第127話 出会い
時人視点じゃないです。
最初は勉強ができたことだったかもしれない。
小さいときから器用だった自覚はある。
母親に求められるままに何事も挑戦していた。習い事に塾、一時期はスポーツジムなんてものにも通っていた。
それが正しいと思っていた。ただ与えられた課題をこなし、それを見た母親が満足する顔を見て自分も満足する。
さすがね。えらいね。この調子でがんばるのよ。
そう言われるのが好きだった。
あの子には負けちゃダメよ。
そう言われるのが嫌いだった。
母親があの子と呼ぶ同じ年の兄弟。話したことはなかった。喋っちゃダメと言われていたから。
同級生はお兄ちゃんに遊んでもらったと、弟と犬の散歩に行ったと言っていた。
そんな経験などしたことがない。あの子と遊びたかった。
大きすぎるあの家は自分にとって外と変わらない。ただいまと言っても何も返ってこない。たまに家政婦さんと会って曖昧に笑われるだけだった。
その頃にはもう気づいていた。
母親と会うのは何か結果が出るタイミングだけ。
塾のテストの日、水泳大会の日、ピアノの発表会。
母親が求めていたのは結果を出せる都合のいい自分の道具。資産家の父の跡を継ぐことのできる有能な子ども。
俺でなくてもよかったんだ。母親にとって利用できれば俺でなくてもいい。
中学二年の夏。
夏期講習を終えて帰るだけの時間。ふいに帰り道がわからなくなった。帰る意味がわからなくなった。
ただ夜の街を歩いた。何も考えずの行動。ただ塾から離れるために歩いていく。
夜の街は眩しかった。オフィスビルから漏れる誰かの頑張りがわかる光も、声をかけて店に客を呼ぶスーツの男も、集団で笑いあう若い男女も、眩しかった。
「……どうしたの?」
声をかけられた。金髪の長い髪をした綺麗な女性。その隣には同じく金髪でギターケースを背負った同い年くらいの少年。
雰囲気から親子だとわかった。
「母さん、知り合い?」
「知らないわ。でも、さすがに泣いてる子は気になるからね。大丈夫?」
そのときに初めて泣いていたことに気づく。手を目元に当てるとたっぷりと濡れていた。
「……大丈夫」
そう返した途端に女性に抱きしめられる。
柔らかくて温かくて。これが本当のお母さんだと思った。
母親に抱きしめられたことなんてなかったから。
気づいたらもう止まらない。涙と慟哭。
戸惑っていたと思う。その親子も俺も。
俺でさえわかっていなかった。自分が何を思って泣いているのか、何を叫んでいるのか。
それでもその間その女性は慰めていてくれていた。
「落ち着いた?」
「……すいません。迷惑をかけてしまいました」
「いいのよ。子どもなんだから甘えなさい」
甘えるな。なら何度も言われた。甘えなさい。なんてはじめて言われた。
「これ、つかれただろ?飲んでいいよ」
少年に自販機で買ってきただろうコーヒーを渡される。飲んだことのないそれに少し怯えながらも開けて一口。すごく甘かった。
「ありがとう。美味しい。コーヒーって甘いんだ」
「ふっ。まー俺はブラックしか飲まないけど。そんなの甘くて飲めないし」
顔を少し上にあげて見下すように笑う。それでもその顔から不快感なんて全く感じない。
「そうなんだ。かっこいいね」
「……君、何歳?中学生だろ?」
「14歳。中二だよ」
「じゃあこの子とタメね。この子も中学二年なの。学校にはあまり行ってないけどね」
タメなんて初めて聞いたけれど流れ的に同い年って意味のようだ。
「学校、行かなくていいの?」
「面白くないだろ?俺はベース弾いてるほうが楽しい」
「ベース?」
「これ。楽器」
彼が背負っているのはギターじゃないようだった。
「でも、勉強とか」
「勉強はしてる。テストとかも受けてるし。まあ点数さえとってれば教師とか何も言わないから」
「それっていいんですか?」
彼じゃなく母親の方を見て尋ねる。彼の言ってる意味がわからなかった。
「いいのよ。だって楽しくないのに行ったって仕方ないでしょう?疲れるだけじゃない」
「でも……」
「君さ、こんな時間だけど帰らないで大丈夫?」
「うん。母はそんなこと気にしてないから」
普段なら家に着いている時間だ。でも、そんなこと母親は知らない。そう言うと彼もお母さんもニヤリと笑った。
「じゃあいいわね。お腹空いてる?私たちとご飯食べに行きましょう?」
知らない人には着いていってはいけない。とか、そんなことをよぎることもなかった。気がつけば頷いていた。
「あなた名前は?」
「柳です。柳竜と言います」
「……カッコいい名前してるね。私は水樹月子っていうの。この子は時人よ」
まさか忘れられてるとは思わなかったが、この出会いは俺の中で大きなターニングポイントになった。
まあお互いに見た目がかなり変わったから仕方ないかもだけど。
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