第六話 宝の山
「ふう。堪能しました」
「ガ、ガウ……」
対照的であった。片やお肌ぴかぴかなほどに満足しきっており、片や生気をなくしたのではと思うほどぐったり横になっていた。どちらがどうであるかなどわざわざ言うまでもない。
「お嬢様、何してるの!?」
あまりの展開に呆然と流してしまっていたメイドが今更ながらに叫べば、さしものシェルファもバツが悪いのか獣人を手放して……やっぱりもうちょっとと言いたげに尻尾を掴んでもふもふしていた。
「お・じょ・う・さ・ま?」
「っ!?」
ついにはガシッと首根っこを掴まれて、ずりずり引きずられるシェルファ。公爵令嬢という立場を失ったとはいえ、主とメイドという関係性であってもお構いなしであった。
シェルファが離れたからか、年下らしい外見の獣人の少年はブンブンと首を横に振って、パンパンと頬を挟むように叩く。
気合いを入れ直したのか、バッと立ち上がって指を突きつける獣人。その口から肉食獣の唸り声にも似た威圧感のある声が溢れる。
「オ、オマエ、ヨクモ、ヤッテクレタナ!」
「何ならもっともふもふしてもいいですが」
「ガウ!?」
「お嬢様、話が進まないからちょっと黙ってるの」
先ほどの威勢はどこへやら、尻尾や耳を丸めて後ずさる獣人。そんな彼を見て、メイドは主の頭をぺしっと叩き、押しのける。
ゆっくりと、相手に警戒されないよう穏やかな声音で、それでいて距離は保ったまま声をかける。
「びっくりさせてごめんなの。もうあんなことさせないから、落ち着いて、ね?」
「ホ、ホントウ、カ?」
「本当なの」
警戒するように身を固くする獣人を安心させるために、シェルファをしっしっと手で払うレッサー。何やら主が不満そうにしていたのでジロリと睨めば、むうむう言いながらも下がっていった。
……レッサーの口調もそうだが、こうして気兼ねなく接して『くれる』のもレッサーが重宝されてきた理由の一つであった。
「……、ワカッタ、シンジル」
「良かったの。あ、そうだ、あたしはレッサー。キミの名前は何かな?」
「シロ。ムレ、ノ、ボス、シロ、ダ」
「群れ……キミのような、その、体毛が多い人(?)が他にもいるってこと?」
「モチロン」
その答えにレッサーは眉をひそめる。ここは『魔沼』。レッサーやシェルファは召喚術失敗によるペナルティを受けているがゆえに生存できているが、普通は瘴気に蝕まれて生命エネルギーとも呼ばれている魔力を失い死に至るはずだ。
だが、彼を含む『群れ』は瘴気の中でも生存している。というか、ここで生活しているようであった。
「キミたちは瘴気の影響を受けていないようだけど、どうして?」
「ショウキ?」
「えっと、周囲に蔓延している紫色の粒子のことなの」
「ムラサキ、アッテモ、ナニモナイ、ゾ」
不思議そうですらあった。おそらく彼にとって瘴気が漂う環境が普通であり、ここで生きていることは特別でもなんでもないのだ。
獣人の少年はハッとしたかと思えば、ビシッと指を突きつけてくる。
「ソレヨリ、オマエラ、ナンダ!? シラナイ、ニオイ、ダ!!」
「あ、っと、あたしたちはちょっと用事があってこの森の『外』から来たの。キミと敵対するつもりはないから、できれば見逃してほしいの」
「モリ、ノ、ソト──マサカ、オマエラ、ガ……イヤ、アリエナイ、ゾ」
森の外という単語に目を見開き、しかし首を横に振り何かを振り払う獣人の少年。ザッと足で地面を削り、横に線を引く。何かを区切るように。
「コノサキ、オレタチ、ノ、ナワバリ。ハイッテコナイ、ナラ、アトハ、スキニシロ」
トク、ニ、オマエ、ナ!! とシェルファへとブンブン突きつけた指を上下して叫ぶ獣人の少年。シェルファはといえば、誘っているんですか? とゾクゾクし始めたのでレッサーに首根っこ掴まれてそこらに投げ捨てられていた。
「分かった、この先には近づかないようにする」
「ン」
頷き、だんっ!! と獣人の少年が大きく真上に跳躍する。一息で数十メートルほど飛び上がり、太い木の枝に乗り、木々の枝を足場に跳躍を繰り返し、去っていった。
姿といい、身体能力といい、人間というよりは獣に似通っていた。
「ああ、もふもふが行っちゃうですう」
「お嬢様、はっちゃけすぎなの。大事にならなかったから良かったけど、あれが何かもわからないうちからむやみやたらに接近したらだめなのっ!!」
「そうかもしれないけど、あの子は大丈夫だと思いますよ。警戒はしていたけど、いきなり襲いかかってくることはなかったですしね」
「本音は?」
「もふもふに我慢できませんでした」
「だと思ったの」
「いひゃい、いひゃいでふ、れっひゃー……!!」
素直な馬鹿の(同じ女であるとは思えないほどすべすべで柔らかな)ほっぺたを引っ張りながら、メイドは大きなため息を吐く。親愛なる主は基本高スペックで慈愛の塊で尊敬に値するのだが、たまに暴走した時は本当ダメダメであった。
ーーー☆ーーー
「もふもふ……」
「いつまで引きずっているの、お嬢様」
お気に入りのお人形をなくした女の子のようにしゅんとしているシェルファに、レッサーは呆れたような視線を向けていた。
縄張りとは反対側に進むにつれて瘴気が濃くなっていくので、目的地を目指した結果縄張りに足を踏み入れるような事態にはなりそうになかった。
メイドは得体の知れない未確認生物との衝突を避けられて良かったと安堵していたが、もふもふに取り憑かれた主の考えは別のようだ。
「まあ、あれだけ接触しても戦闘にはならなかったから、また逢うくらいは良さそうだけど」
「っ!? ですよね、ですよねっ!!」
「ただしちゃんと警戒くらいはして! 相手の習性なんかは分かってないんだから気づかないうちにタヴーに踏み込んでいたってことになりかねないし、もしかしたら彼らには悪影響なくても人間には致命的な未知の病原体を飼っているなんてこともあり得るんだから!!」
コクコクッ! と嬉しそうに何度も何度も頷いている主の姿を見て、しょうがない人なのと呆れながらも胸が暖かくなっているのだからメイドも大概である。
とはいえ、本来の目的を忘れたわけでもない。ひとまず目的を果たすためにも瘴気の発生源へと向かうこととする。
「そういえばどうして瘴気の発生源に向かっているの?」
「宝の山だからです」
「宝……???」
首を傾げるレッサー。
対してシェルファは近くに花束が作れそうなほど纏まって生えている青色の花を指差して、
「例えばあそこにあるのは蒼天花、あの花びら一枚で王都に家が建てられるほどの価値があります」
…………。
…………。
…………。
「な、なんっ、うっそぉ!? なんでそんな高いの!?」
「蒼天花の花びらの成分を抽出、他にも複数の薬草成分を混ぜ合わせることで難病指定されている心臓病の治療薬になるからですね。加えるならば、あの花は魔導による空気汚染レベルが低い場所でないと育たないので、魔導が一般にまで普及した現代だと霊峰の奥地など隔絶された土地でしか採取できない希少なものだから、というのもありますね」
魔導を使うと、魔力のカスや残骸とでも言うべきものが大気中に撒き散らされる。その残留物には生体や植物に悪影響を与える──とはいえ瘴気のように即座に命を奪うものではなく、それこそほんの僅かな悪影響でしかないのだが。
ゆえに魔導にはそういったデメリットがあるとわかっていて、それでも人類は魔導を誰にでも使える家庭用品レベルにまでダウンサイジング、選ばれし天才のみが使える秘奥に日の目を当てた。
その結果生活レベルは向上、魔導なしでは満足な生活が送れないほどに依存させることとなり──汚染という悪影響が顔を出した。
人体や生命力の強い動植物であればそこまで気にならないレベルなれど、繊細な動植物であれば別だ。汚染された空気や土地では特定の動植物は生存できなくなり、蒼天花を筆頭に多くの動植物が失われることとなった。
選ばれし者だけが魔導を使う分には問題なかったが、誰も彼もが年がら年中魔導を使い、汚染を撒き散らしたがゆえのデメリット。
だが、そう、汚染は魔力のカスや残骸であるならば、その構成因子もまた魔力。魔力を殺す瘴気漂う空間に残留することはない。
「あの花、そんなに凄いものなんだ。……ハッ!? まさかそういうものがいっぱいあるからここに来たの!? あれを売ってお金に変えるとか!!」
「それもアリですが、あくまでああして希少薬草が育っていたのは嬉しい誤算でしかありません。本命は別にあるんですよ。まあ、蒼天花などが育つことができる環境だとわかったことでわたくしの予想が正しかった証明となったんですがね」
「えっと、つまり?」
「つまり──」
木々が、途切れる。
その先にはグツグツとマグマのように泡立つ紫の沼が対岸が見えないほど大きな湖のように広がっていた。その沼から湯気のように瘴気が出ているということは、ここが瘴気の発生源ということだ。
『魔沼』。
ここが呪いの地と呼ばれる元凶である。
「そこにある沼には空気や土地に漂う魔力の残留物を殺す力があります。その力を実用レベルに弱めれば、空気や土地を浄化する『商品』とできるでしょう」
「ッ!?」
「汚染が大陸単位での問題となっているので需要は高いですし、魔導が一般レベルにまで浸透、依存している以上汚染問題が完全に解決することはない、となれば──『魔沼』はまさしく宝の山と言えるのではないでしょうか?」