第13話 取引
「人がうまくいってないのを見て笑うなんて失礼だと思います。」
話があるようだったので彼女を部屋に上げた。紅茶を飲んで一息ついた後彼女はそう言った。
「ごめんって。」
「……ずっと聞いていたんですか?」
「いやたまたま、洗濯物干したままなの忘れてて取り入れてたら聞こえた。」
ならいいですけど。と言って彼女は紅茶に口をつけた。
「俺も最初の頃はうまく弾けなくて悔しい思いしたなって懐かしい気持ちになっただけだよ。」
「……あのバラード弾くの難しいです。弾けなくて嫌になって止めて、次の日またちょっとやって止めて……少しでも弾けるようになれば楽しいかもしれないですが、進歩が見えなくて嫌になります。」
「ああ確かに成果として出るもの無いしな。……でも弾けるようになったら楽しいし、俺も楽器貸した手前ここで折れてほしくはないかな。」
「……水樹くんにはまだバレてないと思ってるんですけど、私けっこう不器用なんです。」
家に来たときはまだ明るい表情だった彼女が今はかなり深刻そうな顔になっている。話すにつれてどんどん落ち込んでいるようだ。
「あー長月は、うん。器用ではない。……そういう意味では弾けるようになるのに時間がかかるとは思う。」
テスト期間中に隣の家から聞こえてくる音楽に気をとられて集中できなくなったり、隠しているつもりの関西弁がでてしまったり、距離感を間違えて急に晩御飯を誘ってきたり。
「でも長月のカレー美味しかったよ。……普段料理しない俺が言うのもなんだけど、長月料理得意なんだろ。にんじんとかの具材は食べやすくて同じ大きさに切られていたし、ちゃんとカレーだった。」
「カレーなんて簡単な部類ですし、にんじん切るのなんて誰だってできますよ。」
どうやら自分の不器用さに本当に落ち込んでいるようだ。声のトーンが低くなっている。
「かもな。でも、俺は包丁握ることあまりないから同じ大きさに揃えて切るのはできないと思う。長月も初めて包丁握ったときそうだったんじゃないかな。」
「……。」
黙ってしまった。
正直、今から言う台詞は俺にしては踏み込んだことだと思う。でも、止められなかった。
「俺が教えるよ。一緒に練習しよう。その方がうまくいくんじゃないか?」
「え、そんな、悪いです。ピアノ貸していただいてるだけでも助かっているのにこれ以上甘えられません。」
「別にタダで教えようとは思ってない。」
「……?」
彼女は不思議そうな目でこちらを見ている。
「前に言ってただろ。ちゃんとご飯食べないと体に良くないって。……だから俺が教える日は、長月に料理作ってもらいたい。……っていう取引?契約?」
正直、この取引は対等ではないと思う。でもここで俺が諦めたら彼女はきっと折れてしまうと思った。
自分の素を隠して人と距離をとっていた彼女。そんな長月が自分から関わってきた。なぜ彼女が素を隠しているのか。なぜ高校生にして一人暮らしをしているのか。俺は長月についてあまり知らない。だけど、きっとあの曲は彼女の内面に深く関わっているのはわかる。
「……水樹くんに悪いです。別に料理がとてもうまいわけでもないですし。」
「俺だって楽器がプロ級とかじゃないし。それに人に教えるなんてしたことないからうまくできるかわからないし。……美味しいご飯食べられるなら助かるから悪いなんて思わなくていい。」
「でも……。」
口を閉ざしてしまった。反論が思いつかないようでまごまごとしていたが、意を決したようでこちらを見据える。
「わかりました。とりあえず一ヶ月……教えてもらってもよろしいでしょうか?」
「おっけー。じゃあそれでいこう。」
今日は時間も遅くなったので、明日また集まることを約束して連絡先だけ交換して解散した。ちょうどバイトもない日だし。
「今日は、いきなり押しかけて、色々言ってしまって迷惑でしたよね。……水樹くん、明日から改めてよろしくお願いします。」
玄関まで送ると彼女がこっちを振り向いて頭を下げた。
「いや、楽しかった。こちらこそよろしく頼む。」
では紅茶ご馳走様でした。と言って彼女は帰っていった。こうして俺たちに契約が結ばれた。
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