第97話 重ねた
「朱音ちゃん、これで焼ける?」
「大丈夫ですよ。任せてください」
大須がハンバーグのタネをこねて成形する。ぺったんぺったんと空気を抜いてつくる大須は楽しそうだ。
少し時間はかかったが買い物を終えて俺たちは帰ってきた。朱音は終盤まごまごしていたし、大須ははしゃいでいた。
「ハンバーグってこうやってつくるんだね」
「そうですよ。ぜひ今度おうちでもお手伝いしてくださいね」
朱音が大須の横についてアレコレと指示をしているのを見ていた。大須が手伝いたいと言って朱音にお願いしたのだ。
前回、朱音のご飯が美味しかったことを両親に自慢したようで、次はぼくがママに作ってみせるんだ。と意気込んでいた。
「では、いまから火を使いますので大須くんは離れてくださいね」
「えー僕もやりたい」
「これはダメです。もう少し大きくなってからですね」
「……でも、ぼく
「大須、俺とポテトサラダつくろう?」
ごねる大須に声をかけた。まだ小学生になったばかりの大須に火は危ないし、単純に身長もガスコンロに足りてない。朱音は俺の言葉を聞いて頷く。
「大須くん、時人くんのお手伝いできますか?ハンバーグはここから味付けも無いですから焼くだけなんです。大須くんのママもここまで手伝ってもらえると助かると思いますよ」
「……うん。わかった」
渋々といった体で大須は頷いた。朱音がハンバーグの準備をする片手間に作っていた粉吹き芋は既にできている。ここからなら大須でも問題なく扱えるだろう。
事前にハンバーグの付け合せはポテトサラダだと聞いていた。朱音の作る手際はコレまでもよく見ている。ここまで進んでいれば俺でも手順は何となくわかる。
「俺もポテトサラダ初めて作るから一緒にしてくれるとたすかる」
「……仕方ないなあ。時兄ぃに付き合ってあげるよー」
俺が大須を説得しているうちに朱音がボウルに粉吹き芋を移した。あとは崩しつつ他の具材を混ぜていくだけだろう。木ベラを取り出してボウルと他の具材を持ってキッチンから離れる。コレだけなら狭いキッチン内より広いリビングのテーブルの方がいいだろう。
「では、お願いしますね。大須くん、時人くん」
「はーい」
すっかり調子を取り戻した大須は元気に答える。俺も朱音に軽く微笑んで口の動きだけで了承を伝えた。正しく伝わったようで朱音も自分の作業に戻った。テーブルのボウルの前に大須を座らせる。ハンバーグを気にもなっているようだが、ポテトサラダも気になるらしい。
「これ、もうつぶしていいの?」
「そうだな。うん。大須の好きな程度にしていいよ」
大須が木ベらで力を入れながらつぶしていく。朱音が手を振っていたのでちらりと見ると、朱音が酢を取り出していた。コレを入れろという指示らしい。立ち上がってキッチンに取りに行く。
「マヨネーズだけでいいと思ってた」
「それでもいいんですけど……。どうせならちゃんと覚えてもらった方が大須くんにいいかな。って」
「りょーかい。どれくらい?」
「小さじ1から2ほどで。入れすぎなければ問題ないです」
「……料理初心者には難しい指示だな」
軽く朱音と笑いあって大須の元に戻る。いまだ小さい手でジャガイモと闘っていた大須が微笑ましい。
「大須、ちょっとコレ入れるみたい」
「お酢?すっぱくなるよ?」
「そう思うだろ?でも朱音大先生からこうしろとのお達しだ」
「それは従わないと!」
朱音の指示通り小さじ1杯をボウルに入れる。やりたがった大須にさせてみると勢いよく酢を入れようとしたので少し焦ったが何とか朱音の指示の量入れることができた。
再び木ベらと格闘しはじめた大須を横目に酢をキッチンに戻す。既にハンバーグを焼き始めているキッチンは肉の焼けるいいにおいがしていた。
「酢ってどこにしまってたっけ?」
「この下です」
「ありがとう」
「大須くん問題なさそうですか?」
「まあいまのところジャガイモつぶすだけだし、機嫌も戻ったようだから問題なし」
「よかったです。荒熱が取れたらマヨネーズと具材いれて混ぜてくださいね」
朱音はフライパンに蓋をして蒸し焼きにしていた。料理中なのでこちらを見ることは無かったので気になっていたらしい。
「時兄ぃできたよー」
「おーちょっと待って」
大須が大きい声を出した。戻ってボウルの中を見るといい具合にマッシュされている。ほどよく芋も残っていて潰れ具合はばっちりだ。
「よくできてる。やるな大須」
「でしょー?僕もそう思う」
荒熱がとれたらっていうのがどれくらいかわからなかったが既に熱々ではないし問題ないだろう。朱音が準備していた具材とマヨネーズをボウルに入れてもう一度大須に混ぜるよう指示する。具材が程よく混ざって全体にマヨネーズが馴染めば完成だろう。混ぜていた木ベらについていたポテトサラダを指ですくって一口味見する。美味しくできている。と思う。
ずるいと言い張る大須にも味見を促すと、遠慮なく木ベらからがっつり指にとって口をつけた。
「美味しい!」
「さすが大須。よくできたな」
雑に大須を撫でて木ベらを預かる。あとはハンバーグに添えるだけだ。そろそろ向こうも完成に近いのだろう。いい匂いがリビングに広がっている。
「ハンバーグ美味しい!」
「美味しいよ」
いつものように感想を聞くと朱音が嬉しそうに微笑んでそこから食べはじめた。
「よかったです」
「時兄ぃ。これぼくが捏ねたんだよ」
「知ってるよ。見てた」
自慢げに笑う大須を見た俺たちも笑いを誘われる。普段は食べながらあまり話をしないが今日は大須を中心に賑やかな夕食となった。
「時兄ぃ、このポテトサラダもぼくが作った」
「知ってるって」
「上手にできてますよ」
朱音に褒められて大須は上機嫌だ。箸も進むらしく山盛りのご飯も既に空っぽだ。それに気づいた朱音がおかわりをよそう。今日は大須の前回の食べっぷりを考慮して朱音が多めに炊いていた。おかわりができないなんてことは無さそうだ。
「おなか一杯だー。もう食べられない」
「いい食べっぷりだったな」
「喜んでもらえてよかったです」
満腹になった大須がソファで横になっている。それを見て朱音が苦笑いしながら皿を洗っている。その横でお湯を沸かしながらポットを温める。朱音の好みの紅茶を取り出して準備すると朱音が嬉しそうにしているのが見えた。
「時兄ぃスマホなってるよー」
「誰って出てる?」
「えーっと……あ、おじいちゃんだ!でていい?でるね?」
返事を待たず大須はスマホを耳に当てていた。やれやれとため息をついて一旦火を止める。ソファに座って楽しそうに電話をしている大須に近づいて手を差し出すと素直にスマホを渡した。
『すいません。代わりました』
『お疲れ様です時人くん。今、大丈夫ですか?』
『今、ご飯も食べ終わってゆっくりとしているところなので問題ないです』
『そうですか。もう少ししたら大須を迎えにあがってもよろしいですか?』
『あーわかりました。大須にもそう伝えておきますね』
『ありがとうございます。今から閉店作業をしてからになりますので』
『わかりました。また近づいたら連絡もらえますか?』
『ええ。ではまた後で』
スマホを耳から離して通話を切る。話が若干聞こえていたようで大須がこちらを見上げていた。
「もうすぐマスターが迎えに来るってさ」
「そっかー。わかった!」
「……ごねると思ったが意外に素直だな」
「時兄ぃと朱音ちゃんともっとお話したいけれど、今日はお泊りの準備もないし……。家でママもパパも待ってるから。それに……」
一瞬間を空けて大須は抱きついてきた。
「大須?」
「また来ていいんだよね?」
「もちろん」
「じゃあまた来る!」
大須の髪を撫でると嬉しそうに笑った。可愛い弟分だ。それに俺自身大須と過ごすのは疲れることもあるが楽しい。
「私も楽しみにしていますから、また一緒に遊びましょうね」
「朱音ちゃんも!?やったー!」
洗い物が終わったらしい朱音がエプロンの紐を解きながら近づいてきた。何となく大須の反応が俺のときよりいい気がして笑ってしまう。
「次はまたお泊りするね!」
大須が朗らかに笑った。
「では、時人くん、朱音さん。ありがとうございました」
「いえ、俺も楽しかったですから」
「私も楽しかったです」
「僕も!」
車に乗って迎えに来たマスターに大須を引き渡す。暗くなったとはいえ外は蒸し暑い。それでもマスターは涼しげに微笑んでいる。
別れを告げて大須が助手席に座った。それを見てからマスターも一礼して運転席に乗り込む。走り出した車に手を振ってから俺たちはマンションに戻った。エレベーターで今日の感想を話しているとすぐに目的階に着く。朱音も帰る準備を終えていて、いつもより早いが今日はこれで解散となる。と思っていたが朱音は自分の部屋を通り過ぎた。
「朱音?帰らないの?」
「え、あ……。無意識に時人くんの部屋に向かってました」
屈託なく笑う朱音に釣られて笑ってしまう。それほどまでに俺の家も自分の場所だと認知してもらえているようだ。
「時人くん、もう少し一緒にいたいです」
「……俺もそうだよ」
「えへへ。ではまたお邪魔しますね」
「おかえり。朱音」
「ただいまです。時人くん」
もう一度俺たちは俺の家に戻った。
冷めた紅茶を淹れなおす。もう一度茶葉を蒸らすところから始めた。朱音はソファでゆっくりとしている。スマホを操作している彼女を見るのは珍しい気がした。
「何してるの?」
「大須くんが写真を送ってくれてるので見てます」
「大須と連絡先交換したんだ。俺にも見せて」
ソファの前にカップを二つ並べて朱音のスマホを二人で覗いた。大須がたくさん送っているそれは店で給仕をしている俺の写真から、テーブル席で朱音と自撮りしている写真。料理中の朱音や今日のハンバーグとポテトサラダ。こまめにとっているなと思っていたが大分たくさん撮っていたようだ。それを朱音はもらすことなく一つずつ保存していった。
「やっぱりこれカッコいいです」
朱音が見ていたのはライブの時の俺の写真。そうまじまじと見られると恥ずかしいのでスマホを横から操作して次の写真にスライドする。
「折角見てたのに」
「恥ずかしいから」
「後でゆっくり見るからいいです」
「……それは言わないでいいから」
少し不満げに言いつつも次の写真にと興味も移る。大須は過去の分も送っているようで前回の泊りに来たときの写真も混ざり始めた。
「懐かしいですね」
「アレから色々あったしな」
「本当に色々ありましたね」
大須がきたときは体育祭よりも前。色々とあった記憶も蘇る。
俺の至らぬ点から朱音と距離の空いたこともあった。友里の兄とのごたごたもあった。仲直りして距離も縮まった。テストが近づいて一緒に勉強することもあった。テストの賭けに勝って朱音の誕生日にデートもした。旅行にも行った。朱音の水着は今思い出してもドキドキとする。グループチャットに張られたその写真はすぐに保存してしまった。夜の海辺で恋人になった。バイト先に朱音が遊びに来た。そして今日、ライブにも朱音が来た。
前回の大須のお泊りのときから俺たちは紆余曲折を経て今がある。隣に座って写真を見ている朱音の横顔を見つめた。彼氏の贔屓目なしに見ても朱音は可愛い。でもそれ以上に朱音を愛おしく思った。
「あか
「ときひt」
俺たちの声が重なる。お互いの名前を丁度同じタイミングで口にした。
「どうした?朱音から話していいよ」
「ありがとうございます。じゃあ、そんな大層な話でもないですし私から」
朱音はクスりと笑って話し始めた。
「今日も楽しかったですね。時人くん」
ぽすりと朱音は頭を俺の肩に預けた。朱音の髪がふわりと揺れて朱音のいい匂いが鼻をくすぐる。その体勢のまま朱音は言葉を繋げる。
「大須くん。いい子ですよね。元気だけどはしゃぎ過ぎなくて?気遣いもできますし。素直で可愛いです」
「ああ。大須は小さいとき色々あってアイツなりの処世術を身につけたからな。あのコミュニケーション能力は俺も尊敬してるよ」
「そうなんですね。あんなに小さいのに苦労してたんですね」
「ま、今は元気だしトラウマとかもないし強いよ大須は」
ふと朱音の顔を覗くと眼鏡の奥の目は閉じられていた。朱音は何かに思いを寄せているようだった。
「すごいですね」
「すごいな」
唐突に語彙力をなくした朱音に俺も寄り添う。朱音の肩に腕を回して髪に触れる。ゆっくりと撫でると指先に髪がするりと通った。相変わらず柔らかで滑らかだ。
「……時人くん」
「どうした?」
「……。あの。今日大須くんと三人で料理して、一緒にご飯食べて……」
「うん」
「時人くんと……いずれこんな風に家族になるのかなって思いました」
朱音がしみじみと呟いた言葉に思わず撫でていた手が止まった。驚きと、嬉しさと。感動が入り混じる。
「朱音……。」
「ふふふ。時人くん。大好きです」
ゆっくりと目を開ける朱音。そのゆっくりの速度のままこちらを見上げた。お互いの視線がぶつかって、俺は口角の上がったその優しい笑顔に釘付けにされる。
「俺も好きだよ。朱音。さっき言いかけたこと俺も言っていい?」
「ありがとうございます。もちろんです」
「朱音、キスしていい?」
俺がさっき言いかけたこと。朱音が愛おしく思ってその全てに触れたくなった。抱きしめるだけじゃなくてそれ以上に。
一瞬目を丸くして驚きを見せた朱音だったが、微笑んでからゆっくりとその目が閉じられた。つまりそういうことだと思った。朱音の眼鏡をゆっくりと外して机に置く。
そして、俺たちは唇を重ねた。
朱音の唇は柔らかくて、それでも確かな弾力がそこにあった。唇から朱音の体温を感じて、そこから朱音の気持ちも流れてくるようだった。ただ、幸せな思いに包まれる。これは俺一人分だけじゃなく、朱音の幸せもあるのだと思った。
どれくらいの時間が流れただろうか。何時間とも一瞬だったとも感じられる。温かくやさしかったそれを終えてゆっくりと顔を離す。
「なんていうか……すごかったです。ドキドキしてます」
「あーうん。すごかった。うん」
朱音がドキドキとしているというのはしっかり伝わっていた。これだけ近くにいると朱音の心臓まで感じられるようだ。
感想を言うもお互いにまた語彙力をなくしてしまう。
「朱音。好きだよ」
それでも何か言いたくて想いを告げる。
「私も時人くんが大好きです」
朱音の嬉しそうな笑顔にまた幸せな気持ちに包まれる。遅れてやってきた気持ちに思わず手の甲で口元を隠した。
「あーダメだ。嬉しすぎてにやける」
それを聞いた朱音がにやりと笑って俺の手を無理やり顔から外した。そして引っ張ったその勢いのまま朱音から俺にキスする。一瞬の接触。さっきよりも短いけれど、朱音からのそれに嬉しくなる。
「えへへ。私からもしたかったです」
朱音は耳まで真っ赤にしながら笑った。おそらく俺の顔も同じくらい赤いだろう。朱音は笑顔のまま額を俺の額にくっつけた。朱音は額まで熱い。俺の熱もあるだろうが。俺たちはお互いに目を逸らさない。至近距離で見る朱音の瞳はとても綺麗だ。
「朱音。好きだよ。これからもずっと」
「知ってますよ。時人くん。私も好きです。これからもずっと」
「俺も知ってる」
俺たちは笑いあった。
幸せな気持ちに溢れた時間だった。いつまでも朱音と笑いあっていた。
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