第六十六話 騎士誕生
「うふ、うふふっ。はーっはっはぁっ!! さあさ皆様方、『騎士』たるわたしが慈悲を与えに来たですわあ!!」
悪魔もどきの破壊の跡が残る王都、その大通りでのことだった。薄い赤のツインテールにピンクのフリフリのドレス姿の令嬢、すなわちエイリナ=ピンクローズリリィ男爵令嬢が復興作業に勤しむ人たちのもとに現れ、目の前の瓦礫の山を腕の一振りで爆破、塵と変えて堂々と君臨する。
──ルシア=バーニングフォトンは彼女の持つ力を過小評価することはなかった。先の爆破のような彼女の力、そう、陣を展開することなき超常を扱う彼女は異質極まりないのだから。
幸か不幸か、宰相亡き今であれば大将軍の命によりシェルファが巻き込まれた婚約破棄騒動に関して妨害なくして正確な情報を集めることができた。そう、あの婚約破棄騒動の裏では宰相が糸を引いており、手先としてエイリナ=ピンクローズリリィ男爵令嬢が関わっていたこともルシアはすでに知っているのだ。
全て踏まえた上でルシアはその情報をバーニングフォトン公爵家と大将軍としての力で隠蔽することとした。まかり間違っても国王に知られないように、だ。
ルシアとしてはそこまでしてやる義理はなかったのだが、シェルファがそうしたほうが好都合だと教えてくれたがために。
『宰相という「頭」がなくなればエイリナ=ピンクローズリリィ男爵令嬢という「手足」はいかようにも転がせるでしょう。ここで悪手なのは中途半端に追い詰めること。何せ婚約破棄を引き起こした「手足」といっても男爵令嬢が実際に行ったのは第一王子を誘惑しただけですもの。コロッと騙された第一王子が悪いという見方もありますし、王族に対する謀反だなんだと盛りに盛ったとしても国外追放といった中途半端な結果で終わることでしょう。ルシアお兄様が異質と評し、警戒するくらいには強い者を外に放った結果、敵対勢力に拾われでもしたら目も当てられません。今は「手足」のみなれど、宰相と違ってあの令嬢の真価を引き出せる「頭」と結託したならば厄介かと』
『つまり?』
『鞭がダメなら飴を使えばいいんですよ』
それが、『騎士』という称号の授与。
ソラリナ国が建国してしばらくは騒乱の時代であり、武勲を立てた者にこそ権威が与えられていた。
その際たるものが騎士制度。
強き者や戦にて活躍した者に騎士という特権階級を与え、もって強者が自国から出て行くのを阻止していたのだ。
騎士制度自体は騒乱が収まっていくと共に形骸化していったが、ルシアが実力のみで大将軍に抜擢されたなど形を変えて残ってもいる。
とはいえ、だ。
騎士という称号自体には何ら権威は付随しない。百人隊長や将軍といった軍部の権力図とは切り離されたハリボテの名声でしかないのだ。
だからこそ、
『騎士の称号を与えると共に、そうですね。将軍と同じだけの給与を払ってはどうでしょう?』
『どうでしょうって、将軍ともなればそれなりの額を貰っているぞ。それこそ伯爵家レベルの生活が満喫できるだけな』
『その程度でしょう? そうです、お金「だけ」は伯爵家レベルとなるだけで、実質的な権威は何も得ることはできませんもの。影響力は最小に、満足度は最大に調整したならば男爵令嬢が暴れることはありません。お金だけで未来の脅威を懐柔できるならば安い買い物だと思いますが』
『……、シェルファは本当にそれでいいのか? あの女はお前を陥れたんだぞ』
『ルシアお兄様が気にしているほど、わたくしはあの婚約破棄に大した感情は抱いていませんので』
『なら、いいが』
『ああ、それともう一つ。婚約破棄の裏で宰相や男爵令嬢が暗躍していたことは隠蔽したほうがいいでしょう。第一王子、いいえ王様にバレると事実を公表するのが王者の務めだとか言い出して、せっかくの飴を台無しにしそうですし』
『まったく。損得勘定だけで判断するのは良いことなのかもしれないが、兄としては少し心配だぞ。自分の気持ちっての、希薄化してないだろうな?』
『そんなことはありませんよ。だって、その……し、シロのことを考えると、こんなにも胸が熱くなるんですから』
『……、そ、うか』
藪蛇とはまさしくこのこと、複雑な心地をそのまま表情に出す兄だが、つんつんと両の指の先を合わせてもじもじしている妹が兄の胸中を察することはできなかった。完璧な令嬢としての側面が発揮されないほどに思考をかき乱されているということだろう。
とにかく、だ。
そのような紆余曲折があり、軍部の最高責任者に騎士を任命する権利があるという形骸化された法を持ち出し、ルシアは件の男爵令嬢へと騎士を称号を与えた。その際に騎士にはこれだけの給与を与えるべきといったものを筆頭にあの後シェルファから指示された通りの文書を国王に提出、国王はそれをすんなりと受け入れた。
国王曰く『軍事に関してはトップたる大将軍の判断に従うのが一番だろう』ということだとか。本人が無能でも周囲の有能な者に任せればいいというジークランスの考えが透けて見える対応であった。
そんなこんなで男爵令嬢は復興作業に勤しんでいた。彼女としては男爵令嬢だったならば決して得られないだけの給与を保証されたのだから、騎士と任命された際に『騎士としてふさわしい行いをすること』という何の具体性もないルシアの指示にも彼女なりに応えようとするのは当然のことだった。
復興作業はちょっと汗臭いものではあるが、『正体』から考えれば全然呑気なものである。というかせっかくお金が手に入ってもぱーっと使う場所がこうも荒れていては意味がないというものである。
ぱーっと遊ぶ環境を取り戻すついでに騎士として名を売ることができるとなれば得も得、働くに決まっていた。
「あっ、お姉さんっ!!」
「ん?」
それは食後の運動がてら瓦礫を跡形もなく粉砕していた時だった。十歳未満の男の子が男爵令嬢へと駆け寄ってきたのだ。
「確か……ヘンテコなバケモノに殺されかけていた子供ですわ?」
「エルガだよ、お姉さんっ」
「あ、ああ名前ですわね。ではエルガ、騎士となったわたしに何か用ですわ?」
心なしか自慢げに胸を張る男爵令嬢。ちょっと裕福な平民と遜色ないレベルの生活から伯爵レベルと真っ当な貴族らしい生活を送れるだけの給与を保証されているからか、内心の喜びが溢れ出ていた。
「用、はないけど……お姉さんとお話ししたいと思って」
「うふ、うふふっ。まーあー? バケモノに蹂躙されかけた民衆を見事助け出し、昨今ではついぞ対象者がいなかった騎士の称号を与えられたわたしとお話ししたいのは無理ないですわっ!!」
「お姉さん、なんかテンション高いなぁ」
「そーんなことないですわっ。わたしは普通、ええ普通ですわ。正当な評価の下、豪華絢爛ハッピーライフを送ることができるというだけですし!!」
「ちなみに、その豪華絢爛ハッピーライフってどんなもの???」
「聞きたい、聞きたいですわ!?」
頬を興奮からか赤くして、ピンクのフリフリのドレスの少女が無遠慮に男の子との距離を詰める。いきなりのことにびくっと肩を揺らす男の子に気づいた様子もなく、男爵令嬢はまくし立てる。
「まずはケーキですわね。三個、いいえここはホールごといっちゃうですわっ。次にドレス。今着ているやつだけでなくて二着、いいえ六着いっちゃうですわっ。今のドレスも合わせて一週間異なるドレスを着回すだなんてとんでもない贅沢ですわ!? 後は、うふふっ、これ以上だなんてなんと欲張りな……ですが! 今のわたしにはぱーっと使えるだけのお金があるのですわあ!!」
「ええと、豪華絢爛、なんだよね? ケーキ屋さんやお洋服屋さんのケーキやドレスを買い占めるとかそういうのじゃないの?」
「な、何を言っているんですわ!? そんな多くのもの手にしたってどうせほとんど使わないですわっ。ケーキはどれだけ頑張っても一ホールが限界ですし、ドレスだってあんまり多いと破けるまで着続けることができずに無駄になりますわ」
「そ、そうなんだ……」
「うふふっ。今まで我慢していた色んなものに今ならば手が届くですわっ! 何せわたしは騎士なのですから!!」
男の子はこうして男爵令嬢と会うのは二度目ではあったが、分かったことがあった。
彼女は根っからの貧乏性なのだと。
「そうですわっ。エルガ、助けた時に言ったこと覚えているですわ!?」
「あ、うん。エイリナ=ピンクローズリリィに助けられたのだときちんと広めること、だよね。お父さんやお母さん、友達にも広めておいたよ」
「よくやったですわっ。うふ、うふふっ。こうしてわたしの評判が上がれば騎士としてふさわしいと見なされるですわ。騎士にふさわしくないとせっかくの称号が剥奪される可能性は今のうちに潰しておかないとですから」
というわけで、と男爵令嬢は繋げ、
「困ったことがあったらわたしに相談することですわ。汗臭いどころか血生臭い世界はもう嫌だとハニートラップなんて慣れないことして失敗したばかりですし、この際大悪魔レベルが関わるぐらいの汗臭い厄介ごとまでであれば華麗に解決して差し上げるですわ!! もちろんその後にはわたしに助けられたのだと広めるのを忘れずに、ですわ!!」
「う、うん」
随分と不器用な生き方をしている、と彼はそう思った。あれだけの力があればもっと効率的にお金を稼ぐ方法はありそうだし、何なら困っている人を助けるにしてもそれをお金稼ぎとすればいいものをあくまで助けられたと宣伝すればいいとするくらいには、だ。
……そこまで考えが及ばないくらいちょっとごにょごにょな人なのでは、と考えてしまったのは一生の秘密である。
ーーー☆ーーー
その光景を『彼女』は眺めていた。
上空三千メートル。極寒の領域にて踊り子が着るような露出の多い服装で浮遊しながら平然としていられるだけの実力の持ち主が、だ。
「私チャンとしては『魔の極致』に惜しくもランクインしなかったエイリナには期待していたんだけどネェ」
額からねじくれた赤いツノを伸ばし、白と黒が渦巻く瞳を持つ、どう見ても人間ではない何か。露出の多い服の切れ間から褐色の肌を覗かせる『彼女』は冷めた目で下界を見下ろす。
「人の世に染まり、かつての己の姿を忘れ、惰弱に生きることを選んだのならばそれでもいいよネ。今のエイリナはとんと役に立ちそうにないしサ」
おそらくここが分岐点であったのだろう。
『彼女』はしばし思案し、そして振り上げていた右手から力を抜く。
「錆びていくのを望むならそのまま朽ちていけって話だよネ。わざわざ私チャンが手を下すまでもナイナイ」
呟き、『彼女』は飛び去っていく。
大陸の外、シェルファたちが生きる領域の向こう──異なる物語へと。




