第115話 自身自信
すたすたと歩を進める朱音に引っ張られるように俺も続く。
すっかり黙ってしまった彼女は機嫌が悪そうだ。俺の僅か前を行く朱音の表情はここからは見えないがそれだけはわかった。
さっきの男のせいで俺も気分が悪いが、今の朱音は相当ひきずっていそうだ。
アイツに会うまでは間違いなく楽しいデートだったはずだ。これくらいで嫌な思い出にしたくなかった。俺もそうだし朱音にも。
「朱音」
歩いて帰る道の途中、駅から少し歩いたこの場所ではもう人は大分少なくなった。
名前を呼んで少し強めに手を引っ張る。朱音はびくりとなって足を止めた。
「ちょっとここ寄っていかない?」
たまたま目に付いた目の前の洋菓子店。そこを指差して朱音を誘う。振り向いた朱音の表情は思ったとおり眉が下がっている。
「……ケーキ美味しそうですね」
「何か買って帰ろう」
それでも朱音の手を引いて店に入る。カランと鈴の音がなって作業をしていたらしいパティシエがゆっくりとやってきた。
ショーケースのなかは様々なケーキが並んでいる。どれも美味しそうだ。
まだ眉の下がったままだが朱音もどれにするか悩んでいた。その視線の動き的に季節のフルーツタルトだろうか。その辺りを見ている気がする。どうやらそれと近くのティラミスかで迷っているようだ。
「迷うな」
「そうですね。どれも美味しそうです」
そう言いながらもその二つで視線が止まっている。
「それ、はんぶんこずつしようか?」
「え?」
「タルトとティラミス。それ悩んでたんだろ?俺もそれいいなって思ってて。さすがに二つは食べられないし」
「……では、おねがいします」
読みは当たったらしい。くすりと笑った朱音に少しほっとする。
「では、こちらの二点でよろしいでしょうか?」
一部始終を見ていたパティシエが笑いながら問いかけた。俺たちも思わず笑ってしまってから肯定する。
もう家まで歩く距離ではあるが、外はまだ暑いので持ち歩き用のドライアイスを入れてもらってから店を出た。
さっきまでとは違って朱音は少し前でなく隣を歩く。
「ケーキ見てたらお腹すいた」
「帰ったらすぐに作りますね」
もう気持ちを取り戻したらしい朱音がくすくす笑ってやる気を見せていた。これは晩ご飯も期待できそうだ。
お出かけはもう終わって帰るだけだけど、デートという意味で見たら今日はまだ終わっていない。
ご飯は作ってもらうけれど、その後は朱音を思いっきり可愛がろう。
「美味しそう」
「召し上がれ。です」
目の前にはいい焼き色をした鮭がある。ピーマンとニンジンのきんぴらは朱音がよく出してくれるもので、俺も好きだ。しゃきしゃきとした歯ごたえがいい。今日のお味噌汁はじゃがいもとたまねぎのようだ。ほくほくしたジャガイモとたまねぎの甘さがとてもマッチする。大きく一本のままだされた出汁巻きは湯気もまだ立っていて朱音の手際のよさがよくわかる。
まず鮭を一口箸できりとって口に運ぶ。朱音はいつも生鮭を買って下ごしらえをしてから焼いている。甘さを感じる味付けにふっくらとした焼き加減。
「美味しい」
「よかったです」
朱音も食べ始める。味見もしているだろうに俺の感想がいつも気になるらしい朱音のこだわりは変わっていない。
どれもが俺好みの味付けになっている。箸は止まることなくすすむ。朱音は俺の表情を見て満足げだ。
「……俺ってそんなに顔に出てる?」
「わかりやすいですよ。顔もそうなんですけど、ひとつづつ味わって食べてもらえるのが見てて嬉しいです」
「朱音が嬉しいならよかった」
そう言うと朱音はにこりと笑ってから食事に戻った。竜も俺に対してわかりやすいとよく言っている。俺にはポーカーフェイスの才能は無いようだ。もっとも困ることもないが。
いつもものように朱音のペースにあわせて食事を進める。少しの会話と時々朱音の笑う声があるだけで静かな晩ご飯だった。それはむしろ悪くなかった。
「おいしそうです。時人くん、どっちにしますか?」
「んー。じゃあティラミス」
朱音がケーキ皿に載せた二つのそれをテーブルに並べた。朱音も今日はコーヒーにしたみたいでケーキ皿と同じデザインのカップには紅茶じゃなくコーヒーがいれてある。
フルーツタルトを自分の方に寄せた朱音が楽しそうにフォークを手に取る。見た目から華やかなそれは見ているだけで気分も上がる。
「美味しいですよ!時人くん」
一口タルトを食べた朱音はテンション高くこちらを見た。その勢いに思わず笑ってしまう。
「よかったな」
ティラミスを一口食べてみる。コーヒーのほろ苦さとチーズのクリーミーさがマッチしていてとても美味しい。
タルトを食べ続けている朱音に一口ティラミスをすくって差し出す。気づいた朱音が嬉しそうに口にほおばる。そして目を開いて喜びを表現していた。ティラミスも気に入ったらしい。
「ティラミスも美味しいです」
一口ごとに味わって食べている朱音が可愛らしく続けて朱音にティラミスを差し出し続ける。差し出すとその分食べる朱音が幸せそうにしている。
ティラミスもタルトも九割方無くなってから目をくるくるとした朱音が慌てだした。
「タルト、時人くんの分も食べちゃいました……」
朱音がしゅんとしてしまったのが面白くて思わず肩を震わせる。よっぽど美味しかったらしい。
「くくく。いいよ。俺は朱音のご飯で結構お腹一杯だったから」
漏れ出す笑いを堪えながらそう言うと朱音は残り僅かなタルトを見ながら小さく唸った。
「全部食べていいよ」
途端に朱音が残りのタルトをほおばった。一口にしては少し大きかったらしく柔らかそうなほっぺたを膨らませている。その様にまたも笑わされてしまう。
「……あのケーキ屋もまた行こう。他にも美味しそうなの色々あったし」
「はい!」
目を開いて嬉しそうにした朱音が、タルトをがんばって飲み込んでから大きく返事をした。
場所をソファに移してコーヒーを楽しむ。朱音のそれは砂糖とミルクが入っているようで甘そうな色をしていた。
「タルトもティラミスも美味しかったです」
「そうだな」
隣に座る朱音が俺の肩に頭を預ける。朱音の重みを感じた。完全に身を委ねている朱音は安心しきっている。
こぼす様に言葉を話す朱音に相槌をうちながら飲み物を楽しんだ。ゆっくりと時間を重ねていくようだった。
「……時人くん」
「なに?」
「時人くんは素敵な人です。かっこよくて優しくて、私の尊敬する恋人です」
そんななかぽつりと朱音が話し始めたのは俺のことだった。ストレートな想いに照れるが、コレを言うきっかけは今日のあのことだろう。照れている場合じゃない。
「『こんなの』なんかじゃないのに。時人くんのことも知らへんのに。なんでそんなこと言われんとあかんのやろ」
段々と早口に言葉を発する朱音は思い出してなお怒っているようだった。
「……朱音、あのさ、ある程度は仕方ないって俺も思ってるよ。朱音は誰が見たって認めるルックスがあるけど、俺はそうでもないだろ」
言いたくはなかったけど仕方ない。これは事実だ。
外から見れば不釣合いなことくらい俺だってわかっている。
「なんで時人くんまでそういうこと言うん?……時人くんは私のやから。誰にも否定なんかさせへんもん。それが時人くん本人でも」
さらに言葉を激しく思いを吐露する朱音。もはや敬語も外れて久しく聞いていなかった朱音の大阪弁が飛び出している。
溢れ出る朱音の想いが零れ出しているようだ。朱音は俺が思っていた以上に俺に……依存しているのかもしれない。
「……朱音」
「時人くんは、いちばんカッコいい人やもん」
朱音は座っている俺の横から抱きついてきた。
「やから……時人くん、そんな顔せんといてほしい」
表情に出ていたのだろうか。俺が朱音の隣に本当はふさわしくないと思ってしまっていることが。
抱きついてきた朱音が見上げて俺に顔を近づける。そのまま朱音からキスをされる。
「これからは時人くんにも否定させへんから」
もう一度朱音からキスをされる。さっきよりも深く長く。そして激しく。
「ちょっと苦い。コーヒーの味する」
「……朱音は甘いよ」
息継ぎをするように口を離した朱音が感想を言った。さっきまでの雰囲気が少し砕けて俺もそれに乗っかる。
「なあ時人くん。まだそんなに不安ある?私には時人くんだけでいい。時人くんさえいてくれたらそれでいい。そう私が思っているのに」
「……不安なんて」
「時人くんのことをどんなに想っているか、伝わってると思ってたけど足りてへんかったみたいやから」
にやりと笑った朱音にソファの横から押し倒された。またも表情を読んだらしい。
「あ、朱音、」
「何?時人くん」
俺のシャツを脱がしかけている朱音を止めようと試みるも朱音は止まらない。
「ちょっと待って」
「待たへん」
「シャワーも浴びてないけど?」
「別にいい」
「……せめてベッドで」
「わかった」
溢れ出す朱音の想いを俺は受け止めないといけない。
さっきの男にもだけど、朱音は俺が自分を卑下したことにも怒っている。
……朱音の恋人だっていう自覚はもっていたつもりだったけれど。足りなかったのかもしれない。
朱音に引っ張られるようにリビングを後にした。
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