第九話 もふもふ衝突事件
「ココ、ダ」
歩いて十分ほどであった。木々をかき分けた先にあったのは洞窟の入り口であり──わらわらと複数の影が飛び出してきた。
それは両手で抱えられるサイズのもふもふ──子犬の群れであった。
「はうわっ!?」
びくびくびくっ!! とシロをお姫様抱っこしていたシェルファが頬を赤く染めて、甘い吐息と共に痙攣する。
「はふっ、子犬!? あれ、シロのお仲間ですか? シロとは違う外見ですがっ」
「オレタチ、トハ、チガウ、シュゾク、ダカラ、ナ。トハイエ、ダイジ、ナ、ナカマ、デアル、コト、ニ、カワリ、ハ、ナイ」
「うっはぁ! 人型もふもふも最高ですけど、元祖本丸もふもふ祭りも最高ですう!!」
「アッ、オマエ、ナカマ、ニ、テヲダスナ、ヨ!!」
「嫉妬? 嫉妬ですか??? もちろん怪我が治った後にシロとも触れ合ってあげますからっ!!」
「ちょっと待ってお嬢様っ。なんだか様子がおかしくない!?」
メイドの言う通りであった。ぐるぐると唸り、眼光鋭き獣たちが猛スピードで迫りつつあるのだ。
その奥、獣たちを追いかけるように洞窟から飛び出してきた──こちらはシロと同じく人型の灰色もふもふ──獣人の少女が叫ぶ。
「キサマッ! ボス、ニ、ナニ、ヲ、シテイル、ノヨ!!」
……どうやらシロに危害を加えているとでも勘違いされているようであった。
シェルファたちは知らないが、獣人の仲間が何人か死体となって発見されており、ボス自ら見回りに出ているほどに警戒しているのだ。
そんな中、ボスが見知らぬ誰かに抱えられて帰ってきたならば、弱肉強食が常の世界に生きてきた彼らが勘違いするのも無理はない。
「レッサー、シロのことお願いします」
「へ? わっ、ちょっちょっとお嬢様っ。どうするつもりなの!?」
「マテッ! オレ、ガ、セツメイ、スル、カラ、ヨケイ、ナ、コト、スルナ!!」
シェルファはレッサーへと抱きかかえたシロを渡して、彼女たちの言葉を無視して前に出る。
バッと大きく両手を広げ、蕩けるような笑みと共に歓喜が叫びとなって溢れ出す。
「さあ、カモンですう!!」
数十匹もの子犬が飛びかかる。もふもふがシェルファへと襲いかかり──ドッバァンッッッ!!!! と可愛らしい外見に反した重々しい轟音が炸裂した。
ーーー☆ーーー
「ゴメン、ナサイ!!」
灰色の毛並みにくりくりお目目の少女、外見からシロと同じ種族らしき彼女が頭を下げていた。早とちりからのもふもふ子犬衝突事件の後、シロから説明を受けた彼女たちは自分たちが勘違いしていたことに気づいたからだ。
対してもふもふ子犬たちに衝突されたシェルファはというと──それはもうイイ笑顔で手当たり次第に子犬たちを抱き寄せていた。
「ふへ、ふへへ……もふもふ、もふもふがいっぱいですう!!」
なんというか、女の子が気軽に人前で晒してはいけないくらいとろっとろであった。シロ一人でもハイテンションだったのだから、一気に数十ものもふもふを目にしては理性なんて吹き飛ぶに決まっている。
「エット……?」
「キ、ニ、スルナ、キキ。アレ、ハ、ヘンナ、ヤツ、ダカラ、ナ」
「デモ、ワタシ、タチ、ワルイ、コト、シチャッタ……」
「……、アレ、ハ、ソンナコト、キ、ニ、シテナイ、ミタイ、ダゾ」
メイドに抱きかかえられたシロは呆れた目で地面に転がり子犬たちに埋もれているシェルファを眺めていた。どことなく面白くなさそうな顔をしていることまでは自覚していなかったみたいだが。
「お嬢様、シロの怪我を治すんじゃなかったの?」
「……、ハッ!?」
うへへ、と口元ゆるゆるなシェルファが目覚めたように目を見開く。
「シロ、ここは安全なんですよね?」
「ナワバリ、ニハ、メッタ、ニ、ガイテキ、ヨリツカナイ」
「そうですか。それでは、ちょうど近くに必要な材料も揃っていますし、治療薬を調合するとしましょう」
……何やらキリッとした顔をしていたが、もふもふ子犬たちを一匹たりとも手放していないのだから取り繕うことなどできるわけがなかった。
「はぁ。やるならさっさとやるの」
「うっ。レッサーが冷たいです……」
「はいはい、で? やるの、やらないの?」
「やります、やらせていただきますからその目やめてください。怖いですよ、レッサー……っ!」
流石のシェルファもレッサーからのとびきり凍えた視線には耐えきれなかったのか、子犬たちを名残惜しそうに手放し、調合へと取り掛かることに。
「紅雷牡丹に螺旋花、後はところてんキノコがありますし、治癒促進効果のある塗り薬を調合できそうですね」
スラスラと呟き、近くの花やキノコを採取、手のひらに乗せたそれらを小石を使い潰していく。本格的な治療薬であれば特定成分だけを抽出するために一工夫必要なのだろうが、魔導汚染が激しい外の世界では希少で効果の高い材料を使っているので多少余分な成分が混ざっていても問題はない。
……そもそも治療薬、それも現代では希少なそれらを組み合わせたものに関する知識を持つ者が珍しいので、誰でも彼でもできるわけではないのだが。
そして、もう一つ。
どんな時代であっても定められし法則がある。
──薬は苦く、臭いものである。
「ん? どうかしましたか???」
蜘蛛の子を散らすようであった。
子犬たちはキキと呼ばれていた獣人の少女の後ろに隠れて、当のキキもまた鼻を押さえて後ずさっており、ある程度薬については馴れ親しみがあるはずのメイドですら眉をひそめていた。
そして。
そんなメイドに抱きかかえられたシロがこう言ったのだ。
「オマエ、クサイ、ゾ!!」
「……ッッッ!?」
一言。たった一言で乙女の繊細な心は木っ端微塵であった。
「違っ、違うんですっ。単体では効果が薄いから、混ぜ合わせることで反応を誘発して、薬効成分を増幅していて、だから! ちょっとばかりニオイも強くなるだけで、そう、だから!!」
塗り薬片手にわなわなと(もふもふと相対した時のそれとは別物だろう)震えを発するシェルファが募るように叫ぶが、
「ヨク、ワカラン、ガ、トニカク、クサイ、モノ、ハ、クサイ、カラ、チカヅク、ナ!!」
「ふぐう!!」
乙女心、砕けたばかりか念入りに踏み潰された。
婚約破棄を突きつけられようが、公爵家から追い出されようが平然としていたシェルファが膝から崩れ落ちる。
流石に見てられなかったのか、メイドが口を開く。
「あー……シロ、あれはキミの折れた骨を治すためのものなの」
「ナオス???」
「うん。お嬢様がキミの怪我を治すために調合してくれたものだから、できれば受け入れて欲しいの」
「オレ、ノ、タメ……」
シロはメイドの腕の中で考え込むように唸る。彼らにとって怪我は自然治癒に任せるものなので治すためにやることと言えば肉を多く食べるくらいなのだが……どうやら真っ黒『毛』並みの少女は別の手段を提示しているようだ。
正直、理解はできなかった。
だが、彼女が弱肉強食を無視したおかしな思考回路を持っていることは思い知っている。
シロを助けるために『ヤツ』を敵に回したのだ。あのクサイモノもまたシロのため、なのだろう。
「オイ、オマエ」
「……クサイ女に何の用ですかぁ?」
ぷくうと頬を膨らませての返事であった。足をハの字にして座り込む少女は漆黒の瞳に不貞腐れたような色を乗せてシロを見つめる。
どう感じているのか丸わかりであることにどれだけの意味があるのかなんて気づいてはいなかったが、とにかくシロは思うがままにこう言ったのだ。
「オマエ、ヲ、シンジル」
「…………、」
「ダカラ、スキ、ニ、スレバ、イイ」
なんだか偉そうなのは照れ隠しの一種か。仲間でもなければ、出会って十分にも満たない浅い関係性であるというのに心を許しはじめていることから目を逸らしているがゆえに。
対してシェルファはというと──口元をわずかに緩めていた。
「そうですか。では、早速塗りまくるとしましょうか」
いいや、それはどちらかというと意地悪げに歪めていた、といった感じであろう。
「ヌリ、ナンダッテ???」
「塗りまくるんです。これは塗り薬ですもの。念入りに、ええ本当は少量でも十分ですがせっかく調合したので全部使うとしましょう」
「マテ、マテマテマテ! ソンナ、クサイ、ノ、ヌル、ナンテ、ハナ、ガ、オカシク……ウギャア!?」
乙女心を粉々に叩き潰した報いであった。シロの足に塗った勢いのまま手やら胴体やら顔やらにベタベタと塗り薬がぶちまけられた。