夢と現実
「ウィラ」
黒髪に、黒い瞳の少年が笑いかける。
「大丈夫なの?」
「うん。君のおかげだよ」
少年は白いシャツの上に、立派な青色のジャケットを羽織っていた。もちろん、ズボンも履いていて、彼女に手を差しだす。
自然とその手を取って、ウィラは気が付いた。
彼女は人間の女性が着るようなドレスを身に着けている。ウィラが大好きなピンク色のドレスで、おかしいことに尾びれはなく、ドレスと同色の靴を履いていた。
「おいで」
少年に導かれるまま、彼女は建物の中に足を踏み入れる。
海の中の王宮とは異なる世界がそこには広がっていた。見たこともない食べ物、火が灯された蝋燭で照らされる照明、人魚たちよりもさらに着飾った婦人たちが優雅にステップを踏む。音楽は少年が聞かせてくれたものよりも明るい、軽快な演舞曲。
戸惑うウィラの手を取り、踊りだす少年。足を使い慣れていない彼女は転倒しそうになるが、少年がその窮地を救いその胸に抱く。
華奢な印象な少年なのに、胸板が厚かった。しかも身長は彼女よりずっと高く、目線は彼の胸元まで。
少年ではないと気が付き、身構えたところで名を呼ばれた。
「ウィラ」
囁かれる声は低音で、彼女は驚いて顔を上げる。
「ノア!」
それはノアで、彼は微笑むと顔を寄せた。
―――ウィラ様!
けれども唇が重なる瞬間、大きな声で呼ばれ状況は一変した。
「……夢?」
「ウィラ様。本当にあなたは……」
視界一杯に映るのは彼女の侍女リブだ。ノアと魔女に会う時にも協力してもらっている侍女で、彼女が一番心を許している使用人だった。
リブは呆れたような顔をしており、ウィラはふと自分のおかれた状況を思い出した。
少年を陸に送り届け、王宮に戻ると騒然となっていた。彼女は王に大声で叱られ、罰として1週間の謹慎で、王宮から出られなくなってしまった。彼女についていた二人の兵士はウィラが必死に訴え、解雇は逃れられたが減俸の上、2週間の停職処分になった。
ウィラは深く詫びだが、シリーは笑顔で久々の休みだと浮かれており、レンデルも同様にショックは受けていないようだった。それが救いであったのだが、罰を下した王は少し不服そうで、ウィラが慌てて反省してますの姿勢を見せたくらいだ。
部屋ですることがないウィラは疲れもあって、そのまま寝てしまい、リブに起こされた。
どうやら王に呼ばれたようだった。
「お父様まだ怒ってるかしら?」
「当たり前です!私も戻ってこないウィラ様をどんなに心配したことか」
「ごめんなさい」
「王様の心配はそれはそれは大変で、魔女の所にも兵士を送って」
「魔女?!ノアは大丈夫だったの!」
リブの言葉にウィラは王にあまり好かれていない魔女とノアのことを心配する。
「ウィラ様……。大丈夫です。ヒルダ様がその辺をうまく説明してましたから」
「そう、ヒルダ姉様が……」
ノアが大丈夫だったと聞いて嬉しいはずなのに、ヒルダの名前が出てきて、ウィラは急に気持ちが落ち込む。
(そうよね。ヒルダ姉様はノアを庇うはず。だって、二人はきっと)
「ウィラ様?」
リブは少し不安そうにウィラを窺う。
「何でもないわ。お父様に会いに行かなきゃね」
一番親しいとは言え、ノアへの気持ちをリブには話したことがなかった。もちろん昨日のヒルダのこともだ。
なので、彼女は笑顔を作って誤魔化した。
☆
「ウィラ、どうして自分勝手なことをしたのだ」
人魚の王、ウィラの父親は王室へやってきた彼女に懇々と説教を繰り返した。同じことをいうので、途中ウィラは寝てしまいそうになり、その度にと控えていたリブがさり気なく肩を叩き、起される始末だった。
「私はお前を始め、娘たちが大切なのだ。わかってくれ」
「存じ上げてます。お父様」
ウィラは反省してますのポーズを見せ、俯いたまま答える。それから王座から降りてきた父親に抱き着く。
美しい親子愛だが、これが父親の怒りを一番早くおさめる方法だと知っている姉たちは感動などとは遠く、昨晩のウィラの行動について彼女に質問を浴びせることを考えていた。
部屋に戻ったウィラの部屋にお見舞いだと三人の姉たちが訪れた。一番から三番目の姉で、四番目の姉はおやつを作るとかで来なかったらしく、五番目のヒルダに関しては説明がなかった。
「体は大丈夫なの?ウィラ?怪我はしていない?」
一番目の姉は彼女の体を心配し、
「嵐というものはどんなものなんだ?」
二番目の姉は嵐の様子を聞きたがる。
ウィラは最初の姉に元気だと答え、二番目の姉には高波や雷のことを説明した。
「人を助けたと聞いたけど、人はどうやって海の上にいたの?」
この質問をしたのは三番目の姉だった。
人魚の王は外の世界に興味を持たせないようにと、娘たちに外の世界のことをほとんど教えてなかった。なので外の世界に対する知識は、ウィラに比べほとんど持っていなかった。
魔女とノアから人の暮らしについて聞いていたのだが、あまりにも詳しいと何を言われるかわからないため、彼女は木で作られた乗り物に乗っていたとそれだけを答えた。
三番目の姉はそれを聞いて目を輝かせ、さらに質問する。
「人を助けたって、その乗り物から海に落ちたの?」
「ええ。嵐で船が壊れてしまって」
「船、その乗り物は船っていうのね」
三番目の姉に言われ、ウィラは口を押えた。
「やっぱりウィラは色々な事を知っているのね。魔女から聞いたの?」
魔女という言葉に姉たちの視線が彼女に集中する。目を泳がしていると五番目の姉ヒルダが現れた。
「お姉様たち。ウィラは昨日の今日で疲れているのよ。ちょっと休ませてあげたら?」
「ヒルダ!じゃあ、あなたに魔女のことを聞くわ。あなたもよく会っているんでしょ?魔女と、その黒い彼に」
「よくなんて、ウィラと一緒によ」
(黒い彼、ノアのことね。姉様たちも知っているのだわ。二人はもうそんな仲なのね。お父様は反対するだろうけど、姉様たちは味方になってくれそう)
ウィラは少し悲しい気持ちになりがらも姉たちのやり取りを聞いていた。
「ウィラ!海藻サラダを作ってきたわ。新しいドレッシングをかけてみたから試してみて」
四番目の姉がタイミングよく現れ、ウィラは救われた気持ちになった。