別居中のある日の一幕
それは別居中のある日のこと。
夢であると、シェルファは悟っていた。
お茶会の時にでも使っていたそれに酷似した椅子に腰掛けた彼女の向かい側では机に両肘を乗せて、軽く握った両拳に顎を乗せる女が一人。
背中から漆黒の翼を生やし、プラチナ色としか表現できない不可思議な髪から輝く粒子を漂わせ、ブラックで周囲を満たしてゴールドで真ん中を彩った不可思議な瞳でシェルファを見やるは夢魔ミリフィアである。
異界の住人にして、上には後二つほどしかランクが存在しないとまで言われている高位の悪魔は白とも黒とも言えない夢の空間でくすりと笑い、
『久しぶりねえ』
「その顔……まあ仕方ありませんよね。それより、ええ、久しぶりですね。そちらはどうでした? わたくしの予想通り「勇者」を追って王都まで移動していたのならば、わたくしが用意したアレを使ってあの人の最期までこの世界に留まるくらいはできたと思うのですが」
『おかげさまで見送ることができたわよねえ。アレ、なんだったっけねえ。そうそう、魔鉱石とやらに「魔粒」を封入しておいて、それを自分の周りに散布することで限定的に汚染濃度を調整するってヤツ。アレがなかったら流石にどうしようもなかったわよねえ』
「お役に立てたならば良かったです。……あの人がいなければ大悪魔を支配した第二王子や悪魔を統べる女王には敵いませんでしたから。せめてこれがお礼になったならばいいのですが」
『自慢じゃないけど、此方が気持ちを伝えたからあの人は憂いなく死んでいったと思うわよねえ。だから、うん。感謝していると思うわよねえ』
と。
そこで湿っぽい空気を払うように夢魔ミリフィアはごほんと咳払いを一つ。何やら最近忘れられている気がしないでもないが、彼女はシェルファを暇潰しのおもちゃとして扱うくらいの精神性の持ち主である。つまりは現世の人間が足掻くのを安全圏から眺めて楽しむのが趣味なのだ。
つまり。
つまり。
つまり。
『それはそうと、シロとはどこまで進んでいるのかねえ?』
「ふっはふぅ!?」
なんか、もう、一瞬でぶっ飛んだ。
先程まで表情一つ変えずに『賢者』の最期に介入したことを口にしていた令嬢様とは思えないほど狼狽えに狼狽まくっていた。
「どっどこっ進んで!?」
『交尾はした?』
「ぶっばふぐふう!?」
もう、本当、令嬢の顔なんてどこにも残っていなかった。
「ばっ何をそんなっ、馬鹿じゃないですか!? そんな、そんなのっ」
『ウブねえ。いやだけど、これはまさか、うん流石にないわよねえ』
「な、なんですか? 言いたいことがあるならはっきり言ったらいいじゃないですか!」
『キスは?』
「はっふふうううっ!?」
ついには机の上に顔を思いっきり伏せてしまった。もう、本当、どこの誰が大悪魔を支配した第二王子や悪魔を統べる女王を倒したのか疑問に思う光景である。
『えぇー? なに、其方シロのこと好きじゃないとか???』
「なんでそんな話になるんですかっ!?」
バッと勢いよく顔をあげて、シェルファは夢魔ミリフィアへと詰め寄る。相手は上にはもう後二つほどしかランクの存在しない悪魔であることなどお構いなしに、だ。
「好きです、好きに決まっています! もうシロのことを考えるだけで動悸が激しくなって何も考えられなくなるくらいでだからだからこそ手を繋ぐだけでももうだめでだからきっきききキスなんてそんなのしたくないと言えば嘘になるだけどだけど、だけどお!!」
『ふっふ。だめ、もうだめ。やっぱりシェルファは弄りがいのある良いおもちゃよねえ』
くすくすと。
笑いが止まらないから、そうそのせいに決まっているだろうが──我慢の限界を迎えた夢魔ミリフィアの瞳から涙が流れていた。
その光景を塗り潰すように白とも黒とも言えない夢の世界が崩れる。崩壊、つまりは目覚めの中、夢魔ミリフィアの声だけが響いた。
『ま、ウブなシェルファの代わりに向こうさんが積極的だから釣り合い取れているのかもだけどねえ』
ーーー☆ーーー
ぎゅう! と。
シェルファが目が覚めると何やらもふもふに全身が包まれており──つまりはシロに抱きしめられていた。
「わっわわっわっひゅうーっ!?」
朝っぱらから元気いっぱいなシェルファの叫びにシロがもぞもぞしながらも瞳をあけて、眠気まなこを向ける。
「ナンダ……ウルサイ、ナ」
「なんっなんなんなにっなんでここに、ふへえ!?」
「ダキシメタク、ナッタ、カラ、キタ。……イヤ、ダッタカ?」
「いえいえそんなわけありません気持ち的にはいつだってどこだってまったくもって構わないというかこんなにも好きなんだから触れ合いたいに決まっていてそうです本音は『ツガイ』になれたんだからもっとイチャイチャしたくてでもシロのこと考えただけでいっぱいいっぱいでそれ以上話すなんて触れ合うなどもう許容量突破していてだからつまりそのだからあ!!」
「シェルファ」
「ッ!?」
両肩に手を置き、僅かに距離を取り、じっと目と目を合わせて、オマエではなくシェルファと名前を呼ばれでもすればもうそれだけで全てが硬直してしまっていた。
「イヤ、ジャナイ、ナラ、コノママ、ナ」
「ぁ、……はい」
気がつけばシェルファは頷いていた。
というか、頷く以外の選択肢が消失するほどにドロドロに溶かされていた。
そして。
そこで終わらない。
シロの唇がシェルファの額に引き寄せられる。額にキスされたのだと、そう気づくまでそれはもう長い時間がかかったものだった。
「あ、……ぁう……わひゅわあああ!?」
「オドロキ、スギ、ダ」
「いや、だって、今ちゅって、ちゅうってえ!!」
「『ツガイ』、ナンダ。フツウ、ダロウ」
「あう、あうあう……。『ツガイ』、やばい、やばいです……」
語彙力が死んでいた。
そんな状態で強く強く抱きしめられたものには思考回路なんて焼き切れてしまうに決まっていた。
ーーー☆ーーー
呪いの地の近くでシェルファは開拓の準備を進めていた。その関係で呪いの地の近くにある町の宿に泊まっており、つまりは主に付き従う形でレッサーも隣のベッドで寝泊りしていた。
「キキ、なんかお隣が熱々なの。めちゃんこ見せつけられているのお!!」
「? 『ツガイ』、ダシ、アンナモノ、ジャア???」
「そっそれはそうかもだけど、でも、せめて人目くらい気にしてほしいの何あの甘々具合独り身への当て付けなのお!?」
と、そんな風にお隣ではレッサーがキキに抱き枕感覚で抱きつきながらそんな風に騒いていたが、シロしか見えていないシェルファが気づくことはなかった。




