第130話 嫉妬の香り
切るところがわからなくて投稿が遅くなりました。
「遅くなったし、何か買って帰る?」
「ダメです。豚肉を解凍してますから使わないと。……キャベツもあるので味噌炒めですね」
「……ホイコーロー的な?」
「回鍋肉です」
「すでに美味しそう」
「まだ家にも着いてないんですけど……。ありがとうございます」
帰り道、いつものように並んで歩いていた。
普段と比べて遅くなる帰宅時間に朱音に提案してみるも断られる。今日のおかずは既に決まっていたらしい。
未来に訪れる味を想定して唾を飲み込んだ。朱音が作ったそれを食べたことはないが美味しいに決まっている。
クスクスと笑って礼を言った朱音は楽しそうだ。
「そういえばさっき永田に何言われたの?」
「え、な、なんでもないですよ……?」
「目が泳ぎまくってるけど」
「……言いたくないです」
真っ赤に染まった顔を見るに何か照れるようなことを言われたみたいだ。言いたくないと言われればそれまでなので深く追求はしないでおこう。
「じゃあまた教えて」
「……そのうち、きっと。近いうちに。気が向けば……です」
明後日の方を見ている朱音と目が合わなかった。これは近いうちでは無さそうだ。
思わずくっくと笑いが零れる。さらに朱音の顔が赤く染まった気がした。沈む夕日のせいではなさそうだった。
「ごめん、先にシャワー浴びてくる」
「いえいえ、問題ないです。時人くん烏ですから、ご飯は間に合わないと思いますし」
シャワーを浴びるだけだしそう時間をとらないだろう。朱音の言うとおり出てもまだ晩ご飯は出来上がっていなさそうだ。というかお米が炊けてないだろう。
エプロンを着け始めた朱音を尻目にリビングを後にした。着替えを準備して浴室に向かった。
いつもより温度を下げて温めのシャワーで汗と汚れを流していく。
水道で洗ってタオルで拭いただけでは絵具が取れた気がしなかったので丁寧に髪一本一本手櫛で通していく。絵具か濡れたままの放置か髪がいたんで少しきしむ。暑い時期だったので風呂上りのヘアケアも適当だったのも相まってダメージは溜まっていそうだ。朱音を見習わないといけない。いつ触ってもするりと抜ける羽のようなあの髪はいつまでも触っていたくなる。
いつもより少し遅く浴室を出る。バスタオルでふき取ってからヘアオイルをとりだした。最近は暑くて風呂上りにする気にならずしていなかったがさすがに今のダメージ感は気になった。手に取り出しただけでいい香りがフワッと漂う。テスターの香りに惹かれて衝動買いしたものだが気に入っていた。毛先から馴染ませてドライヤーで乾かす。
香水もそうだがこういうものは自己満足だと思っていた。
好きな香りを身につけることで自分をいい環境に置くことで自ずとテンションが上がる。だから身につけるのだ。
もちろん身だしなみとしての意味もあるが、俺自身はそう思っていた。
「時人くん、いい匂いします」
風呂上りに気づいた朱音が冷えた麦茶をテーブルにだしてくれた際、鼻をクンクンと鳴らして髪に顔を寄せた。
「あーうん。久々につけてる。髪いたんでたから」
「時人くん、香りのセンスいいですよね。普段使いの香水の香りも好きです」
「それはよかった。朱音と好きな香りがいっしょってことだろ?」
「……そうですね」
納得がいったようにゆっくりと微笑んだ朱音がこちらを見ていた。
「朱音」
そんな顔に誘われるように朱音の頬に手を伸ばす。手のひらでその頬の柔らかさを感じる。朱音も目を閉じてそれに委ねていた。
「時人くんの手。いつもより温かいです」
「風呂上りだし……。朱音の頬も温かいよ」
「時人くんが触れてますから」
ゆったりとした時間が流れているような錯覚をする。朱音の言葉すらもゆっくりと感じて耳から抜けるその声が風呂上りに心地良い。
「ご飯が炊けたら完成です。もう少しお待ちくださいね」
「もうできてたんだ。いつもありがとう」
朱音が返事代わりに頬をすりすりと俺の手に擦る。零すように朱音が笑った。
「えへへ。時人くん」
「何?」
「……キスしたいです」
まっすぐな朱音の気持ちに俺も笑顔にさせられる。触れていた頬を気持ち上に向くように朱音を支える。そのまま朱音にキスをした。
「ふふふ。ありがとうございます。時人くん、今日かっこよかったです」
「今日?ありがとう」
どれのことだろうか。ピンときてはいないが朱音が嬉しそうに笑っているので受け取っておく。
「水、あのままだと私が被ってましたから」
「あー。後から朱音をひっぱったら俺も濡れなくて済んだなって気づいた。かっこわるいよ」
「それはそうですけど。でも、私が濡れなかったのは時人くんのおかげなのは間違いないです」
ゆっくりと朱音に抱きしめられる。
「時人くん。いつだって完璧になんていられないですよ。それに私もそんなこと望んでないです。今日は時人くんに助けられたんです。それが全てで私にはそれがカッコよかったんです」
子をあやすようなトーンで朱音がしみじみと語る。抱きしめられた体勢のまま胸の前で響く朱音の言葉が体の芯まで入っていくみたいに感じた。
その意味と言葉が俺の心を濡らしていく。
「そっか。ありがとう。朱音。俺も朱音に助けられてるよ」
「じゃあお互い様ですね」
ふふふ。と笑った朱音が温かかい。シャワーを浴びたせいで火照る体でもそれを強く感じた。
「美味しいよ」
「よかったです」
朱音が作った回鍋肉は味噌の香りと味が強くご飯が進むおかずだった。それでいて全くくどさを感じない。
「これ、止まらないな」
いつもより遅めの時間なのもあって空腹感と疲労感でより箸がすすむ。パクパクと食べているのを見て朱音も嬉しそうだ。
「時人くんの好きそうな味付けですよね」
「……間違いないけど、反応に困る」
にやりと笑った朱音はまるで計画通りとでも言いたげだ。
俺の好みが子どもっぽいと言われた過去も相まって言葉を失った。
「私にはわかりやすくて助かります。それに……」
「それに?」
「時人くんの胃袋は私ががっちりと掴んでますから。これからも好きなもの食べてもらって逃がさないです」
ふふん。と笑った朱音に思わず頬を赤くさせられる。逃がさないなんて言われても逃げる気もない。朱音の言うとおり俺の胃袋は既に掴まれている。
「これは逃げられないなあ」
箸を進めながら朱音に微笑む。それを見てまた朱音は笑うのだった。
「帰る間際に教室で田中と話してたとき、朱音は何を言いたかったの?」
いつものようにご飯の後のお茶の時間。気になっていたことを問いただす。何となくこの時間に聞くのがよかった気がしてここまで我慢していた。
聞きたかったのは、着替えて教室に戻った後、田中と話していたら朱音が背後から俺の名前を呼んだときのこと。その場では言い淀んだが、後で教えてと言うと朱音はゆっくりと頷いたのだった。
「……言いたかったとかじゃないです」
隣に座る朱音の表情は苦々しい。
「言いにくいなら言わなくてもいいけど?」
「そういうのじゃないです。……ですけど」
「けど?」
むむむと朱音が唸っている。そんなに言いたくないことなのだろうか。
「……ちょっと、嫌だっただけです」
口ごもった朱音にどうしようかと思った頃に朱音が思いを吐露した。
「嫌だった?」
「だって……朝はあんな感じだったのに、急に時人くんに距離詰めてきたんやもん」
「……田中の話?」
頷いた朱音を見てあっていたことを確認する。確かに田中はまるで朝の諍いがなかったのような接し方だった。
彼女に重いと言われて少し悩んでいた自分にとって少し戸惑いもあったものだ。
「時人くん優しいから、制服汚れたのに田中さん責めへんし……。バンドのことで意気投合するし」
「制服は汚れたけど別に怪我したわけじゃないし。バンドも別に言っちゃ悪いけど田中が一人で盛り上がっただけだよ」
「……私はそのバンド知らへんもん」
やっぱり俺は重いのだろうか。朱音に嫉妬されて嬉しいと感じてしまう。
すんと拗ねている朱音の顔が沈んでいた。朱音の嫉妬は心地良いが朱音には悪い。その心の暗闇は晴らしてあげたい。
「朱音、聞いて。あのタオル実家から持ってきたって言っただろ?アレ本当は父さんのなんだ。あのバンド俺より父さんが好きだし」
朱音の髪を撫でながら言葉を続ける。隣の朱音は沈んだままだ。
「俺の好きなバンドのこと知りたいって思ってくれてる朱音の気持ちはすごい嬉しいよ。でも朱音はもう知ってるから。俺の一番好きなバンド」
隣の朱音はわからないようでこちらに顔を向けた。
「あのバラード。俺と朱音が関わるきっかけを作ってくれたあの曲。あのバンドこそ俺の一番。……曲ももちろんそういう経緯も込みで一番だよ」
「でも、私はあまり音楽詳しくないから。田中さんだとこういう曲のこういうところ好きとか語ることができるかもだけど、私にはできひんし……」
「そんな話するのは俺は田中じゃなくて朱音がいい」
「それだと時人くんを楽しませられへん」
段々とネガティブになっていく朱音に言葉を慎重に選んでいく。なんとなく間違えた選択肢もあったかもしれない。それでも気持ちは間違えていないはずだ。
「そんなことない。そもそも朱音にはもうできてるから。俺と一緒に色んな曲練習して知っていってるところだろ?」
毎日とまではいかないけれど頻繁に行われている朱音とのレッスン。弾ける曲のレパートリーも増えてきてそれはレッスンというよりセッション、合わせに近い。
難易度とかを考えて俺が練習する曲を決めたり、朱音がこの曲を弾きたいと持ってきたりと様々だ。
「この曲のこのフレーズカッコいいです。とか、ここの歌声が好きです。とか、朱音は言ってくれる。それに対して俺だって感想あるから色々言うじゃん?ここがいいよねとか、このギターがいいとか。朱音が言ってる音楽について語るってこういうことじゃない?」
「時人くん……」
驚いたようにこちらを見ている朱音。俺の言った言葉は響いてくれたようだ。
もともと朱音が悩むことなんてない。朱音とのそんな応酬で俺はとても満たされているのだから。
「田中のことにも戻るけど、ほら田中ってシンプルというか単純なんだよ。だから気にしなくていいと思う。……アイツはきっとそこまで深いことなんて考えてないよ」
少し悪し様に田中を形容する。その内容にか、俺が田中に対してそこまで理解していたことにか朱音は驚いていた。
「でも田中さんは……時人くんに見とれてました」
俺が髪をかき分けて顔を出すのは珍しい。だから驚いていたのだと思ったが朱音にはそう見えなかったようだ。
「時人くんあの時はシャツも着てませんでしたから、その……えっと少しアレでしたし」
「アレ?」
「……ずるいです。田中さんもきっと……」
何となく朱音の言いたいことを把握した。だからここまで朱音が嫉妬していたのか。
「そんなことが一番問題ないよ。たとえ誰に何を言われようと俺が朱音以外に靡くことなんてない」
朱音に思いっきり笑った顔を向ける。
「だって俺は朱音から逃げられないからな」
もちろん逃げるつもりもないし。そう言うとようやく朱音が笑った。
嫉妬は嬉しい。とは思ったがやっぱり朱音が笑ってくれる方がずっと嬉しい。あらためてそう思える。
「時人くん、私は絶対逃がさないです。……重たいですよ?」
朝の田中の言葉を朱音も覚えていたらしい。わざわざ付け足したその台詞がそれを意味している。
「お互い重たくてちょうどいいかもな」
朱音がクスクスと笑う。
「ありがとうございます。時人くん。大好きです」
「こちらこそ。俺も朱音が大好きだよ」
人間関係において俺はまだまだ未熟だ。喧嘩こそないものの不安にすることもさせることだって多い。その度に悩んで言葉を選んで俺たちはこうして気持ちを確認していく。
もともとお互い以外に移る目なんてない。だから問題はないとわかっていても怖いものは怖い。
依存とか重いとか色々とあるけれどそれでいい。
俺たちの関係はこれでいいんだ。
好きだといってニコニコ笑っている朱音を見て俺はそう思った。
朱音を好きだといえることこそ誇らしかった。
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