第126話 わがままと重さ
深夜。目を覚ます。
隣でくうくうと眠る朱音は穏やかな寝顔をしていた。
夏休みがあけて学校が始まってからは朱音が泊まるのはいつも週末だった。平日に泊まるのは初めてかもしれない。
泊まる度にそういう行為をしているわけではない。そもそもいたしたのもまだ片手で数えるほどだ。
だけど朱音が泊まるのはいつも次の日が休みの日だった。
いや、夏休み最後の日もそうだったか。あれはまあギリギリ夏休みってことにカウントしておこう。
朱音の顔にかかっている前髪をすくってその顔を眺めた。一瞬びくっとしたものの起きないようだ。すやすやと安心したように眠っている。
「今日、泊まっていいですか?」
晩ご飯を食べた後、朱音がそう言った。もちろん断る理由も無い。いつものように了承した。すると嬉しそうに笑ったのを覚えている。
喉が渇いた。朱音を起こさないようにゆっくりと体を起こして静かに寝室を出る。
こぽぽと音をたててグラスに注がれる麦茶と同時に月明かりに照らされたその影も揺れた。
中途半端な時間に目が覚めた割に意識はすっきりと覚醒していた。あるいは眠りも浅かったのかもしれない。
グラス片手に窓辺に立つ。外の町は眠っているようで静かだ。普段は子どもの声や車の音など生活音が目立つけれど今は何も聞こえない。
結局、あの時から俺の感情はぐるぐるとしたままだった。朱音が決まったあの時から。
冷えた麦茶をグラスの半分ほど一気に呷る。冷たい液体が体内を降下する。
「はぁ……」
息とともに声も漏れた。
タイマーが切れたらしいエアコンの音が止まる。なんとなく窓を開けようと思ったけどやめた。まだまだ夏はあけたとは言いがたい。朝から暑い思いはしたくなかった。鍵に伸びた手が止まって行き場をなくした手でそのまま頭をガリガリとかいた。
朱音が今日泊まることにした理由もわかる。わかってしまう。
明らかに気をつかわれていた。朱音に。聞いても本人には否定されてしまうのは予想がつくけれど。
機嫌が悪いとまではいかないもののローテンションだった自覚はある。
こんなものどうしようもない。とわかっていても自制できていなかった。
朱音の優しさが余計に痛かった。自分がダメなことを思い知らされるようで。
窓に映る寝癖のついた自分。
磨かれたガラスに不釣合いなほど暗い顔をしていた。
こんな自分が本当に嫌だった。
「時人くん、そろそろ起きてください」
「……ん」
腕の中の朱音は笑いながらこちらを見ていた。瞼が重い。学校があって起きないといけないことはわかっていても気持ちはそこに持っていくことができなかった。
朱音を抱きしめる。急に力を込められたことに朱音が驚くのがわかった。柔らかく温かい朱音がより眠りを誘う。
「……もうちょっとだけ」
「珍しいですね。寝起き悪いの」
目を閉じていても朱音が笑ったのがわかった。
「んー。……今日、サボりたい」
「ダメです。月子さんに怒られちゃいますよ」
さすがにその名前を出されると都合が悪い。それに授業をサボったことはあっても遅刻も欠席もしていない自分の記録が途切れるのももったいない。
「朱音も一緒に怒られようよ」
「……もう。仕方ないですね……ちょっとだけですよ」
話していると目も覚めてくる。最後に朱音に窘められようとしたが朱音が折れてしまった。思わず目を開いて朱音を見ると朱音も目を閉じてしまっていた。
「朱音、起きないと遅刻するって」
「ふぇ、え、時人くん?」
本当に寝ようとしていた朱音が驚いた声を上げていた。その声と表情に笑顔にさせられる。
「ごめん、おはよう朱音。ちゃんと目が覚めた」
「本当、時人くんは……。おはようございます」
視線を交差させて笑いあう。朱音のおかげで陰鬱な気分が晴れていた。
「あ、来たー!長月さん待ってたよー」
教室に入った途端にクラスメイトの女子が数名駆け寄ってきた。挨拶すら飛ばしてハイテンションで距離を詰める彼女に朱音もたじろいでいる。
「お、おはようございます」
「うんおはよー。あのね、長月さん接客する気ないかな!?」
その言葉に朱音は困った顔で俺を見るのだった。
口々に話し始めて言葉にならない彼女達の意見をまとめると、コンテストに出る友里と朱音が目立つのでその二人に接客も担当してもらってより客を集める目的らしい。
「あの、そう言われましても当日は予定もありますから……」
こちらをちらりと見ながらそう答える朱音に彼女達はよりニヤニヤとした。
「いいよいいよ、水樹くんもいっしょにしてもらえば!ほら思い出にもなるだろうし!」
「そういうわけではないんですが……」
彼女達の予想は半分当たって半分外れている。
確かに当日俺と朱音は行動をともにする予定だ。だが、二人きりじゃない。大須とも約束している。
「あのさ、クラスでがんばりたい気持ちはわかるけど、ちょっとこっちの思いも汲んでほしい」
「……え?」
「朱音も言った通り当日に……親戚の子を案内する約束あるから。もともと俺も朱音も時間があると思って引き受けてるし、その子も楽しみにしてる。だからそっちは引き受けられない」
親戚ではないがそこまで説明する気もない。初めて喋るクラスメイトだが朱音が言葉に困っているので口を挟んでしまった。
「でもそれってさー、別に二人一緒じゃないとダメってわけじゃなくない?ほら一日接客してほしいってわけでもないしさー。ちょっとだけ長月さんがいなくてもその間水樹くんが見てればいいじゃん?」
納得がいっていないようだ。少しイラついた口調で詰められる。
日頃からいい関係とは言えない俺に反論されたのがよくないようだ。
「先に約束してたのはこっちなんだけど。その子も朱音に会うのを楽しみにしてる」
「じゃあそれこそその子だって長月さんが接客してくれた方が喜ぶかもじゃん」
それは確かにそうかもしれない。大須は店に来たとき俺が飲み物を出すだけで喜ぶ。それはきっと朱音に変わってもそうだろう。だけど、やっぱり納得はいかない。
「かもしれないとか、そんな不確かなことアイツにはしたくない」
更に女子達の視線が鋭くなった気がする。
「……友里くんは接客してくれるじゃん」
「ユーリはもともとそれ担当してただろ?」
朱音の視線は俺とクラスメイトをいったりきたりとしていた。気づけば教室の視線はこちらに集まっている。他の誰も何も喋っていなかった。
「意味わかんない。クラスでがんばってるんだし協力するのが普通じゃない?」
お互いに折れる気がないのがよくわかった。朱音はおろおろとしていて口を開くタイミングも言葉も見失っているようだ。
「もっと直接言うなら俺が朱音に知らない人に接客させたくない」
「え、何?水樹って……重くない?意味わからないんだけど」
「はーい。そこまでなー。教室の入り口どまんなか塞いでるからなー」
聞きなれたいつものカラカラという笑い声が後ろから聞こえた。
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みんな所詮高校一年生。