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入って一番奥、窓際のパイプ椅子に腰かけ優雅に読書を嗜んでいるイケメンを発見する。俺は短距離ランナー並みの俊足で近づき、走り幅跳びの選手並みの跳躍力で殴り掛かった。
数秒後、気づいたら俺は床にうつ伏せに倒れていた。イケメンに両腕を掴まれた後、足をかけられバランスを崩し倒される。なすすべもなかった、両腕は後ろでイケメンにつかまれていて身動きがとれない。
「何なんだ、お前は。……もしかしてヤク中か?おい、警備の人を呼んでくれ」
「ちょっと待ってください!」
俺は大声で皆を制する。入学式の日から問題児として目を付けられるのは避けたい。
まずは、誤解を解かなくては。首を極限まで後ろに捻り、イケメンに弁解を図る。
「俺は薬なんてやってません」
「ではお前はここに何しに来たのだ?」
「ムカつくイケメンを殴りに来ました」
俺の腕を掴む力が強くなる。痛い痛い!関節が捻じ切れる!
正直に理由を話したのに、どうしてこんな目に遭わなければいけないんだ。
「まあまあ耀も落ち着いてよ。もしかしたら、入部希望者かもしれないよ?」
横から女性の声が聞こえる。女性は長テーブルの反対側にいるため姿を確認することはできないが、俺にとってはまさに助けに船だ。ここは女性の話に乗っておくことが、この場を乗り切るための最善だろう。
女性は立ち上がると、テーブルをぐるりと回り俺たちの方にやってくる。全くの他人だが、俺には天使のようにすら見えた。
「君は入部希望の子?」
「はいっ!実はそうなんで……なんだこのクソダサ美少女は」
「クソダサ……!」
俺の言葉に笑顔で近づいてきた女性の表情は固まった。しまった、初対面の女性相手に配慮が足りなかった。もっと丁寧な言葉遣いで言う必要がある。地べたに顎をつけながら、何とか女性の眼を見て俺は口を開く。
「すいません、言葉が過ぎました。顔は綺麗なのに、ファッションセンスが壊滅的でいとおかしと言いたかったんです」
「耀、一本折って」
俺の関節を極める力が強くなる。丁寧に昔の言葉も使ったのにどうしてなんだ。
というか、胸に毛糸の熊の刺繍がされたボソボソの緑のニットに膝上ぐらいのタイトなピンクのミニスカート、おまけに紫のニーハイって……完全にフルコンボじゃないか!!
……などと心の中で叫んでいる間に俺の意識は飛んでいった……。
「つまり、耀に嫉妬して暴力に訴えたってことね。全く、早く言ってくれればよかったのに」
数分間の気絶状態から戻った俺は、クソダサ美少女に全てを話した。本当はすぐにでも逃げ出したかったが、パイプ椅子にくくりつけるように両手両足をロープで縛られているため、どうすることも出来なかった。
改めて、室内を見渡す。中央には木で出来た八人掛けの長テーブル、横にはよくわからない落書きがされたホワイトボード、反対側には二メートルほどの本棚が二架ある。中には少女漫画や恋愛指南書など、大分偏ったものが入っている。それ以外にも冷蔵庫やパソコン、バットにグローブなど様々なものが置かれている。
現在、この部屋にいる人間は俺含めて三人。斜め右で退屈そうに難しそうな本を読んでいる、耀とかいう名前のイケメンくそ野郎。斜め左で微笑んでいるクソダサ美少女。……顔はいいんだけどなぁ。
「あなた、やっぱりうちのサークルに入ってみない?」
ここから逃げ出すためにどうしようかと考えていると、女性は俺の顔を覗き見るようにして言ってきた。テニスサークルで大学生活を謳歌しようと考えている俺からすれば、正直、全く入る気はない(そもそもここがどんなサークルかすら知らない)。だが、下手に断って相手の機嫌を損ねてしまっては、逃げ出すチャンスを失ってしまう。
「あの、ここってどんなサークルなんですか?俺、LECっていうサークル名しか知らなくて」
言うと、女性は待ってましたと言わんばかりに眼を輝かせた。バタバタとパソコンが置かれている机に向かうと、引き出しから薄い冊子を持ってきて俺の前で見せてきた。表紙には、LEC(Love Experience Club)と書かれており、漫画タッチで男女が楽しそうにしている様子が描かれている。LEC、日本語にすると"恋愛体験部"というところだろうか。……うん、全然わからない。とりあえずは話の続きを待とう。
「そういえば、あなた名前は?」
「新戸道貞です」
「じゃあ道貞ね。道貞は、彼女がいたことはある?」
この女、いきなり爆弾ぶっこんできやがった。
返答までの数秒間、俺の脳みそはフル回転していた。十八年間の人生で彼女などいたことがない。中学時代、好きな人が出来ても告白する勇気がなく気づいたらその人はサッカー部のイケイケの先輩と付き合っていた。スカートの丈がどんどん短くなっていく様を見るのは心が痛かった。高校時代、男子校であるが故友達と街でナンパを試みたが、ことごとく失敗。めちゃくちゃ遊んでそうな金髪ギャルに「性欲で動いている感じがキモイ」と言われたことは今でも覚えている。
……まあ、昔話はこの辺にして。今の問題は、"どう返答するべきか"だ。真実を言うことは簡単だが、それは俺のプライドが許さない。彼女がいないイコール魅力のない男性と認識されるのは避けたい。
……仕方ない。いつも使っているアレでいこう。
「いないですねぇ……今は」
いないという事実は変わらないが、"今は"を入れることでまるで昔はいたかのように聞こえる。追及されない限りは、これで逃れることが可能だ。
俺の言葉を聞くと、女性は優しく微笑み「そっか。わかったよ」と言って冊子をめくった。どうやら追及はなさそうだ。俺はホッと胸をなでおろす。冊子には"こんな人はLECに入るべき"と書かれている。視線を下におろして文字を目で追う。
"今まで彼氏・彼女がいなかった人"
「道貞にぴったりだと思うの」
「ちょっと待ってください」
俺は喰い気味に口を開いた。この女、俺が彼女出来たことないことを知ってやがったな。さっきの微笑みは憐みだったのか。くそ、ただただ俺が恥かいただけじゃないか。
……頭の中を整理する。恋愛未経験の男女を集める。サークル名は恋愛体験部。そこから導き出される結論は……。
「もしかして、ヤリサーですか!?」
「失礼な!」
女性は憤慨した様子で声を大きくした。どうやら違ったようだ。だが、今までの情報から出る答えとしては何も間違ってないと思うのだが……。
女性は大きくため息をつくと、見るポイントを指で示しながら説明をする。
「いい?ほとんどの大学生が大学に入る時、彼氏・彼女を作って楽しいキャンパスライフを送りたいと考える。でもね、その希望が叶う人はそんなに多くない。特に、今まで出来ていなかった人は大学に入っていない人が多い。
どうしてか、それは経験がないからなの。
よく考えてみて。道貞が彼女を作ろうと思った時に、いきなり告白してもまず玉砕してしまう。まずは仲良くなって少しずつそういう雰囲気に持っていく必要がある。でも、そのためにどうすればいいかわかる?男友達じゃなくて、気になる異性と仲良くなる方法が、道貞にわかる?遊びに誘う時はどこに?どんな内容の話を?それがわからないから、いつまでたってもフラれてばかりなの。
じゃあ、失敗しないためにどうすればいいか。それは、経験を重ねる他ない。でも実戦で失敗するととても恥ずかしいし、ショックで三日は寝込んでしまう。だから、LECで練習するの」
そこまで言ったところで、一息ついた女性は俺の方を見る。
確かに、理に適ってる。要は、"恋愛を成功させるために疑似体験をして練習する"というのがLECの活動内容ということだ。今のところ、とても魅力的に聞こえる。大学生の本分は勉強なんかではなく、恋愛と娯楽であることを考えると、LECは必修事項なのではないかという気すらしてくる。
しかし、それはLECでの練習が実戦で役立つ場合だ。多分だが、LECには恋愛経験豊富な人はほとんどいないだろう。
まずは、この部のレベルを確かめる必要がある。
「LECでの活動が私にとって有益だと判断できれば、入ってあげないこともないです」
「縄で縛られている人間が随分偉そうだな」
視線を本に落としたまま言ってくる耀さん(一応先輩なのでさん付け)のことは一旦スルーして、目の前の女性を見つめる。