第五十一話 人類滅亡を阻止するための必要最低限の犠牲
三大禁術が一角、『冥王ノ息吹』が人間から派生したために魔力を宿す悪魔もどきを生贄に具現化されている。そのデメリットとして撒き散らされる魔粒は加速度的に汚染を進め、異界と現世との境界を崩壊させることだろう。
そして、各国上層部に潜んでいた魔粒浄化技術を封殺していた『勢力』が全員悪魔もどきから『冥王ノ息吹』へと変じたというのならば、
「魔粒汚染による悪魔侵攻も問題ですが……大陸全土で『冥王ノ息吹』が解き放たれたのならば、それだけで人類滅亡もあり得るのでは?」
「放っておけば、確実にそうなるな」
シェルファの問いに『賢者』は軽くそう答えた。どこまでも軽く、彼は続ける。
「まあ、それを阻止するために過去の亡霊たる俺様が出しゃばってきたわけなんだが」
「何か手があると?」
「もちろん。致命的に汚染が進行したがゆえに近いうちにリミットを迎える異界と現世との境界、そして人類滅亡を突きつけてくる『冥王ノ息吹』、二つの問題を解決する手はあるさ」
『賢者』は言う。
最も賢いがゆえに、真実のみを淡々と。
「俺様が常時展開している境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』は魔力や魔粒を殺す性質を持つんだ、これ使えば二つの問題をサクッと解決できるってものだ。とはいえ今のままでは力不足だから、基となるエネルギーそのものを増やす必要があるがな。そう、上空に多く滞留する魔粒や『冥王ノ息吹』をピンポイントで抹消するのには大悪魔エクゾゲートの魂を全消費してようやく規定量を満たせるかどうか、なんだよ」
「大悪魔エクゾゲート……第二王子が取り込んでいるという、あの?」
「ああ。とはいえ今から王都まで出向いて大悪魔エクゾゲートを捕獲、燃料と変えるだなんて時間がかかりすぎるがな。その前に汚染が進行、異界と現世との境界は崩壊するだろうし、人類の何割かが死滅することだろうよ」
「…………、ああ、そういうことですか。ですが、本当にそううまくいくと? 『候補』は複数用意していると思いますが」
「理解が早いことで。問題はないさ。嫌がらせの意味もあるし、どうせなら優れた肉の器を手にしようとするだろうしな。それに万が一別の『候補』に流れたならば、その時は……いや、何でもない。今のは気にするな」
「そうですか。後は第二王子をどうやって追い詰めるかですが、まあその辺りはルシアお兄様やタルガがうまくやってくれることでしょう。あら、となると、ああ、そうですか」
「ン? ドウイウ、コト、ナンダ???」
話についていけていないシロが未だにシェルファを後ろから抱きしめながら不思議そうに首をかしげる。その腕の力強さに頬が熱くなるのを自覚しながらも、シェルファはあくまで真実のみを淡々と口にする。
「大悪魔エクゾゲートは『体液』を軸とした超常を扱います。憑依した生き物の『体液』を浴びた別の生き物にならば絶対に憑依できるというものですね。悪魔が憑依できる生き物には悪魔ごとに制限がある、という制約は大悪魔エクゾゲートには適応されないというわけです」
「ハァ。ソレ、ガ、ドウカ、シタ、ノカ?」
「そして、ここから王都に向かうのには時間がかかるのならば大悪魔エクゾゲートのほうからここに来て貰えばいいんです。そう、『体液』を軸とした超常、魔導で言う所の証明済みにして成功例のない術式『魂魄移行』を使って、ですね」
「ソウカ。……ン? ソレ、ダイアクマ、ガ、ツカッタラ、ダレカ、ニ、ヒョウイ、スル、ン、ジャナイ、カ?」
「ええ、わたくしに、ですね」
本当に淡々とした声だった。
ゆえにこそ、はじめシロは何を言っているのか理解することができなかった。
じわじわと、逃避から脱するように内容を噛み砕いて、理解して、シロの感情は爆発した。
「ナッナニ、ヲ!? ナンデ、ソウナル!?」
「シロと一緒に初めて街に出た時、仮面の男に出会ったのは覚えていますか?」
「ア、アア」
仮面の男。
己の手首を切り裂きくっつけることで奇術だなんだと騒いでいた変な人間。それもシェルファに対して惚れただの結婚しようだの意味がわからないことを言っていたはずだ。
そして、そう、シェルファの手を取り唇で触れたのを今でもムカムカと共に思い出すことがある。
「あの時、わたくしの手の甲に唇で触れて微量の唾液を皮膚から体内へと接触感染させたということでしょう。唾液、『体液』を軸とした『魂魄移行』の発動条件を満たすために。ですよね、『賢者』?」
「察しが良いことで。全部お前の予想通りさ。だったら、もう、お前が何をすべきか理解してるよな?」
話が進む。
淡々と、当たり前のように。
「シェルファの肉体に大悪魔エクゾゲートを取り込んだ第二王子が憑依した瞬間、境界守護術式『リ・レージャ・ラニア』の燃料として消費する。もちろん第二王子や大悪魔エクゾゲートの魂と共に依り代であるシェルファの魂もまた消費されるが、まあ必要な犠牲ってヤツだ。その命、世界平和のために捨ててくれ」
「そうですね。そういうことなら──」
淡々と。
淡々と、ただただ淡々と言葉を垂れ流すのが気に食わなかった。
「フザケルナ」
なんだそれは。
なんでそんなに軽い? どうしてそんなにも自分の命を軽視できる?
そうですね、だと? なんで、なんで! そんなに簡単に答えることができるというのだ!!
「オマエ、ホントウ、フザケルナヨッッッ!!!!」
「きゃっ」
抱きしめていたその腕を離し、代わりにシェルファの肩を掴み、思い切り振り向かせる。真っ向から、真っ直ぐに、その瞳を見据える。
平然としていた。
それが、もう、我慢ならなかった。
「し、シロ。どうかしましたか?」
「ナンデ、ダヨ。オカシイ、ダロウガ。ナンデ、イノチ、ヲ、ステル、ナンテ、ハナシ、ニ、ナッテル? ナンデ、ソレ、ヲ、ウケイレル?」
シロは『賢者』とシェルファの会話の半分も理解できていなかった。それでも、たったひとつだけ分かればそれでいい。
人類滅亡を阻止するためにシェルファ一人の命を犠牲とする。それを是としやがったことだけが、だ。
数の話となれば、それが正しいのかもしれない。というか人類が滅亡するのならばシェルファだって死んでしまうのかもしれない。その辺りはどうなるのかシロにはよく分からないが、とにかく大勢の命を救うためにたった一つの命を差し出すほうが良いことなのだろう。
ふざけるな。
そんなの認められるか。
例え人類という大きなくくりが滅亡する間際だとしても、大勢を救うために命を差し出すことを是としたその答えがどれだけ正しいものだとしても、それでも、それでもだ!!
「オレ、ハ、イヤ、ダ。ドレダケ、タダシク、テモ、ソレデモ! オマエ、ニ、シンデ、ホシク、ナイ!! ダッテ、ダッテ!!」
だって、と。
その先に何を続けるべきか。
頭で考えても答えが出てこなかった命題に、シロは本能のままに叫んでいた。
「オレ、ハ、オマエ、ガ、スキ、ダカラ!!」
…………。
…………。
…………ぼぉっふんっ!! と、まるで爆発するようにシェルファの顔どころか全身が真っ赤に染まる。
「ひゃ、ひゃふっ!? なん、え、シロ、ふぁっひい!?」
「オレ、ガ、テキ、ゼンブ、タオス、カラ! ダカラ、オマエ、ガ、イノチ、ヲ、ステル、ヒツヨウ、ハ、ナイ!!」
「いえ、敵を倒せばそれで済む話でなくてですね、いやそうじゃなくて今なんて、やだ、なにこれ、なんて熱いやだこんなの知らない、ひゃわっ、ひゃわわーっ!!」
ぐいっと。
勢いのままに顔を近づけてくるシロ。己の感情を理解することなく、それでいて本能のままに答えを吐き出して、そして、
わひゃあっ、と。
もう耐えられないと言いたげにシェルファが逃げ出した。
「エ? アレ、オマエ!?」
慌ててシェルファを追いかけるシロ。
二人揃って建物から飛び出したのを眺めていた『賢者』は思わずこう呟いていた。
「なんでこのタイミングで色ボケかましやがった?」




