第104話 無意識と目覚め
頭の位置が枕から外れているようだ。首に違和感を覚えて目を覚ます。
ぼんやりと開けた瞼から部屋の様子を伺うも外は未だ陽もさしておらずまっくらで夜中らしい。中途半端な時間に目を覚ましたようだ。ならそのまま眠気に抗わず二度寝しようと瞼を閉じる。
最初感じた違和感どおり枕が無い。それどころか掛け布団すら被っていなかった。動いている空調がしっかり効いていて肌寒い。頭の周りで探ってみるも枕は無い。落としたのだろうか。枕は諦めてから離れていた掛け布団を抱きしめてもう一度眠りに落ちていった。
目を閉じたと思えば朝になっていた。全く寝た気がしない。
気配を感じて目を開くと、腕の中で安らかに眠る朱音がいた。くうくうと寝息を立てて眠る彼女を見て一気に覚醒する。長い睫がよく見える位置で眠る朱音は全く起きる気配が無さそうだ。
俺は気づいていないうちに朱音を抱き枕にしていたようだ。
気づいていないうちに……?
ちがう。ゆっくりと覚醒する思考が夜中の記憶を引き出した。
何となく肌寒さを感じて朱音を抱きしめて二度寝した気がする。というかした記憶がある。
朱音は俺の片腕を枕に寝ているのでベッドから抜け出すどころか立ち上がることすらできそうに無い。まあ用事もないし慌てて起きる理由も無い。それに朱音の寝顔を見ているだけで幸せな気持ちになる。
目覚めたときに隣に好きな人がいる。それだけでこんな気持ちになるのか。朱音の重みを腕に感じることすら愛おしい。
体感的に時刻は7時過ぎくらいだろうか。枕もとのスマホを持ち上げてタップすると体内時計の正確さに驚いた。いつもならもそもそと起きはじめるくらいの時間だ。朱音も大体家にやってくる頃なのでそろそろ起きる頃だろう。それまでは朱音を堪能させてもらう。
空いている側の手で朱音の頬を撫でる。柔らかい。それでもしっかり反発する弾力もある。ふにふにと指の背でつついていると朱音の眉間に皺が寄った。眉を八の字にして小さく唸る。夢でも見ているのだろうか。それとも覚醒の兆しか。
頬から指を離して眉間の皺を指で伸ばしてみる。と、朱音が目を開いた。
目は開いたが意識の覚醒はまだらしい。ぼんやりとこちらを見つめてすこし口角を上げてからもう一度目を閉じた。
むにゃむにゃと何か呟きかけている。朱音は寝ぼけているようだ。もう一度穏やかに眠り始めた彼女を見て笑いが零れる。朝が弱いのだろうか?それとも単純に油断しているだけか。
くっくと笑いを堪えきれずにいるとその揺れか雰囲気でもう一度朱音が目を開いた。
「……おはようございます。時人くん」
「おはよう朱音」
微笑みながらそう言った朱音が胸に擦り寄ってくる。すりすりとおでこを胸に当てる彼女の真意はわからないがとても可愛い。
「朱音はよく眠れた?」
「……一瞬夜中に起きましたが、そこからはもうぐっすりでしたよ」
朱音も夜中に一度目を覚ましたようだ。胸から見上げる朱音は少し頬を染めてそう言った。
「時人くんが寝ぼけて抱きしめてきたので目が覚めました」
見に覚えがあるそれに思わず口を噤む。その反応を見た朱音はくすくすと笑っている。
「あー。やっぱりアレ夢じゃなかったか。完全に無意識に抱きしめてた」
「記憶があったのですか?」
「なんとなく。そんなことした気がするっていう程度だけど」
「……では、意識のはっきりしている今、もう一度してもらってもいいですよ?」
くすくすと笑いながら。でも、どこか期待するような目で見上げる朱音。そんな顔をされたら敵わないな。なんて思って未だ朱音の乗っている腕と自由な腕に力を入れる。
強めに抱きしめた。きゃっきゃっと笑う朱音に俺も笑いが吹き出る。
「おはよう朱音」
「おはようございます時人くん」
こんな朝が今までにあっただろうか。いや無い。
腕の中で笑う朱音と同じような顔をしているのだろうな。と思った。
「いただきます」
目の前に並ぶ朝ごはんは今日も豪華だ。今朝はパンらしい。スクランブルエッグは固まっておらず見るからにふわふわだ。横に添えられているウインナーは焼き目がついているのに皮は破れていない。かじりつけばいい食感で食いちぎれることが容易に予想できる。
たまねぎの味がするコンソメスープを一口飲んでから食事を始めた。もちろん今日も美味しい。そう伝えると朱音は嬉しそうにして食べ始めた。
目の前でニコニコと食べ進める朱音が今日も朝ごはんを作ってくれた。
あの後しばらくベッドで話していたが朱音が俺の腹具合を心配して立ち上がった。俺も続いてベッドから出て朱音と寝室を出る。
リビングに置いていたトートバッグから自分の洗顔道具を取り出した朱音と並んで顔を洗った。歯を磨きながら鏡越しに目が合うのを感じる。
「ひははふ」
歯ブラシを口に咥えた朱音が何か言うもそれは言葉となっていなかった。おもわず歯磨き粉ごと吹きかけるところだったが何とかくっくと笑う程度に耐える。それを見て朱音はまた何か言葉になっていない言葉を呟いた。
濯いで自由になった口で朱音に何を言ったのか問うも答えてはくれなかった。だが、嬉しそうにしている彼女は満足げだったのでとりあえず納得しておく。何か感じるものがあったのだろう。俺と同じように。鏡に並ぶ顔を見ると俺も満足げに笑っていた。
リビングに戻るとそのまま朱音はエプロンを身につける。朝ごはんを作り始めるようだ。キッチンから聞こえる朱音の鼻歌はどんなBGMにも勝る。
「ちょっと待っててくださいね。すぐに作りますから」
「ありがとう。楽しみにしてる」
ソファに腰掛けようとしたが、そのまま腰を下ろさずキッチンに向かった。牛乳が飲みたい。いつもなら起き掛けに一杯ひっかけるからだ。今日は朱音と並んで動いていたので少しリズムがかわった。キッチンに入ると朱音が不思議そうにこちらを見ている。
「どうされました?」
「あーごめん。ちょっと邪魔する」
冷蔵庫を開けて牛乳を取り出すと残り僅かだった。開いていない新品の牛乳もあるので、もし朱音が料理に使うとしても問題ないだろう。持ち上げた残量から飲み干せることを確信した俺がそのまま口付けて傾ける。もちろん手は腰に当てることを忘れない。意味なんてもちろんないとわかっているけれどこればかりは仕方ない。
「時人くん、行儀悪いです」
「残り少ないし、コップ出すの億劫だった」
「言ってください。とってきますので」
「そんなパシリみたいなことしなくても」
「時人くんの面倒は頼まれましたので」
「……母さん」
若干の怒り口調で朱音に叱られる。しかも母さんの影まで見えた。昨日話した内容は教えてはくれなかったがどうやら相当打ち解けているようだ。
「でもさ朱音。何となくだけど牛乳ってこう、ラッパ飲みする方が美味しいだろ?」
「言い訳しないでください」
「ごめんなさい」
朱音には通じなかったようだ。まったくもうとプンプンしている朱音に謝罪を入れて牛乳パックを開く。さっと水洗いして乾かすためにかけておいた。
「あ、時人くん、ついでにパン焼いてもらえますか?」
「任せて」
朱音から料理面で頼まれるなんて珍しい。それでもトースターに食パンをセットするだけだが。
朱音が持ち込んだトースターは白くて可愛いサイズ感だ。手入れも行き届いていて中には何も落ちていない。
パンを二枚トースターに放り込んでタイマーをセット。ちりちりと音をたてて起動したことがわかる。
「ありがとうございます。後は任せてください」
「じゃあ楽しみに待ってる」
タマゴ片手に朱音がそういったので任せてキッチンから出る。しばらく経つと朱音がおまたせしました。とキッチンから声をかけた。完成したらしい。
そんな経緯で今、朝ごはんを食べている。目の前の朱音がはぐはぐと食パンを食べていた。
「今日はどうされますか?」
「予定は何もないけど。……折角だしどこか行こうか?」
「行きたいです!」
笑顔の朱音はとても可愛い。今日もまだ始まったばかりだ。それでも良い一日になることを確信した。
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