクラスメイトの写真を数枚送信していた。俺や朱音、大須の写っていない大須が撮った写真。
すぐにコメントがついていた。いつの間に?とか写真うまいとかのメッセージ。なんとなく男子が反応しているのが多い気がして少しムッとする。
シートベルトのように朱音を抱いていた腕に力が入った。
「大須くんの写真やっぱりすごいですね」
「だな」
「時人くんの写真はみんなには見せませんけどね」
「……朱音が持ってくれてるだけならいいよ」
「……。」
「朱音?」
「……月子さんには既に送ってしまいました」
「あー。うん。まあいいよ」
そのまま朱音と話しながら時を過ごした。結局朝ごはんは食べてなかったのでお昼頃になると朱音が今日は何食べたいですか?と聞いてくれたのでとりあえずスーパーに買い物に行くことにした。
お昼時のスーパーは惣菜コーナーのお弁当あたりが特に賑わっていた。ここのお弁当は美味しいらしい。友里が前に言っていた。
「昨日、粉モノとかラーメンとかジャンキーなものばっかり食べたから、なにか落ち着いたもの食べたい」
「難しい要求ですね……。では、しょうが焼きにしましょう」
肉料理でガッツリしたものではあるが、優しい味付けのしょうが焼きはまさしく今望んでいたかもしれない。空腹感も相まってより強くそう感じる。
「あー。もうお腹すいた。早く食べたい」
カート押しながら片手でお腹を擦って空腹をアピールすると朱音がくすくすと笑う。
「もう少し我慢してくださいね」
今から必要な分と買いだめとして今夜から使っていく食材を買いこんで俺たちはスーパーを後にする。行きと同じく俺の左手は朱音の右手が独占していた。俺たちは一つづつの袋を片手で持つ。もちろん重たい方を俺が持った。
昨日のラーメンを食べに行ったときから朱音とは腕を組んで歩いていない。
それに少し寂しさも感じるが、今の方が朱音と繋がっている気はする。腕を抱く朱音はそれはそれで可愛いしありがたいが、朱音の不安感からの行動だったそれは申し訳ない気持ちもあったからだ。
握る手に力を入れる。見上げながら微笑む朱音を見て安心していられる。次は朱音が力を入れて握り返してきた。
「あ、炊飯器セットするの忘れてました」
「俺も忘れてた」
目を丸く開いてそれを思い出した朱音に笑いながら肯定しておく。忘れていたどころか頭に全くなかった。というか朱音に頼まれない限り俺が米を炊くこともなかった。
「少し遅くなりますけど我慢できますか?」
「大丈夫だって。ゆっくり作って」
「その分美味しく作りますね」
別に普段だって美味しい。だから朱音のそれは冗談の一つではある。握る手に力を入れて返事とした。家はもうすぐそこだ。
目の前に並んでいるお昼ご飯はいい匂いで、より空腹感を感じる。
「いただきます」
朱音のどうぞという言葉を聞いてしょうが焼きを一切れ口に運ぶ。甘さが控えめでしょうがの香りがたっている。豚肉も全く硬くなく柔らかくてジューシーだ。
「美味しいよ」
「ありがとうございます。よかったです」
感想を聞いた朱音が食べ始めた。いつもの食事の光景だった。
食べ終わって片付けも済ました。朱音が淹れてくれたお茶を楽しんでいる。
「……朱音にずっと聞きたかったんだけど」
「何でも聞いてください?」
「その伊達眼鏡って……なんでしてるの?」
何となく聞けなくていた。
朱音はアクセサリーなどに興味も薄かった。俺があげたネックレス、バレッタは気に入ってくれているみたいだがそれ以外は特に持っていない。
だからこそ視力強制のためでない眼鏡をかけているのはずっと疑問だった。
「ああ。これですか?……これ、お父さんの眼鏡なんです」
眼鏡を外してレンズを透かすように俺を見つめた。
「正確にはお母さんのみたいですけど」
朱音の母親は視力が弱かったらしい。若くして亡くなった妻のつけていた眼鏡を朱音の父親が大事に持っていた。ソレを幼い頃の朱音が譲り受けたのだった。
「この眼鏡をかけるとお父さんが喜んだんです。お母さんにそっくりだって。それからかけるようになりました」
「……そっか」
思ったより重かった事情に言葉が出てこなかった。明るく話す朱音に暗さは無かったがそれでも気軽にできる話題ではなさそうだ。
「……大須くんと初めて会った次の日、時人くんが私の眼鏡をかけたときのこと覚えてますか?」
「覚えてるよ」
「あの時、お父さんが眼鏡をかけたときみたいで少しドキドキしてました」
そう言って朱音はくすくすと笑った。
あの時の驚いた顔はそういった背景があったのか。
「それはどうも」
「……時人くん。私はこの眼鏡かけていていいのでしょうか?」
「どういう意味?」
「時人くんはどっちが好きかなって」
少し顔を赤くしながら照れる朱音はとても可愛い。
「眼鏡の朱音も素顔の朱音もどっちも好きだよ。朱音がその眼鏡を大事にしてることわかったから朱音が思うようにしてくれたら俺も嬉しい」
そう言うと朱音は一度微笑んで眼鏡をかけなおした。
「……これからは時々外そうかなって思ってたんです。いつまでも縋ってはいられませんし……。私には時人くんもいますから」
「じゃあそうしてくれたら俺も嬉しいかな」
「もし、もしですけど、あの、時人くんにかけてほしいって思ったらかけてくれますか?」
「朱音が望むなら」
躊躇いがちに願った朱音に即答する。俺が朱音のために叶えられる願いならなんだってするだろう。
「よかったです。……いつかおねがいしますね」
「いつでも」
どこか潜在的に朱音が望んでいる家族としてのつながり。それを俺に思ってくれているのだろう。
父親と母親とのつながりのあった眼鏡。それを俺に委ねたいのであれば引き継ぎたい気持ちに嘘はない。
にこりと笑って俺におねがいした朱音に近づいて眼鏡を外す。
「時人くん?」
こちらを見つめる朱音にゆっくりとキスをした。
「でも、朱音にキスするときに眼鏡外すの結構好きだよ」
「えふっふ」
「なにそれ」
顔を赤くして謎の鳴き声をあげながら喜んでいる朱音に笑ってしまった。
「昨日、あの人に同じ理由で外されて怖かったのに、時人くんだとこんなに嬉しいんだなって。幸せが溢れました」
「……もう怖くない?」
「はい。だからいつでも、何度でもしてくださいね」
トラウマにならなかったようだ。ニコニコと笑っている朱音にもう一度キスを落とす。そのまま持っていた眼鏡を自分にかけた。
「似合う?」
「かっこいいです!」
「ありがと」
朱音に眼鏡をかける。喜んで俺にかけられる朱音が可愛かった。
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