3話 防御力ゼロおじさん
三月の半ば、そろそろ桜の季節だ。
俺は会社の食堂で死んだ目をさせ、疲労困憊して既に食べ物を消化する事を半ば放棄した胃に昼飯を流し込みながら、ぼんやりと思索に耽っていた。お題は言葉と思考について。
人は言葉という檻に二重に囚われている。
一つは、人間の思考は言葉によって形作られているために、言語の枠組みの範囲を越える事は思考出来ないという事だ。実際ウィトゲンシュタインは言語の限界は世界の限界と言ったそうな。
今ではほとんど使われなくなった言葉だが、大阪弁には辛気臭いという言い回しがある。これは標準語には置き換えが不可能な言葉だが(実際には言葉を尽くせば可能と思われるが、一言で言い表せない上に微妙なニュアンスは伝わらないかもしれない)、他県民は辛気臭いという言葉が相応しい状況に遭遇したときどういった思考のアクションを取るのだろうか?
もっと言うと、使用言語によって世界観が変わるのではないか?
二つ目は、人間は絶えず何か行動を起こし、その結果何かが生み出される。そして生み出された創作物や制作物、成果によって、作り手自身が何者であるかを規定される。つまりニートはうんこ製造機だ。
そして、思考や言葉もこの例外ではない。彼が思った事、話した事は彼を規定しその積み重ねが彼の人格となる。
仏教用語に薫習という言葉がある。簡単に言うと、自分の思考の習慣がオーラになって自身から滲み出る(更には他人へそのオーラが波及する)というような意味だ。それにも似ている。
ところでこの薫習にしても創作物、制作物、成果にしても第三者による観測が必要だが……
と、思索に耽っているところで視界がぐらりと歪んだ。
これは不味いな、と思った時には既に平衡感覚は失われ、視界は暗転していた。
◇◇
目を覚ましたら草原に小高い山という、いつか見た風景がひろがっていて、やはり今回も前回と同様、これは夢で自然と目が覚めるのではないか、と動かずに待機していた。
ところで、前回もそうだったのだが俺は何も持っていないどころか何も着ていない。いわゆる全裸というやつだ。
今のところ誰にも遭遇してはいないが、仮にここが異世界か何かでモンスターにでも遭遇したら瞬殺されてしまうだろう。
全裸なのだからおそらく、メイプルちゃんもびっくりの防御力ゼロだ。同年代の自己防衛おじさんにも顔向けできないねこりゃ。
防御力に割り振れるポイントは勿論持ち合わせていないし、そもそもそんなメニューも呼び出せない。夢の中なんだしそのくらいは融通を利かせてくれても良いと思うのですが。
とにかく誰にも遭遇していないとはいえ、今後とも遭遇しないとも言えないので、隠すところは隠しておくか。なろうの規約違反になるかもしれないしな! つってもそこらへんに生えてる葉っぱを手で持って隠すという間抜けな姿ではあるが……
体感的には小一時間経過したが、特に何もイベントが発生しないので少し辺りを徘徊する事にした。
草木が一面に広がっているのに荒涼とした大地に感じられた理由は徘徊して程なく理解した。いまのところ虫や動物にすら一切遭遇しておらず、その静けさに不気味さを無意識に感じていたのだろう。風が吹いて草木を揺らすサーッという音がするくらいだ。これでは人間もモンスターも存在するのか、かなり望み薄になってきた。
いつまでこのままかわからないので一応は水でも探しとくか。水があれば何でもできるってアイカツでも言ってたしな。
仮に、これが夢ではなく異世界転移か何かだとしたら食料も探さないといけないが、現状では夢か異世界転移か判断はできないからとりあえず保留。というかいまのところ食料になりそうなものはあるのか甚だ疑問だ。
見渡す限りの草と木。そして俺には食べれる植物の知識は持ち合わせていない。
適当にふらついてたら川にぶちあたった。それなりに大きな川で、俺にも馴染みが深い淀川と同じくらいの川幅がある。
そしてこの淀川(仮称)にも生命の気配は一切感じられず、やはり不気味な感じだ。
現実世界の淀川は、見てくれは大きなドブ川のようだが、あれでいて結構生き物は棲んでいたのよ。釣りをすればハゼやチヌ、漁に出ればしじみやウナギが獲れて、河川敷にはホームレスが無断で畑を耕し、テトラポットに蠢くフナムシ……俺が小学生の頃はエロ本が散乱していたので、一攫千金を夢見て状態の良いエロ本を血眼で探していた(そして古本屋で売る)。
思考が脱線してしまった。ともかく飲める水か確認だ。虫や動物が存在しない世界なら恐らく汚染されてはいないだろう。そんな環境で植物が普通に生息してるのはちょっとよくわからないけど、まぁいいや。
川岸から水面を見ても透明度は良好に感じられた。手ですくって匂いを嗅いでみるがこれも問題ない。後は寄生虫とかの心配だが、残念ながら火を起こせないので、そのまま飲むしかないのか。一口だけ飲んで体調に変化がないか様子をみることにした。
靴も履かずに歩いていたので足も結構痛くなってきたし、ついでに少し休憩しよう。
体感的に更に小一時間経過したが、特に問題が無いようなのでコップ1杯分ほど水分補給して、次は小高い山を登ることにした。
高台から周りを見渡せば現状を把握出来るかもしれないからだ。
とは言え、そのうち現実世界からお迎えが来るかもしれないけど念の為。
山、とは言っても標高100メートルどころか50メートルも無いのでは無いだろうか。程なくして登り切り、開けた高台に足を運……
と、思ったところで高台にまさかの人がいた。咄嗟に木の後ろに隠れて様子を伺う。
彼(彼女?)は高台から眼下の平地を見下ろし、微動だにしていない。そして……ほぼ全裸の俺とは違い、服を着ていた。




