第四十二話 国王
それはいつのことだったのか。少なくともゾニア=ナイトギアが宰相の座についた時には『勢力』は存在していた。
魔導のデメリット、大気汚染をもたらし生命に害をなす魔粒の浄化技術を封殺せんと大陸中の国家が動いていた。とはいえ、国王主導の国がほとんどの中、民のための政策を第一としていた前国王を頂点とするソラリナ国では少々異なってはいたが。
そう、前国王は善良な男であった。不幸なことに彼の下についていた幹部クラスが軒並み現実主義者だっただけで。
宰相ゾニア=ナイトギアが前国王の理想を叶える手伝いをしていたのも、全ては『勢力』の理念を叶えるため。権力者が貪るべき利益を民に投げ渡すような真似は阻止したかったが、それ以上に『勢力』の暗躍を前国王にバレたくなかったがための目くらましというわけだ。
全ては第二次ラグナロクを生き残るため。
『奴ら』の侵攻から身を守るため。
『勢力』とはすなわち大陸中の国家上層部が自己保身に走った集まりであった。彼らは覇権大戦・ラグナロクにおいて立ち向かうことを選んだ過去の英傑たちと違い、屈することを選んだのだ。
それはいつのことだったのか。自身を悪魔と名乗る『仮面の男』は布告した。冒険者、暗殺者、騎士に兵士、果ては『勇者』の再来とまで呼ばれていた戦士を一箇所に集めた上で、その全員を皆殺しとした上でだ。
『最高の奇術ショーには前振りが必要なものでな。そのためにも魔粒で大気を汚染し、異界と現世の「属性」を近づけることで境界強度を弱めて、召喚術を用いずとも世界の壁をぶち破り異界から現世へと悪魔が侵攻できるようにしたいってわけだ。すなわち第二次ラグナロクぶちかます手伝いしてくれってわけな』
それは宣告であった。
かつての大戦が勃発した時代において『勇者』、『聖女』、『賢者』の位置に君臨していた猛者たちを皆殺しとしてのけた『仮面の男』による、だ。
『断るならば、まー派手さが足りねーが早速第二次ラグナロク開戦でもいいんだぜ? 悪魔の「軍勢」に今の時代の軟弱者どもが勝てるとも思えないがな』
そうして『勢力』は生まれた。
大陸中の国家上層部、一部の特権階級が第二次ラグナロクにおいて見逃してもらうことを条件として──そう、自分たちだけは生き残ることを優先して、大陸の命運を投げ売りしたのが始まりなのだ。
ーーー☆ーーー
「なに、を……言っている?」
第一王子、いいや今は国王だったか。『勇者』の末裔と喧伝してきた王族が一角、ジークランス=ソラリナ=スカイブルーは話があると執務室に入ってきた男からの説明に唖然と返すしかなかった。
宰相ゾニア=ナイトギア。骨と皮しかないようなガリガリの男がもたらしたのは大陸中の国家が『仮面の男』、いいや悪魔に屈したという事実。
魔粒が大気を汚染することで悪魔や天使が存在するとされる異界と人類が住まう現世の『属性』が近づき、もって双方を遮る境界の強度が下がり、召喚術なしでも異界の悪魔たちが現世に侵攻可能となる……らしい。
突拍子もない話だが、少なくとも宰相ゾニア=ナイトギアはそれを前提として証拠を開示した。『勢力』。大陸中の国家上層部が秘密裏に通じ、そのような与太話に振り回されるように魔粒汚染を解決するような技術開発を国家ぐるみで封殺してきた証拠を、だ。
「貴方は親父に長年仕えてきた男だろうが! それが、なんだ? 裏でこんなクソつまんねえことやってきただって??? 親父は! 貴方を信頼して、宰相という地位を授けたんだ!! なのに、なんで!?」
「前国王は善良な男でした。だからこそ、騙しやすかったんじゃねえか?」
崩れる。
本性が現れたのかとジークランスは歯噛みする。目の前の男は本性を隠し、くだらない自己保身のために異界からの悪魔侵攻の手助けをしてきたのかと怒りに魂が爆ぜそうであった。
王や宰相、国家上層部に君臨するには相応の覚悟と責任が伴う。突然の大災害だの何だの予測不能な『敵』を前にしても最適以上に行動して、民の暮らしを守らなければならないのだ。
そのための、特権。
ありとあらゆる『敵』に立ち向かうための武器を手にするならば、それだけの責任を示す必要がある。
特権階級に退路はない。あるのは勝利を示す義務のみ。『敵』に敗北した時は特権を手放し、次なる者に託して退くべきなのだ。
ゆえにこそ、相応しい立ち振る舞いが必要なのだ。例え好ましく思っている女だろうとも、特権階級たる者の伴侶に相応しくないならば切り捨てるしかない。
目の前のクソ野郎のように『敵』に屈して、自己保身に走るなど言語道断なのだ。
だから。
だから。
だから。
「まだ気づかないかぁ? そーゆー退屈な消化試合はとっくに終わっているってよぉ」
「な、に?」
宰相の言葉は崩れたままだ。それすなわち本性が露わとなったから、とジークランスは考えていたが……、
ぐじゅり、と。
途端、宰相の肉体が頭からつま先まで氷が溶けるように崩れ落ちた。
「ッ!?」
そこで終わらない、止まってくれない。
赤と黒のサイケデリックな色彩がつむじ風に煽られるように渦を巻く。ぎゅるんっ!! と縦に突き抜けた赤と黒が弾ける。
例えば、剣のように鋭い五本の指。
例えば、丸太のように太い四肢。
例えば、ノコギリのように伸びる牙。
例えば、鎧のように硬質な肌。
例えば、悪魔のように醜悪な顔。
全長二メートルを超える異形が君臨する。宰相だった肉と骨と血と神経とが束ねられ、材料となった肉塊を大きく上回る異形と変異したのだ。
「じゃじゃーん。チンケなガリガリ野郎が強靭な悪魔に変身しましたーっ! はい、拍手っ!!」
ばっと両手を広げて、異形が笑う。
ニタニタと、悪意のままに。
「なん、なんだ?」
「ありゃ、反応鈍いなぁ。わざわざ片付けておいた消化試合について解説してやったばかりか、奇術見せてやる大盤振る舞いだっつーのによぉ」
「ふざけているのか!? 何がしたいんだ、宰相!?」
「だーかーらー、そーゆーのは片付けたっつーの」
「あァ!?」
「宰相ゾニア=ナイトギアを筆頭に大陸中に蔓延る『勢力』は全部『こう』なっているってことだ。あれだ、一度殺してから、悪魔もどきにしてやったってわけ。いやあ、時間稼ぎのためとはいえ国家上層部がこうも簡単に屈服するっつーのは我ながら予想外でな。表向きは『我』の要求通り魔粒浄化技術を封殺しながらも、秘密裏に準備していて、最後には『我』に反撃するっつー演出かましてくれるもんじゃないかって期待していたんだぜ? だっつーのにマジで屈服しているだなんて本当、とんだ肩透かしだよなぁ。だから、片付けた。何も不思議ねーと思うけどなぁ」
「……ッ!?」
状況が目まぐるしく移ろう。
宰相ゾニア=ナイトギアを筆頭とした『勢力』の話が、次の瞬間には霧散して消えていた。大陸中の国家上層部。国を動かす者たちを敵に回すなど絶望的な展開になるのは目に見えていたというのに、そんなにも大きな話さえ紙くずと散る。
──『勢力』を敵に回すのは当然だと考えていることに一切の疑問を持ち込むことがないほどには『馬鹿』な現ソラリナ国国王ジークランス=ソラリナ=スカイブルーはゆっくりと立ち上がる。
「駄目だな。俺にはさっぱりだ。ここにシェルファでもいてくれれば分かりやすくまとめてくれるんだろうが、王と立つために切り捨てたもんな。仕方ない、わからずとも解決するとしよう」
「おいおい、シェルファという婚約者を失った、血筋だけの男に何ができると? いかにもどきとはいえ、これなるは悪魔。どこぞの一つ目野郎程度ならば瞬殺可能なほどだっつーのによぉ」
「血筋さえあれば十分なんだが、まあなんでもいいよ。それより一つだけ答えてくれ。貴様の目的は民を害することか?」
「大陸を死と絶望で埋め尽くす、最高にイカした奇術ショーぶちかますのが目的でーす。一人残らず皆殺しっつーことだな、はははっ!!」
ザンッッッ!!!! と。
黄金の軌跡が異形を縦に両断した。
「な、ぁ……?」
ぐちゅり、と裂けて左右に分かれる口が疑問の音をこぼす。対してどこから取り出したのか、右手に握るは黄金に輝く剣。その刃を振り抜いた格好でジークランス=ソラリナ=スカイブルーは言う。
「『敵』なら殺す。小難しいアレソレが分からずとも、これだけ果たせば何とかなるもんだ」




