第100話 依存と思いとソレと
まだ夕方だというのに外は真っ暗になっていた。少し光ったかと思えば遅れてゴロゴロと音が鳴る。まもなく雨が降り出すのがよく分かる空模様だ。
今朝の天気予報を見てから外に出た人は焦ることだろう。今日は雨の予定が無かったのだから。
「夏って感じですね。ゲリラ豪雨」
「だな」
朱音の作ったシュークリームを食べながらコーヒーを楽しむ。前にリクエストしていたカスタードたっぷりのシュークリームは店売りでも通じるだろう。シュー生地を半分に切ってカスタードが入っているそれは初めて作ったとは信じられない。
「朱音、もう一個食べていい?」
「もちろんです。……ですが、おやつには少し遅くなりましたし晩ご飯食べれるくらいにしておいてくださいね」
「大丈夫。晩ご飯もちゃんと食べるよ」
もう一つ、テーブルの上のシュークリームを手に取る。ふわりとした生地からずっしりとカスタードを感じる。
これで終わりです。と朱音が残りを冷蔵庫に戻した。晩ご飯の後に食べられそうなら食べましょう。と言って。ちなみに今日の晩ご飯はカレーうどんだ。お昼の残りを見て朱音がそう決めた。
最後のシュークリームを楽しんでいると、外から轟々と急に雨が降り出す音が聞こえた。ゲリラ豪雨らしくすごい雨量だ。降りしきる雨に数メートル先も白く濁って見えない。
「降り始めましたね」
「これで少しでも涼しくなればいいけど」
部屋は朝から、というかエアコンが24時間稼動している。常に快適なのだが、それゆえに少しでも外に出ると体が暑さにやられる。今日も午前のうちにスーパーに買いだしに行ったが、外に出るとクラクラした。
「出かけるんですか?」
「いや、出かける予定は無いよ」
「じゃあいいじゃないですか」
「そうだな」
「あー時人くん」
朱音の指先が俺の顔に伸びる。口元に僅かについていたカスタードクリームを朱音が指で拭った。それをそのまま朱音が口にした。こちらに視線を投げながらそうしたので挑発行為のようなものだろう。そうわかっているので変に慌てたりはしないが純粋に照れる。
「ありがと」
軽く微笑んで朱音に礼を言う。俺からの反応が小さく予想外だったのか朱音は不満げだ。わかりやすく頬をふくらませている。これはこれで可愛いので俺の口角が上がる。朱音から挑発してきたのだ。朱音が悪い。
軽く椅子から立ち上がって朱音の顎に手をやりキスする。
驚いた朱音が顔を赤くして目を丸くしながらこちらを見ていた。
「と、時人くん……」
「なに?」
「……急にはだめですよ」
「先に誘った朱音が悪いから。悪くはないけど」
悪くはない。むしろ良いと思う。朱音とキスして幸せな気分になるしとても満たされる。
そして俺がそれ以上を望めば朱音は受け入れるだろう。だからこそ悪い。どこまでも甘えてしまいそうで。
お互いに知ってからまだ一年と経ってないし、付き合ってからとなればまだ一週間程度。
朱音は俺のことを好いてくれているのはよく分かるし、俺も同じように朱音が好きだ。
手を伸ばして朱音の髪に触れる。さらさらと指の間を流れるその髪に触れるだけで朱音も嬉しそうな顔をする。先ほどまで赤くなっていた顔も段々と落ち着きを見せた。そのまま指を頬にまで滑らせる。未だ熱く熱をもっているそこに指の背で触れた。柔らかさを感じるほどに朱音も目を閉じて頬を寄せる。
こうして触れるのも初めてではないが、やはり朱音は疑問もなく受け入れる。というか触れられることを望んでいる。と思う。
お互いに望んでいるのだから問題ない。とは気軽に言えない。
なんて色々理由をつけてみたが、結局のところ怖いの一言につきる。既にこんなに満たされているのにこれ以上を知ることが。ずぶずぶに落ちてしまう予感しかない。
嬉しそうな朱音と裏腹に俺の心は緊張か恐怖にか難しい気持ちになっていた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末さまでした」
昼に作ったカレーの残りを使って朱音が作ったカレーうどん。
和風出汁がうまいこと合わさって優しい味わいのあんかけになっていた。それがうどんによく絡んでとても美味しかった。
「俺の作ったカレーより美味しかった。朱音の愛情?」
「そうです」
クスクスと笑いながら朱音が答えた。もちろんそう答えることも読めていたが。
朱音と笑いあっているとソファに投げていたスマホの音が鳴る。着信がきているようだ。立ち上がってスマホを拾い上げると画面には父の名前が光っていた。
『はい?』
『時人、元気かな?今いいかい?』
『問題ない』
朱音に聞かれて困ることもないが一応リビングから玄関の方に離れて廊下で通話を続ける。
『あれから音沙汰無いからね。母さんが心配してたよ』
父親の春人と通話をしたのは朱音の誕生日を教えてもらったときが最後だった。
旅行の際に連絡はとっていたが業務連絡のようなものだったので会話をしたという感覚は無い。
結局母親とは長らく声を聞いていない。たまにメッセージで生存確認される程度だ。
『忘れてた』
母親に心配から色々言われるのが面倒で忘れてた体で誤魔化す。春人のことだからばれているとは思うが。
『……そういうと思ったよ』
耳元から春人のクスクス笑う声が聞こえた。やはりばれているようだ。
『でも、母さんも痺れを切らしたみたいだよ。さっき散歩と言って家を出たんだ。バイクのエンジン音も聞こえたからそっちに向かってるんじゃないかな』
『は?』
笑いながら春人は楽しそうに話し続ける。実際にこの状況を楽しんでいる節はある。
『時人が悪いんだよ?あれだけ言ったのに。夏休みも帰らないつもりだっただろう?それはやっぱり母さんも心配するよ』
『え、本当にこっちに向かってる?』
『と思うよ。さっきこっちを出たから……そう時間がかからず着くんじゃないかな?』
『……ちょっとまた連絡する』
スマホを耳から離して笑っている春人との通話を切る。リビングの方に視線をやった。朱音になんて説明しよう?いや、一旦帰ってもらったほうがいいか?
なんて考えているとチャイムの音が鳴った。
来客を知らす音だ。それもエントランスのオートロックでなく部屋前まで来ている。
選択の余地はないし考える時間の余裕も無い。春人が所有するマンションだ。この部屋の合鍵は両親ともに持っている。カチャリとサムターンが回っているのが見えた。チャイムを鳴らしておいてこちらから開けるのを待つ気は無いようだ。
電話中の俺に気を使ったのか、来客対応をしようと朱音がリビングの扉をあけた。それと同時に玄関の扉が開いて母親がそこに見えた。
「時人ー。なにしてるのー?……っておやおや?」
母親の月子がニヤニヤと笑いながらこちらを見ていた。朱音は状況が読めていないのかおろおろと俺と母親に視線をいったりきたりしている。
「アポイントメントって知ってる?母さん」
朱音に説明も兼ねて声を絞り出した。それを聞いてさらに月子は笑った。
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