表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
なんでやねんと歌姫は笑った。  作者: 烏有
第2章
101/166

第98話 依存と思いとソレと


あの後のことはよく覚えていない。気づけば朱音は帰っていたし、気づけば眠りについていたし、気づけば今は朝だった。

ただ覚えているのは夢見心地な気分だったこと。いや、それは今もかもしれない。

カーテンを開けると薄明るい朝日が差し込む。明けきっていない空に自分の眠りがリンクしているようだった。意識ははっきりとしているが、なんだかフワフワとしている。ソファに座っているはずなのに更に沈んでいってしまいそうだ。

「朱音」

思わず口に出るのは彼女の名前。呼んだ言葉も静かな部屋に消えていった。

昨日の行動を思い返す。朱音への気持ちが溢れた夜だった。目を閉じれば朱音の瞳が瞼の裏に現れる。

今まで人と積極的に関わってこなかった。気づけば竜と友達関係になっていた。そして、朱音と恋人になった。初めての関係。これであってるかなんてわからないけれど俺も朱音も幸せならそれでいいのだろうか。今が幸せすぎて、順調すぎて怖くなる。

「朱音」

繋ぎとめていたくて。朱音が存在することを証明したくて。もう一度その名を呼んでみた。

もちろん返事は無い。合鍵を持っているとはいえ、さすがにこんな早朝には来ることは無い。

顔を上げてソファの背もたれに体を投げ出す。首を左右に傾けるとゴキゴキと小気味のいい音が鳴った。肩の凝りが少し解れた気がする。

深い息が漏れ出た。このまま何もしていないと気持ちだけ先走っていきそうだ。朱音に会いたいという気持ちだけが。

眠たさも気だるさも飲み込んで立ち上がる。まだ薄明るい早朝だ。外も昼ほど暑くない。

迸る何かを制御するために軽く走りにでも行こう。ジャージに着替えた俺はカギと小銭とだけ持って家を出た。



額の汗を拭う。少し走ってから近くの公園のベンチで休憩をしていた。自販機で買った缶コーヒーを一気に飲み干す。缶コーヒーだけでは喉の渇きは潤せず飲み物の選択に失敗した。朝とはいえ夏だった。走っていると次第に玉のような汗が流れる。夏休みゆえの体力の衰えを感じた。息も早々に切れて長く走っていられない。家でできる筋トレだけではダメだったようだ。

走っては息が切れて、整えるためにゆっくりと歩いて。落ち着いてきたらまた走り出して。

朝の澄んだ空気が肺から体に巡る。通る車もすれ違う人も少なく、今いるこの公園も自分一人だけだ。

一人になって休憩していると余裕も出てきたのか、朱音の笑顔が脳裏によぎる。

俺たちの付き合い方は俺の走り方にも似ていると思った。息切れするまで走っては少し休んで、また走り出して。疲れたら今みたいに休む。

今でこそ体力がないがゆえに休み休みだが、段々と走る距離も長くなっていくのだろう。疲れや、息切れもあるけれどそれが楽しくて。心地よくて。

「……帰るか」

残った体力を考えてここから走って帰るとちょうどいい距離だ。

落ち着いた息と、休憩して戻ってきた体力のままに立ち上がる。汗は引いたがまだ体は冷え切っていない。まだ休みたがるふくらはぎを無視して走り出した。ここから家までは歩かないで走りきろうと決意して。



横に伏してしまいたい気持ちをこらえてエレベーターが下りてくるのを待つ。マンションに戻ってくる頃には人も増え始めて、今も前のゴミ捨て場で知らない住人とすれ違ったところだった。

開いたエレベーターの扉の奥から誰かが飛び出た。焦ったように走り出てきたのは朱音だった。

「朱音?」

「時人くん!」

胸に飛び込んでくる朱音を受け止める。

「部屋に入ったらおらんくて……。スマホも財布も机に置きっぱで」

「動揺し過ぎだって。俺が居ないことなんて今まであっただろ?」

一人で朝に散歩することもあるし、なんならポストに郵便物を取りに行ったりごみ捨てに行ったりもする。その度にスマホなんて持ち歩かない。

「せやけど……。心配やってんもん」

「あーごめん。ありがとう」

胸に埋まる朱音の髪を撫でる。泣いてはいないが動転しているようだ。

エレベーターの扉がひとりでに閉まった。エントランスの自動ドアが開く音がして先ほどすれ違った住人が怪訝な目でこちらを見ている。早朝に学生らしき男女がエントランスで抱き合っているのが異様な光景に見えるらしい。その奇妙な目をこちらに向けたままその人はエレベーターに乗り込んで去っていった。

「朱音、ひとまず戻ろう?走ってきたから着替えたいし顔も洗いたい……。ってか汗かいてるからちょっと離れて」

「……はい」

渋々といった体で朱音が離れていく。もう一度エレベーターのボタンを押して降りてくるのを待った。

「朱音。おはよう」

「え、あ、はい。おはようございます。時人くん」

言い逃した朝の挨拶を飛ばすと朱音が少し笑顔になった。その顔を見て笑いを漏らすと朱音も笑い出してエレベーターに乗り込む頃には理由なく笑いあっていた。



「さっぱりした」

部屋に戻ってシャワーを浴びた。汗で張り付くインナーを脱ぐのに手間取ったが、気持ちはすっきりとしている。朝のよく分からない気持ちのままマゴマゴとしているよりはいい発散になった。

リビングに戻ると朱音がテーブルに皿を並べていた。朝ごはんがちょうどできたところらしい。

「時人くん、髪ちゃんと乾かさないと」

「あーそのうち乾くしいいかなって」

このまま寝るとなれば枕も濡れるし気にはするが、まだ朝のこの段階だと面倒さが勝ってしまう。ドライヤーもそこそこに脱衣所から出てきた俺を朱音は見逃しはしなかった。

パタパタとスリッパを走らせて脱衣所からドライヤーを取って戻ってくる。朱音が俺の手をひいてソファに座らせた。

その後ろに立ってドライヤーの温風を俺の髪に当てる。サラサラと手櫛で整えながら朱音がドライヤーをあちらこちらから風を当てて乾かした。朱音の手が忙しく動くたびに背筋がぞわぞわとする。

「できました」

「ありがとう」

「ちゃんと乾かさないとだめですよ?」

朱音はドライヤーのコードをくるくると巻いて脱衣所に戻っていく。パタパタと小気味のいいテンポでスリッパを走らせて。

ソファに座ったまま顔だけ朱音を追った。ドライヤーを置いてすぐ戻ってきた朱音はキッチンに入っていく。後は並べるだけのようで、バタバタと忙しくしている。

「時人くん、もうできてますからこっち座ってください」

俺が見ていることに気づいた朱音が椅子の背もたれをとんとんと叩いた。俺が全く動いていないことへの不満はないらしい。こういうところが朱音らしい。今は甘えてしまっているが、本人はそれすら甘えとでも思っていない気もする。

朱音が準備を終えてから、できました。と席を着いた。二人揃っていただきますと口にする。俺が一口食べて感想を聞いてから朱音も食べ始める。

「美味しいよ」

「ありがとうございます。よかったです」

「あのさ、朱音。お願いがあるんだけど」

「なんですか?」

「……俺に料理教えてくれない?」

昨日から少し考えていたこと。それを口に出すと朱音はひどく悲しそうな顔をした。






ここまで読んでいただきありがとうございました。

続きが気になる方はブックマークなどしていただければ嬉しいです。


誤字報告助かります。いつもありがとうございます。

気をつけているつもりですがやはり多々あるみたいです。申し訳ありません。


いいね、評価、ブックマーク。新しくついているととても嬉しいです。はっぴー!



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ