外の世界へ
「ウィラ様!」
魔女の洞穴から出てそのまま海面に上がろうとしたウィラに声をかけたのは、少年を共に助けた二人兵士だった。
この二人なら見逃してもらえると思ったウィラなのだが、上司にかなり強く言われているためか、それとも使命感なのか、彼女は王宮に連れ戻される。
王が待ち構えており、ヒルダと共に長い説教を食らうことになった。
魔女を嫌う王に、彼女の棲みかに行ったと言えば迷惑をかけてしまうと、二人は行き先については口を噤み、ウィラは今度は厳重に自室謹慎を言い渡される。
ヒルダを始め姉たちが彼女の逃亡を助けないように、二週間は面談禁止ともなり、ウィラは今度こそ肩を落として部屋に引きこもることになった。
「ウィラ様。編み物でもしませんか?」
侍女のリブがそんな彼女を気にかけ、ウィラは渋々編み物をすることになった。海藻を使った編み物で、赤と緑の海藻を使い器用に編み込んでいく。ウィラは意外にこの編み物を得意で、ノアに腕輪を作ってあげたこともあった。
(ノアと結局、話もしていない。誕生日を祝ってくれようとしたのに、私は彼の言葉を遮ってしまった。……でも)
編み物をしながら彼女はノアのことを考える。
けれどもすぐにヒルダの姿を浮かんで、ウィラは首を横に振った。
(ノアはヒルダ姉様が好きなのだもの。それよりこの謹慎がとけたら、すぐに海面に上がって人間になろう。そうして、ノアのことを忘れてしまおう)
「ウィラ様?」
首を振ったり、妙に考え込んだりする彼女を気にして、リブが尋ねる。
「なんでもないわ。ありがとう」
(人間になったらもう元には戻れない。リブ、姉様たち、父上……。私は……)
魔女の前では人間になると言い切っていたが、彼女には迷いが出てきていた。人間になったら、もう家族や侍女、海底の棲む人魚たちには会えなくなる。
そうして、謹慎中、ウィラは答えが出ないまま過ごすことになった。
二週間後、王に呼ばれ王室へ伺ったウィラは、この人間になるかならないかという迷いのため、かなり落ち込んでおり、王が心配するほどだった。
したがって反省していると思われ、予定通り謹慎は解かれた。
謹慎とともに面会謝絶もなくなり、ウィラに会いたくて我慢していた姉たちがひっきりなしに訪れる。四番目の姉たちまで現れ、最後に姿を見せたのはヒルダだった。
「この二週間、姉様たちとも話したんだけど、ウィラってノアのことが好きなのよね?」
(何を言っているの。今更。それを知ってどうするの?ヒルダ姉様はノアの……)
「もしかして、勘違いしていない?」
少し怒った表情で黙りこくるウィラにヒルダが問いかける。ますます眉を吊り上げた彼女を見て、ヒルダはため息をついた。
「おかしいと思ったのよね。前はあんなになついてくれたのに。最近冷たくて……。私はノアのこと、好きじゃないから」
「え?」
(どういう意味?)
ウィラの反応を見てヒルダは眉を潜め、大きな息を吐く。
「ああ、やっぱり。傷つくわ!私が大好きなのはあ、な、た!ウィラよ。ノアなんて、ウィラにくっつく虫だと思ってけん制していたら、勘違いされていたのね!本当にもう!」
「ヒルダ姉様?」
「だから、ウィラ。私はあなたが大好きで、ノアに会いたいって言ったのは、どんな虫か見るためだったの。他意はまったくないの。なのにあなたったらどんどん冷たくなるし、もう!」
(そ、そんな。私の勘違いなの?!だったら、もう人間になる必要なんてないわ。だってノアと一緒にずっといられるもの)
ウィラはベッドの枕元に隠していた人間になるための薬を手に取る。そしてその瓶を首にかけた。
(薬は魔女のおば様に返す。もう必要ないもの!)
「ウィラ!」
突然扉に向かって泳ぎだした彼女にヒルダが声をかける。
「魔女の洞穴に行ってくる。謝らなくきゃ!」
扉を開けて、ウィラは飛び出していった。
ヒルダは大きく息を吐いたが、可愛い妹のためだと魔女の洞穴に行った妹の動向を隠すため、王の目を欺く算段を考え始めた。
☆
「ウィラ!お前はまだ海底にいたのかい?しかもまだ人魚じゃないかい!」
魔女の洞穴を訪れると魔女しかおらず、しかも仰天された。
「まったく、なんてこと。あの子をけしかけてしまって。ああ」
ウィラは魔女の珍しく慌てる様子を見て、首をかしげる。
「ノアがどうかしたの?けしかけるって?」
「……ノアはお前を追って人間になることにしたのだよ。今頃は人間の世界で大変な目に合っているだろうね」
「え?どうして、そんなこと」
ノアが自分を追いかけるなど予想もしておらず、ウィラは驚くしかなかった。
同時に嬉しいと思いも浮かんできて、どうしようもないと思ったが。
魔女はそんなウィラを少し呆れたように見ており、大仰に首を振る。
「無事でいるといいのだけど。あの子は一度殺されてかけているからね。また殺されかける可能性もある。今度は海じゃないだろうし。ああ、どうしたら」
(殺されるってどういうこと?ノアは元は人間だったの?)
「ウィラ。ノアはカスペルという名の人間だったんだよ。海で死にかけたあの子を助けるため、私は魂を奪いあの子を人魚にした。人間に戻りたいっていうから魂を返してあげたんだよ。だけど……」
(ノア、カスペル……。ノアが困っているなら助けるわ。だって、彼は私のために人間に戻ってくれたもの)
「私が行くわ。もともとは私が人間になるつもりだったもの。人間になってノアを助けるの」
「ああ。ウィラ。ありがとう、ノアを助けておくれ」
魔女は少し含みのある笑い方をしたがウィラが気が付くことはなかった。
彼女はまだ大切なことをつたえていなかった。
ノアがおそらく記憶を失っていること……、彼が人間の世界では身分の高い者であることなど。
ウィラはノアを助けるという使命感を抱き、洞穴を出た後をまっすぐ海岸を目指す。今後は誰にも邪魔されることなく陸に辿り着いた。
「ノア。あなたのことが好き。だから待っていて」
人間になると言葉を話せなくなる。
だからこれが最後の言葉になるだろうと、海岸から見える立派な王城を仰ぎながらつぶやく。
そして首からぶら下げていた瓶のコルクを外すと、中身を飲み干した。