第128話 居残り作業
「盛り上がってるとこ悪いがーとりあえず教室入れてくれんかー?」
いつものように後ろから肩に腕を回してきた竜がカラカラと笑っている。
「竜くんからも言ってよ。水樹がさー」
「聞こえてたってー。まあ俺から言ってもいいがー……」
竜はそのまま朱音の方を向く。相変わらず朱音はタイミングを計っていた。
「一番大事なのは長月さんがどう思ってるかだからなー」
その発言に気づかされる。
俺が言っていたのは全部俺のわがままだ。朱音が発したのが最初だけでそこから俺が遮るように話していた。
視線が朱音に集まる。意を決したかのように朱音が口を開いた。
「ごめんなさい。私はしたくないです」
「……そっか。無理言ってごめんね」
朱音の気持ちは通って少し安心する。さすがに嫌がる彼女を無理やりさせるとまではいかないようだった。
「ほい解決なー。じゃあ時人も田中ちゃんもお互い謝っておこかー」
「え?」
思わず俺と女子が竜を見やった。先頭に立つ彼女は田中というらしい。
「え?じゃないってー。ほらここで謝っとかないと遺恨残ってもこの後過ごし辛いだろー?」
竜なりの気遣いだったようだ。
確かに彼の言うとおりこのまま離れたら話すこともなくなるだろう。
「ごめん。俺のわがままだった」
「……こちらこそ、ごめんなさい」
「じゃーそういうことでー。あらためておはざすー」
渋々といった空気が田中から漏れ出ていたが気にしないことにしておく。竜に背中を押される形で教室に入った。
「いやー時人面白すぎなー?」
「……そんなに笑うことか?」
俺たちは荷物を置いて教室を出た。さすがに少し気まずい空気が流れていてあのまま教室で話すのは難しい。竜は気にしていないようでまだ笑っている。
「私のせいでごめんなさい」
空気を悪くしたことに責任を感じているらしい朱音が謝る。気落ちしているのが表情から伝わってきた。
……本当に今日サボればよかったのかもしれない。
「いやいや、長月さんは悪くないないー。誰も悪くないんだってー。強いて言うならー……」
竜が肩を軽く叩いてきた。
「もうちょい心にゆとり持とうなー?」
「う……」
渡り廊下の窓から風が吹き込んでくる。もうすぐ始業時間なのも相まって賑やかな声とともに入ってくるそれは俺たちの髪も巻き込んで通り過ぎてゆく。
「でも、嬉しかったです。口ごもってしまった私の前で話してくれて助かりました」
「……もうちょいうまくやれるはずだったのに」
「まー時人らしいよなー」
二人は仕方ないなといった体で小さく笑った。
一日、授業と午後の文化祭準備も終わって放課後。朝の騒動はその頃には大半のクラスメイトが忘れていた。それでも俺の中には少しばかりしこりのようなものが残っている。
田中とはこれまで関わることがなかったし、これからもあえて関わっていこうとは思わない。
彼女に言われた重いという言葉。
最近の俺の悩みに刺さったそれはささくれのように今日一日痛く感じた。
今日残ってほしいという桐島の要望を聞き入れて教室に残っている。みんな残っているわけでないようだ。部活に入っていなく、声のかけやすい俺や朱音、竜。といったいつものメンバーと複数人。
「ごめんねー。内装と外装の進捗がちょっとあやしくてー」
桐島の説明によると看板などのものが完成まで時間がかかっているらしくそれを進めたいようだった。
順にメンバーを振り分ける桐島の指示に従って俺は校舎に垂らす宣伝用の垂れ幕作りに当たった。
下書きは終わっていて後は色を塗っていく段階に入っているので絵具で色を塗るだけの作業だ。
校舎に垂らすそれは教室で作業するには場所をとるので、廊下で作業をすることになった。メンバーは俺と朱音と竜。気兼ねなくすることができて助かる。
「じゃー塗ってくかー。ちゃっちゃ終わらして帰ろー」
大きめの筆と水が入った小さなバケツ。人数分それを準備した竜が袖をまくってやる気を見せている。
竜の意見には同意だ。桐島の頼みでなければ俺も残る気なんてなかった。はやく終わらせて帰ろう。
想定よりも時間がかかっている。教室で行われている作業も終わっていないようだ。
「朱音ちゃんたちもおつかれさまー!今日はそろそろ解散だから片付けに入ってー」
早めに終わらそうと息巻いていたが結局完成まで行かなかった。もっとも俺たち三人とも集中して進めていたので残すは三分の一ほど。
「すっごーい。もうほとんど終わりだねー」
見に来た桐島が手を叩いて喜んでいる。
「今日で全部終わってしまいたかったんだがなー」
だるそうに肩を回しながら竜が嘆いていた。本気で終わらす気だったようだ。
「一番終わるか怪しかったんだよー……。これなら間に合いそう!」
本来の垂れ幕担当は美術部の生徒らしく文化祭ではそっちの準備もあるようで忙しい人みたいだ。
朱音ちゃんたちに任せてよかったー。と桐島が教室に戻っていった。教室から桐島の声が響いている。あちこち指示を飛ばしているようだ。
「じゃあ私このバケツの水を流してきますね」
「あ、朱音待って。筆も洗うから一緒に行く」
「じゃーそっち二人に任せたー。こっち幕とか片付けとくわー」
絵具が乾いていないので空き教室に運ぶらしい。そのスペースも桐島がとってくれていた。竜は教室に顔を出して運ぶために何人か暇そうなクラスメイトを見繕っている。
俺と朱音はバケツと筆を持って手洗い場に向かった。バケツに溜まっているカラフルな色に染まった水が流れていく。
「最後まで終わらしたかったです」
「まああと少しだし、俺たちの仕事はもう無いんじゃないか?」
「……途中なのに気になりませんか?」
「ならない。下書きから手を出してたならまだしも塗ってただけだし」
「時人くん、淡白すぎません?」
朱音が苦笑いをしていた。そんなこと話しているうちに筆もバケツも洗い終わる。ぱっぱっと軽く水気を飛ばしてから教室に向かおうとした。
振り返ると教室の方からクラスメイトが二人歩いてきている。教室で使っていたバケツと筆を俺たちと同様に洗いに来たらしい。小さなバケツを持つ田中ともう一人。若干の気まずさから目を逸らそうとすると向こうはこちらを見ていた。
そうして余所見してしまった田中が足元に置いてあったダンボールに足を引っ掛けてしまう。本人はこけることも無かったがバランスを崩して手に持っていたバケツから手を離してしまった。
まるでスローモーションのようにバケツがこちらに飛んでくるのが見える。確実に直撃するコースだ。しかも朱音に。
一瞬の冷たさを浴びた後、カコっという軽い音と感触からバケツが頭に直撃したことがわかった。
「時人くん!」
「朱音、濡れてない?」
「大丈夫ですけど、時人くんが……」
体を乗り出して朱音をかばったかいもあって朱音は汚れていない。一安心して息を吐く。制服のシャツを見ると真っ黒に汚れていた。これでは帰られない。着替えないと。
「ごめんなさい!!」
田中が駆け寄ってきた。その顔は焦っていて悪意が無かったのは一目瞭然だった。
「あー、あんなところにダンボールあったら仕方ないって」
「……けがは?」
「ない。バケツ当たっただけだし」
「あ、た、タオルとってくる。ちょっと待ってて」
田中がそのままUターンして教室に戻っていった。残されたもう一人のクラスメイトは俺のシャツをうわぁ……。と言いながら見ていた。
その気持ちはわかるけど口に出さないでほしい。
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