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プロローグ 旅をしませんか?①

 文章を書いた事がある人は分かるかと思うが、文章の冒頭をどのように書くか、ここで躓いてしまい、本題までたどり着くのに四苦八苦する事が良くある。小説の冒頭となればなおさらだ。

 文章を書いた人なんていないと思うので、恐らくこれは全人類共通の悩みなのでは、と思われる。

 小説の内容についてあんなに思いを巡らせていたのに、いざ書こうと真っ白な、メモアプリを起動させたスマホを目の前にすると頭も真っ白になってしまうのだ。

 頭の中で考えてる事を早く全部書き終えて楽になりたい。

頭の中では文章が固まっているはずなのに……

 そんな思いとは裏腹に、書き出した途端に違和感を覚え、書いた冒頭を消してはまた書き出して、を繰り返す。


 俺、吉川翔平は、買って10年以上になる金具が錆び付いた年代物のアーロンチェアに深く腰掛け、真っ白な画面のスマホと向き合って、ふそんな泥沼にどっぷり嵌っていた。


 今座っている上質な座り心地のアーロンチェアは、ここ最近まで背もたれに服やタオル等を掛ける用途にしか使っていなかったが、ものぐさな性格と日々の生活が多忙を極めていて、とてもではないが背もたれに積もっていく布製品をどかしてまで座る気ににはなれなかったし、自宅のデスクに座って何か作業をする暇も特に無かったので数年間放置されたままだった。

 しかし荒んでいく生活についに耐えられなくなり、この前の日曜日に家事代行業者も交えて大々的に自宅の大掃除と模様替えを敢行した。


 日々の生活を送る中でインプットばかりが蓄積されていく。

 そんな自分自身を体現したかのような雑多になってしまった自宅……

 本棚から溢れた未整理の本や漫画やアニメグッズの数々。

 散乱した服。

 デスクの上を片付ける気が起こらず、床に直置きされたノートパソコンと趣味のDJ機材(飽きてしまってオブジェと化したが)……

 等々を一切合切、必要なものとそうでないものとを分別し、不用品は問答無用でゴミ袋に突っ込んでいく家事代行業者の手際は流石としか言いようが無かった。


 お陰で自宅はすっきりと整理されて広々としており、相変わらず日々の生活で身体から疲労感は抜けないものの、その思考はすっきりとしていて、憑き物が取れたようだ。


 自己紹介がまだだったのでここで軽くしておこう。

 俺、吉川翔平は……何だっけ、いざ自己紹介をしようとしても特に何も思いつかない。

 毎日忙しく働き、帰ってビールをかっくらって寝る。そんな空虚な生活を送っているうちに、気がついたら35になっていた。

 実家は自宅と同じく大阪市内にあるにはあるが、親のスケジュールが分からず、ここ数年会うことも無ければ連絡も取っていない。

 実家に住んでいれば早く孫の顔を見せろ等とせっつかれる事もあるだろうが、その様なプレッシャーとは無縁だ。

 30代も後半に差し掛かり、意識するのはいずれ訪れるだろう死についてだ。

 なんの取り柄もなく伴侶もいなければ子供もいない。

 何も後世に残すことが無く孤独のうちに死んでいくのかという、漠然とした諦めのような不安とも焦りとも思えるような何か。

 そんな感情を持つようになったのはいつからか……

 何かにつけてものぐさな俺は伴侶を持つ気力も沸かず、てっとり早く自分がこの世に生きたという証を残しておきたいと思った。

 そこで小説を書こう、と思った訳だ。

 人は日々生きているだけで様々な情報を得て、様々な物語を生み出し、様々な物語を記憶に残していく。

 本で、ネットで、テレビで情報を得て。

 家族と、恋人と、友人と、職場の同僚と、SNSで交流がある人と、日々色々な人と会話し、交流し。

 テレビドラマや、動画配信や、街角や、漫画で色んな物語に触れて記憶に残していく。

 俺も例外では無い。人は誰でも書こうと思えば小説を書けるとすら思える。


 しかしながら結果はこの通り、冒頭を書く事すら覚束無いでいるのだ。

 スマホを手に文章を綴ろうとすると、様々な思いがいちどきに押し寄せて収拾がつかなくなってしまうようだ。

 書きたい事は脳の容量を遥かに凌駕し、ポロポロと零れいく。

 書いてから事後的に分かる事だが、どうやら書きたいと頭の中で考えていた事は完全に言語化されていないようなのだ。

 書いても違和感を覚えるのは頷ける。


 せめて小説の中でくらいは、全て自分の思いのままにコントロール出来る神のような存在になりたいと思っていた。

 神になりたかった。小説の中でなら完全無欠の世界を生み出せると、そう思っていた。

 しかし、そんな幻想は呆気なく崩れていった。


 また、もう一つの欠陥も露呈してきていた。

 文章から滲み出る深みというか、それに裏打ちされた人生経験の圧倒的な不足だ。

 自分がこの世に存在したという証を残す行為という魂の解放よりも、日々の慰めのためにこれまでの人生を消費してきたツケがここで出てしまったのだ。


 俺は少し考えるのを中断と思い、一旦瞼を下ろし目を閉じた。

 静寂は心地よく尊ぶべきものではあるが、俺にとって贅沢品だ。

 自宅は大阪市の中心部に割と近い駅前の商業地域に立地し、ベランダを開けるとそこには大通りと高速道路と鉄道の高架という3点セットを上から眺められるという具合だ。

 利便性というベネフィットと引き換えに喧騒の中で生活する事を強いられている。

 ふと、静寂の中に身を置きたくなった時も、一体それは電車に何時間乗って何時間歩けば手に入れらるのかと自分を説き伏せ、喧騒に耐えて日々を過ごしていた。

 だからせめて、何も考えたくなくなった時には目を閉じて何も見ないようにしていた。

 外からは駅前からと思われる政治家の演説や、大通りや高速道路を行き交う車の走行音が断続的に聞こえてくるが、目を閉じれば何も見えないだけ幾分マシではあるという程度だが。

 京都の山奥のどこかのお寺にでも行って座禅体験でもしてくれば良いのかとも思ったが、電車で一時間の京都ですら俺には中々遠いと思う上に、京都は既にハイエンドな観光地(当社比)の地位から転落してしまって久しい。

 外国人観光客が大挙として訪れる大阪とさほど変わらないか、もっと酷い状況なのだろう。

 もっとも、最近ではコロナウイルスの影響で京都も訪れる人が減っているというニュースを良く目にするが……暖かくなったら検討する事にしよう。


 目を閉じて、更に都市の喧騒から耳を背けると次に聴こえてくるのは部屋に置かれたスピーカーから奏でられる音楽に意識が向けられた。

 最近では、サブスクリプションサービスのお陰で色々な音楽を安価に聴けるようになり、サービスの利用を開始してしばらくは色んなジャンルを片っ端から縦横無尽に横断し、視聴するように聴いていたが、最近Twitterで交流のある知人が、懐メロを聴いているという事を知ってから、俺も懐メロを聴き出すようになった。

 今流れているのはhide with Spread BeaverのROCKET DIVEという曲だ。

 俺が中学生の頃の曲で、懐メロと呼称するにはやや時期尚早だと思われたが、二十歳前後の若い子的には90年代も懐メロだと言うので(よく考えたらもう既に2020年だし当然だ)まぁそうかと思い、自分の辞書の中の懐メロの定義を修正した次第だ。


 子供時代の頃に流行した曲を聴いてると、自然と子供時代の記憶が喚起される。

 hideの曲は、その中でも特に思い出深い部類に入る。

 こんな時は少し、思い出に浸るのも良いだろう。



 小学5年の新年度が始まった。

 5年はクラス替えが行われるので、4月の中旬の頃はやや緊張感があった教室の雰囲気も、GW明けにはいい感じに弛緩した雰囲気になっていた。

当時の大阪市のクラス替えは3年生と5年生の時に行われる(今もこの制度が継続していると思われる)。

 つまり、5年生の時のクラス替えは小学生生活最後のものであり、6年生の卒業式までこのメンバーで閉鎖空間を過ごすことになるのだ。

 常に一緒に過ごすことになる友達も厳選したいだろう。

 男の子の方はスクールカースト(当時は、この便利な言葉は存在しなかった)は形成されずに、自然と帰り道が同じ方向どうしでグループが形成されていった訳だが、女の子の方はグループ分けに3年生の頃とは変化があったようだ。

 明らかに容姿が優れているか、当時の流行りだったコギャル的な雰囲気の流行に乗っている女の子だけのグループが出来たからだ。(我々男子達は密かに一軍と呼んでいた)

 とは言え、所詮小学生だし大阪市内でも取り分け繁華街から程遠い地味な地区の小学校だったので、どこぞのロリコン御用達のエロ漫画に登場するようなメスガキのように援交に手を染めたりするような雰囲気では無かった(はず)。

 そんな彼女達は俺にとっては割と高嶺の花……だったような気がしたんだが、放課後何かと遊んだような記憶もあるし、遠足や修学旅行のグループ分けの時も何故かグループに誘われて同行したが、どうにも記憶が朧けだ。


 まぁいいや、そんなこんなで中学生になった俺は陸上部に入る事にした。

 足が早い訳でも運動が得意な訳でも無かったが、何か青春の汗を軽く流せてあんまり活発に活動してないような地味なところが良いなぁ、と思って消去法で選んだ結果だ。

 陸上部は3年生の女の先輩が3人だけのところに対し、新入部員が男8人、女5人と一気に大所帯になった。

 女5人というのは小学5、6年の頃のクラスメイトの一軍のグループだ。

 他の部でも小学時代の女の子の仲良しグループがそっくりそのまま同じ部に入るという事がまま見られたが、よりにもよって何故陸上部を選んだのか……そういえばこいつら小学時代に50m走の記録でクラスの上位を独占してたな、そういや。

 男の方は小学生の時は校区外だった別の地区の奴らだった。

 彼らとはすぐに打ち解ける事が出来たとは思うが、休みの日にまでわざわざ会って遊ぶまでの仲にはならなかった。

 彼らはその別の地区では不良とまではいかないでも喧嘩が強く、こちらの地区の喧嘩が強い奴らと抗争(笑)になっていたというのは後に知った話だった。

 彼らは喧嘩が強いだけあって運動能力は高い事が判明し、それに合わせて練習の強度も上げられる事となった。

 俺がついていけるかいけないかのところギリギリのところだったが、まぁ何とか毎日練習に行きましたよ。

 かるーく青春の汗を流すはずだったのが、こんなにハードな事になるのは大誤算ではあるが、まぁこういうのも悪く無いかと思えたのは部の雰囲気が割と良く、能力的に劣る俺でも居心地は悪くなかったからだ。

 部の顧問の先生は、何故かおばちゃんの国語の先生だったが長年陸上部に携わっていたらしく、部員の成長に合わせた練習メニューの強化のタイミングの勘所のような物を心得ているようだ。

 日増しに徐々に忍者の麻ジャンプのように強化されていく練習だが、夏休みの半ばでついに脱落者が出た。女子組の方だ。

 仲良しグループなのでまとめて辞めてしまうのかと思っていたが、Mという子が一人だけ残った。

 男子組の方にも二学期の始めに問題が起こった。喫煙の流行と蔓延だ。

 俺は一回試してたが「なんでこんな苦い煙に金払わなあかんねん」と思って、それ以降は関わってないが、俺以外の奴らは喫煙が習慣になって徐々に練習についていけなくなった上に、不良グループとつるむようになり練習にも来なくなり、しまいには辞めていってしまった。

 8月の試合で3年生も既に引退していたので、9月の終わりには陸上部の部員はMと俺だけとなってしまった。

 補足しておくと、当陸上部は男女の練習メニューに違いは無く当然男女共同で練習が行われた。

 2人がかりで行うストレッチ(長座前屈とか)も共通だが、これまでは男女共に偶数だったので男女が身体を密着させる不健全な事態にはならなかった。

 が、これからはそんな事態になるのかと思うと心が重いような……不意に息子が元気になってしまったら幻滅されてしまうだろうという不安があった。

 しかし杞憂だったとすぐに判明した、いざストレッチを行う事になっても特に息子が反応する事は無かった。

 見てくれは校内でもトップクラスで、触った身体も柔らかいしほんのりいい匂いもする。

 そして、俺はオナニーを覚えたての中一だ。

 今考えたら、そんな状況下でよく耐えたと我ながら関心する。

 そして、そんな状況下からかMとも次第に仲良くなり休みの日には一緒に遊んだりもした。

 何をして遊ぶかというと2人でチャリに乗ってその辺をフラフラしたり、幽霊屋敷と呼ばれる空き家に入って、宅配ピザを注文して2人で食べたりしてただけなんだけれども、それでも割と楽しかった。


 部活の練習はあまりモチベーションは上がらないというか、そもそもやる気はあんまり無かったんだけども……

 惰性で練習を続けている俺に対してMは元々運動能力が高かったせいか、モチベーションも高かった。

 秋の大会ではMは100mに出場し、1年生の割にはかなり健闘していた(予選ではあるが、8人中3位だったと記憶している)訳だし、そんな彼女を間近で見て、せめて来年までは陸上部を辞めないでいようと思った。



 回想の途中でふと顔を上げれば、外は夜の闇に包まれていた。

 今日はこの辺にしておいて、溜まっている家事を片付けないといけない、と椅子から立ち上がった。


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