第六十五話 悠久の旅路の終わり
思えば『勇者』ミリファ=スカイブルーはいつだって後先考えずに突っ走ってきた。走り通すことが、できた。
先祖が神と愛し合ったがために神から祝福された血筋を継いでおり、聖剣を媒介として神の力の一端を得ることができたからこそ、彼女は理想を理想のままに貫き通すことができたのだろう。
いつだって『確実』なんて見えてすらおらず、『賢者』が犠牲を最小とした『確実』を提示したとしても気に食わないと最小以下を目指して剣を振るってきた。そうして貫けた時もあっただろうが、無茶を続けたならばどこかで躓くこともある。
『ミリファさま、悪魔との戦いが終わったら何がしたいでございますか?』
『何が、かー。そうだねー……あっ、わたし子供の頃はお花屋さんになりたいってのが夢でね。毎日お花に囲まれているだけで仕事になるだなんて最高だよねっ』
『え、ええと、ちなみにお花を育てたことは?』
『あっはっはっ。こちとら聖剣抜いたその日からなし崩し的に闘ってばかりだからお花育てるような暇はなかった的な? 何せ聖剣を研究したいからと盗もうとする異邦人とか腕試しに挑んでくる戦闘狂とか、聖剣だ「勇者」だ関係なしにすっごく可愛いのにバケモノだって理由で処刑されそうな女の子とか、盗賊だ魔物だ災害だなんだとこの世界は戦う理由ばかり目の前に投げ込んでくるんだもの。放っておくわけにもいかないじゃん。はは、こりゃあ悪魔との戦いが終わっても次の闘争が待っているのかも? 別に戦いが好きってわけでもないというか誰かを傷つけるのも痛いのも大っ嫌いだけど、まあそういう星の下に生まれたと諦めるべきだよね』
『……、やるでございますよ』
『セルフィー?』
『お花屋さん、やるでございますよっ!! 聖剣があろうが、「勇者」として戦う力があろうが、そんなのはやりたいことを諦める理由にはならないでございます!!』
『でもなーわたしってば我慢できないし? 力があろうがなかろうが、戦うしかない理由が目の前に飛び込んでくれば突っ込んでいくと思うよ? そんな物騒な奴にお花屋さんなんて無理じゃないかな?』
『そんなことないでございます!! わたくしも手伝いますから、お花屋さん目指すでございますよ!!』
『や、やけに熱心だね。実はお花屋さんに興味があったとか?』
『わたくしはミリファさまの夢を手伝いたいのでございますよ!! ミリファさまには幸せになってもらいたいでございますから!!』
『そ、そう? そこまで言うなら、目指してみよう、かな。セルフィーが手伝ってくれるなら馬鹿なわたしでもなんとかなりそうだし。うん、そうだね。いろいろ迷惑かけると思うけどよろしくねっ』
『ミリファさま……。はいっ!!』
その約束が叶うことはなかった。
『確実』。最善たる最小の犠牲を許容できず、聖剣片手に悪魔に挑むようなことを続けたがために。
なまじミリファに力があったせいで大抵の困難は突破できてしまった。『賢者』の想定すら覆し、誰もが望むハッピーエンドというものを掴み続けてきた。
だから、その日もまた挑んでしまった。
大悪魔エクゾゲート。かつての大戦における最後の敵にして最強の悪魔を前にミリファ=スカイブルーは胴体を輪切りにされた。
誰もが望むハッピーエンドのために犠牲なんて一人も出さずに勝つ。そんな夢物語を目指して、しかしミリファの剣は届かなかった。
そのまま放っておいても死ぬのは時間の問題で、それでいて大悪魔エクゾゲートは確実に『勇者』を殺すために力を解放しようとしていて。
そこにセルフィーは飛び込んだ。
転移の魔導。最小の犠牲を最善と評する『賢者』が送り込んできたのだ。
大悪魔エクゾゲートがその力を放つ前に『聖女』と呼ばれるほどの治癒系統超常の使い手たるセルフィーはミリファの傷を癒してみせた。
だから、だろう。
大悪魔エクゾゲートはミリファ=スカイブルーに放とうとしていた暴虐をセルフィーへと叩きつけた。
致命傷さえも癒すセルフィーであろうとも、力を使う暇なく消し飛べばどうしようもない。跡形もなく、初めからそこにはいなかったように、セルフィーは吹き飛んだのだ。
『哀れなり。「勇者」は一度この大悪魔エクゾゲートに敗れた。というのに、くっくっ、このような小物以外にすがる対象がいないとは本当下等生物は哀れなり』
『…………、』
ミリファ=スカイブルーには、届いていた。
最後の最後、大悪魔エクゾゲートに吹き飛ばされる前にセルフィーが何と言ったか。
『夢、諦めちゃだめでございますよ』、とそう言っていたのだ。
『ばか。夢を叶えたって、そこに一番大切な友達がいないんじゃ何の意味もないじゃん。セルフィーが手伝ってくれるからこそ、叶える価値があるのに』
吐き捨て、そして『勇者』ミリファ=スカイブルーは大悪魔エクゾゲートへと挑んだ。その結果、彼女は大悪魔エクゾゲートを封印することに成功したのだが、負ったダメージも大きく、また『聖女』のような規格外の治癒系統超常持ちがいなかったために死ぬこととなる。
──その後、どこぞのイカれ研究者のせいで長きに渡って子孫の人生を眺めることとなるのだが。
「成長しないな、わたし」
ソラリナ国が王都、現在憑依している国王ジークランス=ソラリナ=スカイブルーの私室まで転移した彼女は王様のそれとは思えないほど質素な部屋の数少ない家具である椅子に腰掛ける。
と。
そこで一人のはずの空間に響く声が一つ。
「お前の魂、限界なんだよな?」
「げっ、『賢者』。なんでここに?」
「お前の転移に割り込んでな。それと『賢者』はもうやめてくれ。流石にあんなの見せられた後に俺様賢いんですとは喧伝できないし」
「じゃあイカれ研究者で」
「前から思っていたが、仮にも幼馴染みに口悪くないか?」
「日頃の言動や行動思えばこれでも軽いものだって」
「かね? まあいいや。それより質問に答えてくれないか?」
「あーなんだっけ?」
「魂、限界なんだろ」
「……、まあね。だからこうして子孫の部屋までやってきたんだよ。最期は一人になりたいけど、変な場所に放置しちゃったらわたしが消えた後に浮上する子孫の魂がびっくりするだろうからね」
しばらく『賢者』は何も言わなかった。
やがて、ガシガシと頭を掻き、吐き捨てるように一言。
「悪かった」
「別にいいよ。過去の亡霊が今を生きる人たちの手助けになれたならそれは良いことなんだから。まあシェルファだっけ? あの子がいればどうとでもなったっぽいけど」
「いいや、お前がいなければシェルファは反撃の準備を整える暇もなく殺されていた。お前は確かに今を生きる奴らの未来を切り開いたんだよ」
「なになに、拾い食いでもした? らしくもないこと言っちゃって」
「俺様はただ事実を述べただけだ」
「あっはっはっ。だーかーらー事実だとしてもそんなこと言うのがらしくないって言ってるんだよー。あれ、あれれ、もしかしてわたしのこと気遣っちゃってる? だめ、はは、もうだめ、らしくなさすぎる、あはははは!! わたしのこと笑い殺す気!? ひ、ひぃふははっ!!」
「うるっさいな!!」
「ごめんごめん。まあ最期くらいはイカれまくりなクソッタレ幼馴染みもしおらしくなるってことだよね」
「ったく、最善とはいえ何もできず長い時を自覚するなんて罰ゲーム以外の何物でもない体験させたのは俺様だってのに、なんだってそうもいつも通りなのやら」
「ん? その結果誰かのためになったなら別に良くない?」
「……、シェルファとはまた別の意味で壊れてやがるな。なんだ、傑物は精神的に狂っていないといけない縛りでもあるのか???」
「なんでもいいけど、そろそろ出て行ってくれないかな。やっぱり最期は一人がいいものだしねっ」
ふと。
その言葉にどこか泣きそうに表情を歪めていたと、そう見えたのはミリファの見間違いだったのか。次の瞬間にはふんっと鼻で息を吐き、踵を返していた。
「そうかよ。……じゃあな、ミリファ」
「じゃーねー。クソッタレな幼馴染み」
その会話を最後に部屋から出ていき、『賢者』が遠ざったのを確認して、ミリファはずるずると椅子に寄りかかる。
小さく。
吐き捨てる。
「ここまで、かぁ」
外見が不安定なために化け物と蔑まれて処刑されそうになっていた『聖女』がいた。常に強者との戦闘に飢えていたがために犯罪組織を都合のいい喧嘩の相手として殺し合う『武道家』がいた。異国どころか違う大陸から流れ着いた見たこともない超常を扱う『魔法使い』がいた。他にも様々な出会いがあり、そのほとんどはあの大戦で失われた。
最小以下のハッピーエンドを掴めた時もあったが、全部が全部そうではなかった。掴めなかったならば、何かが犠牲となる。
『賢者』や『勇者』がこうして生き残っているのも無理矢理繋ぎ止めているものでしかなく、それすらできなかった人たちはもういない。ほとんどは、掴みきれず鮮血と死に沈んだ。
理想を追い求めて、しかし残せたものなんてどれだけあったのか。
今回だって誰も死なせないと意気込んでいても、実際に結果を出したのはミリファではなくシェルファである。
どうしようもなく馬鹿なまま、最後の最後まで突き進んで、果たしてミリファ=スカイブルーはそれで良かったのか。もっとうまく立ち回れば、もっと強ければ、もっと良い結末を迎えることもできたのではないか。
「あ、はは。こんな姿、誰にも見せられないよね。過去の亡霊がせっかくのハッピーエンドに水を差すわけにもいかないしね」
消えていく自覚がある。魂の崩壊。死んだはずの存在を無理に現世に押し留めていたようだが、それには甚大な負荷がかかっていたのだ。此度の表出化、そして戦闘行為によって負荷は増大し、許容量を超えた。ゆえに、死ぬ。あるべきものがあるべき場所に帰る。
「ああクソ。とっくに死んでいる亡霊に過ぎないってのはちゃんと分かっているのに……それでも、死ぬのは、やだな」
当然のことだ。当然ではあるのだが、それでも、やっぱり怖くて辛くて悲しいに決まっていた。
だから。
だから。
だから。
「ミリファさま」
消えつつある中、耳に届く声があった。
どこか懐かしいその声と共に目の前に立っている影に気づく。
それだけで。
先程まで胸中に渦巻いていたものが霞むのを感じていた。
「おつかれさまでございます。皆さん、ミリファさまのことお待ちでございますよ」
「本当、に? みんな、わたしのこと恨んでないかな? だってわたしが弱くて、馬鹿で、だから失ってきたのに、なのに」
「みーりーふぁーさーまーっ!!」
ぷくう、と。
頬を膨らませたその影がずいっとミリファへと詰め寄る。
「は、はい!?」
「ひっさしぶりに、ほんとーにひっっっさしぶりに出会えたと思えば何でございますか、それは!? 恨んでいるわけないでございますよっ。ミリファさまが頑張ってくれたことは皆さん分かっているのでございますからっ。それに、ほら、ちょっとおばかさんなほうが可愛げがあるものでございますからね」
「あれ、馬鹿なことは否定されてない!?」
「それはもちろんでございます。何せ一度死んでも治らないくらいには筋金入りでございますからね。全く、少しは自分の身を案じてくれてもいいのでございますのに」
「ま、まあ、そんなのは別にいいじゃん」
「よくないでございますよ、もう!!」
「うっ。そんなに怒らないでよ。わたしがこんなんだからセルフィーのために後先考えずに助けに入れて、友達になれたんだしねっ。普通は力あっても処刑の邪魔して軍隊敵に回すなんてできないって!!」
「自覚あるんならもうちょっと自分のこと考えて行動してでございますよお!!」
「うっぐうっ!!」
影、すなわちセルフィーの言葉に流石のミリファも罰が悪そうに言葉を詰まらせる。そんないつも通りなミリファの姿にセルフィーは額に手をやり、大きくため息を吐く。
「本当、ミリファさまは、もう」
「あは、あははっ」
と。
ズシンッ!! と大きく魂が削れる感覚が走る。もう意識を保っていられるのも限界が近いと、本能が訴えかけてくる。
「おっと、もう本当に終わっちゃうっぽい」
「いいえ、ここから始まるのでございますよ」
手が差し伸べられる。
気がつけば死に対するぐちゃぐちゃとした感情を吹き散らしてくれた最も大切な友達が、導いてくれる。
「今度こそ、一緒に、お花屋さんをやるでございますよ」
「セルフィー……。うん、そうだね。やろうか、お花屋さんっ」
手を伸ばし、掴む。
瞬間、ミリファ=スカイブルーの魂はセルフィーに手を引かれて『どこか』へと消えていった。




