第144話 深夜、二人で
喉の渇きすら癒さず俺たちは眠っていた。
目覚めた時間はわからないが窓の外の雰囲気からもう夜も遅い時間みたいだ。
未だ腕の中で眠る朱音は眉をしかめている。何か悪い夢でも見ているのだろうか。
さらさらと朱音の髪を撫でる。そのまま撫で続けると眉間の皺も取れてきたようだ。何かむにゃむにゃ呟いていて目覚めが近いことを示している。
はっきりと意識も覚醒してしまったので水分を取りたいし、なんならもう一度シャワーも浴びたい。
「あ……。時人くん」
「おはよ。朱音」
ゆっくり開いた瞼でこちらをぼんやりと見つめた朱音はすりすりと額を俺の胸に当てる。そんな朱音の頭をもう一度撫でた。
俺の胸に抱きつくようにしている朱音の背中には俺がつけた痕が残っている。朱音をたくさん愛してたくさん触れて。その度に反応する朱音が可愛かった。
まだ眠いのかむにゃむにゃと言葉になっていないことを呟いてから朱音はふふふと笑っている。
「時人くんだー……」
笑いながら名前を呼ばれて思わずこちらも笑ってしまう。
「そうだよ」
「よかったー」
甘えてくる朱音は何か夢でも見ていたのか。それともこうして触れ合った後でもそうしていないと不安でもあるのだろうか。
俺は朱音のことが好きだ。朱音も俺のことを好いてくれている。
あの夜の海で俺と朱音とお互いの気持ちを確認してから俺たちは恋人になった。
朱音が不安に感じることがあるのなら俺も請け負いたい。
両親を失ってしまった朱音の家族として俺も朱音を支えたい。
「俺はずっと朱音の隣でいるから。安心して」
「うん。嬉しい」
半覚醒の状態の朱音を甘やかす。今日あった嫌なことも楽しかったことも今の気持ちで塗り替えてしまえばいい。
融けるような甘い時間を過ごした。おそらく朱音の意識もほとんど覚醒しているはず。それでも甘え続ける朱音をたっぷりと甘やかした。
キッチンで俺のシャツだけを着た朱音がグラスを傾ける。すらりと伸びている白い生足が部屋の明かりに照らされて眩しい。
隣に立って自分の分の水も一気に飲み干した。体が水分を欲していてとても美味しく感じる。
「あー。甘露甘露」
「五臓六腑に染みますね」
「なんか発言に年齢を感じるなあ。それ」
「時人くんもですよ?」
お互いの軽口に笑いあった。朱音が頭を傾けて俺の肩に軽く預ける。ふわりと朱音の髪も揺れて朱音の香りも漂う。
「ずっと時人くんとこうしていたいな……」
「こうしていられるよ。離れないから」
「えへへ」
カランと朱音の持っていたグラスの氷が回る。ニコニコと笑って俺に体を預けている朱音。する前に見せた不安はもう解消できたのだろうか。
「時人くん、ちょっと何か食べたくないですか?」
「あー。うん。ほしいかも」
「……何か食べに行きたいです」
文化祭とはいえ朝から学校に行って一日遊んで、帰ってきてからも体力を使っている。料理自体を楽しんでいるとはいえ疲れている朱音がそう言うなら俺も否はない。
「んー。この時間に開いてるとなるとファミレスかラーメンかなあ」
二人で歩いていると補導されそうな時間だが、まあいいだろう。
「ラーメンいいですね。行きたいです」
「じゃ、準備しよっか」
脱ぎ散らかした服を取りに寝室に戻る。朱音は俺のシャツを返すつもりはないらしい。
準備を終えて最低限の物だけ持って家を出た。月が白く輝いていて雲はない。この時間になると秋を強く感じて涼しい。
「近くにありますか?」
「なさそう。少し歩くけど大丈夫?」
「手を繋いでくれるなら」
「それくらいなら喜んで」
朱音に手を差し出して歩き出した。それなりに体を酷使したはずだが朱音に問題はないみたいだ。
深夜ともいえるこの時間。人気は少ない道を朱音と二人で歩いた。世界に二人しかいないと思えるほど静かだった。
近くの大通りにあるチェーン店。中には客は少なかった。
一番シンプルなメニューを注文して出てくるのを待つ。
「この時間のお店はなんだかドキドキしますね」
「あー、なんかわかる。大人になった気がするというかそんな感じ」
周りを見ても家族連れも子どもの客もいない。若い男性が少しいるだけで俺たちが最年少だろう。
目の前で俺の服を着ている朱音は楽しそうにニコニコとこちらを見ていた。
「ラーメン食べに来るなんてとても久々です」
「そもそも外食少ないしね」
朱音と話しているとラーメンが出てきた。提供がはやい。
シンプルな具材の醤油ラーメン。よく考えればラーメンを食べること自体久々だ。
「「いただきます」」
スープを啜ってから麺を口にする。シンプルな味だがそれが今の体にとても美味しい。
「あ、写真とってないです」
「今撮る?食べかけだけど」
「……撮ります」
朱音は外食するといつも写真を撮っていた。本人曰く忘れたくないかららしい。腕を伸ばして二人写りこむように朱音がスマホの位置を調整する。
ニコリと笑って二人の笑顔の写真が撮れた。
「ふふふ。ありがとうございます」
「こちらこそ」
それから会話もそこそこにラーメンを進めた。思っていたよりもお腹が空いていたのか二人とも食べ終わるのは早かった。
「ごちそうさまです」
「美味しかったな」
「はい」
時刻も遅い。店でゆっくりするよりは家に帰った方がいいだろう。朱音にそう伝えると賛成してもらえたので伝票を持って席を立つ。
「ごめんなさい。財布持ってなくて」
「謝らなくていいよ。俺が払いたいし、そもそも普段から俺の部屋来るとき持ってないじゃん。当然だって」
「ありがとうございます」
レジに立つ店員に伝票を渡して会計をする。その間その男性店員が朱音と俺を視線で挙動不審気味にいったりきたりしていた。
「なんだったんでしょうか?」
「あー。多分俺のせい」
店を出た朱音が少し不機嫌そうに声を出す。おそらくだが彼が見ていたのは朱音の顔じゃないと思う。帰り道を歩きながら会話を続けた。
「時人くんはかっこいいですよ?」
「え、あ。うん。ありがとう。今回はその、卑下したとかじゃなくてさ」
俺の発言に勘違いした朱音にとりあえず否定した。
「?」
「あの人が見てたのは……多分、朱音の首元だと思う。その……キスマーク。目立ってるから」
家の時点で気づいていて言わなかった俺も悪かったが、まあいいだろうと思っていた。朱音が顔を赤くしてスマホを取り出す。カメラを起動して首元を眺めると朱音にもはっきり見えたようだ。
「あう……。気づかなかったです」
「ごめん。嫌だった?」
「……ひきませんか?」
「あー、うんわかった」
嬉しい気持ちが勝っているのだろう。そんな朱音にひくわけもない。隣の朱音にキスをして、もう一度キスマークの位置にもキスをする。
「ありがとう朱音」
「こちらこそありがとうございます。時人くん。大好きです」
「俺も好きだよ」
のんびりと帰り道を歩く。
こんな時間に二人で歩くのは初めてだ。たまたま目覚めた時間にお腹が空いていて一緒に家を出る。こんなことができるのも朱音とほぼほぼ一緒に暮らしているから。
「……これからもよろしく朱音」
「よろしくです」
ずっと一緒にいよう。家族として。そう思って紡いだ言葉はすぐさま朱音に肯定された。そこまで伝わってはいないだろうが嬉しい気持ちは違いない。
月は依然白く輝いている。もちろん雲はなかった。
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