第145話 笑顔の寝顔
深夜のテレビは見たことの無いバラエティが流れている。
夕方にたっぷりと寝たはずだが、満腹感からか少し眠気が訪れてきている。興味の無い話題のテレビがよりそれを加速させていた。
ソファの隣に座る朱音は鼻歌を歌いながら俺の手に触れている。朱音は目が冴えているようだ。ふんふんと奏でる朱音の鼻声が子守唄に聞こえてくる。
「時人くん、もう寝ますか?」
うとうとしていたのに気づいたのか朱音がこちらを見上げた。優しげなその微笑に返事もそこそこに頷く。
「……いっしょに寝よう?」
「ふふふ。ご一緒します」
今日二回目の手を引かれてベッドまでの移動。朱音はさっとベッドメイキングを済ませてぽんぽんと布団を軽く叩いた。
「先に入っててください。リビング片付けてきますから」
朱音が俺の移動を優先させた結果、リビングはまだ明かりがついているし使っていたグラスも出しっぱなしだ。
にこりと微笑んで朱音がリビングに戻っていった。任せてしまっていいだろう。ごそごそとベッドに潜り込む。そのまま眠気に逆らうことなく意識を手放した。
ふわりと掛け布団が動いた気配がして目を開ける。
「あ、起こしてしまいましたか?」
「んー。まだ完全に寝てなかったから……。大丈夫」
寝る準備を済ませた朱音が戻ってきたようだ。小声で確認するように呟いた朱音に問題ないと笑顔で返す。それを見て朱音も微笑みながらゆっくりとベッドに入ってきた。
朱音はヘッドボードの小物入れに眼鏡を置こうと外そうとして空振りする。本人も忘れていたのか文化祭の途中から朱音は眼鏡をかけていない。
「朱音の眼鏡……。俺が預かってる」
「時人くんが?ありがとうございます」
桐島が保冷剤を持ってきてくれたタイミングで同時に渡されていた。
「これ、朱音ちゃんのなんだけど……いま返していいか分からなくて。トラウマになってても嫌だから……。水樹くんが機を見てわたしてもらえないかなー?」
稲垣に外された朱音の眼鏡。それがフラッシュバックされても困るから、と託されていた。
寝ぼけていてついタイミングなんて計らず口にしてしまったが、問題はなかったようだ。
「リュックに入れてあるから……」
「よかったです。かけていないことに気づきませんでした」
視力の矯正が入っていない伊達眼鏡とはいえ、普段つけている眼鏡をしていないことに気づかないほど朱音はまいっていたのだろう。だが、くすくす笑いながら言った今の声色的にももう大丈夫そうだ。
ベッドの中をすりすりと移動してにじり寄ってくる朱音に腕を伸ばして受け入れる。片腕が朱音の枕になるのは毎度のことだ。それを朱音が望んでいるし、俺も朱音を抱き枕にして眠っていることが多いからお互いにちょうどいい。
いつもなら寝ぼけて抱きしめる朱音を意識的に抱き寄せる。少し会話を重ねたが眠気は未だある。抱きしめた温もりに甘えるように再度意識が沈んでいく。どこか遠くでおやすみなさいと聞こえた気がした。それに返事できたかも覚えていなかった。
カーテンの奥から日が差しているのが見えた。まだ明るくなりきっていないようで時間帯は朝だとわかる。
眠ったときと同じ姿勢のままで目が覚めた。腕の中では朱音がすうすうと自然な寝息を立てている。今朝は眉をしかめていなかった。穏やかな寝顔だ。しばらく起きることはなさそうだ。ラーメンが残っている気がして胃の中はまだ少し重たくお腹は空いていないが喉は渇いている。誤魔化せる眠気は全く無い。忘れて二度寝はできなさそうだ。
朱音を起こさないようにゆっくりと腕を抜いてかわりに枕を入れる。そのままベッドを抜け出して音を立てないように寝室を出た。
顔を洗って牛乳を飲む。残り少なくなっていたので朱音も見ていない隙に牛乳パックを直接口につけて飲み干した。
空になったパックの中を洗って立てかけておく。乾いた頃に朱音が切って開いてくれるだろう。
時間は平日いつも起きる頃。夕方あれほど寝たのにリズムは崩れなかったみたいだ。
折角朱音が泊まっているのでリビングで一人過ごす気はない。もう一度寝室に戻った。まだ朱音は起きる気配がなくすやすやと熟睡している。
寝室の片隅に置かれている白色のシーグラスのストラップがついたリュックサック。その中に傷つかないように仕舞われていた朱音の眼鏡を取り出した。もちろんかけても視界は歪まない。
ベッド脇にカホンを動かして腰掛けた。もう一度ベッドに入るのは起こしてしまいそうだったからこのまま眠る朱音を眺める。
幸せそうな寝顔で起きる気配の無い朱音を見るのは退屈しない。こうして同じ空間にいてるだけでも癒されて過ごせる。
朱音が目覚める気配がするまでぼんやりとそう過ごした。
むにゃむにゃと何か呟きだしている。そろそろ朱音も起きるみたいだ。
俺が起きて動いた気配を感じていたのか、いつもの生活リズムのおかげか、そう時間は経っていない。
朱音の長い睫にかかる前髪を整えてその顔を眺めた。ゆっくりと瞼が開かれてあっているのかわからない焦点でこちらを見ている。
「おはよう。朱音」
「……おあようござます」
ぼんやりとした口調で挨拶をする朱音はまだ眠たさがありそうだ。朱音の頭を撫でながら覚醒するのを待った。
手が触れる度に嬉しそうに目を細める朱音が可愛らしい。
「いつから起きてたんですか?」
「ついさっき。喉が乾いて」
段々と起きてきた朱音が不思議そうにこちらを見ながら質問した。起きて隣にいないのが珍しかっただろうか。
朱音がヘッドボードの小物入れに手を伸ばす。そこに置いておいた眼鏡をかけながら朱音が起き上がる。目覚めてからの一連の動作なのかそれは淀みなかった。
「……眼鏡かけてあるほうが見慣れてるからその方が朱音っぽい」
「あ、そういえば……。眼鏡預かってくれていたんですよね。ありがとうございます」
「ああ。うん。桐島が持ってくれてたのを預かってた」
「結さんにもお礼言わないとですね」
にこりと微笑んで朱音がベッドから立ち上がる。
「時人くん、お腹空いてますか?」
「んー。微妙」
「私もです。あの時間のラーメンはなかなかでしたね」
お互いに苦笑いしながら寝室から移動する。顔を洗いに行った朱音を見送ってリビングのソファに腰をすえた。
点けたテレビから流れる情報番組はちょうど天気予報が始まるところだった。今日もいい天気らしい。
「あ!時人くん!」
リビングに戻ってきた朱音が何か飲もうとしたのかキッチンに入った。そのときにこちらを睨みながら声を張る。
「な、なにか……?」
「またコップ使わずに飲んでましたね?」
「……いや」
「使ったコップ出てませんけど?」
「はい。飲みました」
明らかに怒っているといった表情を前面にだしながらこちらを見ていた。
「物臭です」
「ごめん」
「これだから時人くんは。私が見てないとダメですね」
「あー確かに。朱音がいないと俺はダメかも」
朱音の言葉に肯定すると一瞬で表情が緩まる。これは嬉しかったみたいだ。
ソファから立ち上がってキッチンに近づく。そのまま朱音の前まで移動して抱きしめた。
「こんなにダメにしたのは朱音だから」
「……それでも、コレは行儀悪いですから直してくださいね」
「善処します」
くすくす笑う朱音にひかれるように俺も笑う。朱音にコーヒー飲みたいと甘えると任せてくださいと返ってきた。休日は始まったばかりだ。
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