第四話 お尻がピンチ!
「レッサー、これからのこともあるので魔力や魔器について話しておきますね。もしかしたら知識のズレがあるかもしれませんし」
「にゃっにゃにゃん!?」
前後左右に跳ね回る馬車の中でのことだった。どこから持ち出したのか魔導書片手にシェルファは言う。
「魔力とは魔器という人間や亜種族が持つ臓器から生成されます。生命エネルギーとも言い換えられるほどに人体の維持に不可欠であり、体内から魔力が失われた場合は死に至るほどです。また魔力は魔器から生成されたのちに血管やリンパ管に寄り添って全身に張り巡らされている魔管を介して体内、あるいは体外へと流れます。この辺りが阻害されると、魔力が暴走して身体に悪影響を及ぼすことになります」
「にゃっ、にゃんにゃかっ、ふにゃにゃんっ」
ドンドコ派手に揺れる馬車の中、シェルファの静かな声が響く。
「また魔導とは魔法陣に魔力を注ぐことで異界に潜む超常存在へとアクセス、その力の一端を現世へと流出させる技術です。よく誤解されるのですが、魔法陣や魔力そのものに超常を生み出す力があるわけではなく、あくまで超常存在の力を現世へと流出しているだけです。魔法陣を刻むことで溝を作り、魔力にて補強することで異界までその溝を届けて、その溝へと超常存在の力を流して現世まで届ける、というわけですね」
「にゃっはっ、にゃんにゃは!?」
……ドッタンバッタン狙っているのではないかと思うほどお尻ばかり強打しているレッサーまで聞こえているかは不明だが。
「後は、そうですね。召喚術。これは魔導と違い己が魔力にて超常を引き起こす術式です。先の超常存在を現世へと召喚する術式なのですが、こちらは大陸に存在する生命を丸々贄と捧げても足りるかどうかといったほどに莫大な魔力が必要ですし、奇跡的にそれだけの魔力を用意できたとしても召喚術構築には類い稀なる技能が必要となりますので、成功例は数えるほどみたいです。まあ大事なのは召喚術に失敗した際の副作用なんですけどね」
「にゃっ!?」
レッサーの控えめな胸部と違い、シェルファの自己主張の激しい胸部が暴れるのだけは止めることはできていなかった。色々といっぱいいっぱいなメイドは主のそれをやっぱりすごいの、とどこか現実逃避気味に直視して──罰のようにお尻に追撃が炸裂した。
「召喚術に失敗した者は魔器の機能や体内魔力の全てを破壊され、魔力生成ができなくなるんです。どんな治癒魔導でも治せない、まさしく呪いですね。ですけど、この呪いを受けた場合魔力がなくとも死に至ることがなくなるよう人体が変異するみたいなんです。一説によると超常存在が呪いを受けた者から魔力を抽出しているからであり、実は魔器の機能は生きてはいるが超常存在によって常に魔力を奪われているために現世にて生成された魔力は観測できず、また出来るだけ多くの魔力を生成させるために魔力がなくとも生きられるよう人体を変異させるとありますが真相は不明ですね」
「にゃにゃっ! にゃあーっにゃーっ!!」
長々と説明してくれている主には悪いが、もう何でもいいからお尻を助けてというのがメイドの本音であった。
ーーー☆ーーー
「お、お尻が……ふにゃあ……っ!!」
馬車から転がり出たメイドがお尻を押さえて悶えていた。同じく爆走する魔導馬車に揺られていたはずのシェルファは片手で魔導書を読むだけの余裕があったようだが。
「あっはっはっ! 足腰立たないメイドさんってなそそるものがあるよなあ。眼福眼福」
「こ、このクソ野郎が……ッ!!」
「はっはっ。それだけ叫べれば上等だわな」
お尻の痛みのせいか取り繕うこともできず噛みつくメイドの態度にもタルガは軽く流していた。
馬車でいう御者が座る場所にあるハンドルを手放し、魔力抽出用の首輪を取り外したタルガが地面に降りる。
その視線の先には大地より立ち込める禍々しき紫の粒子が木々どころか空まで染め上げてしまっている光景が広がっていた。
紫の気体に包まれた木々が生い茂る様は背筋に嫌な震えを走らせるほどに忌避感を抱かせる。
『魔沼』。森の奥にあるとされている呪われし沼。近づく者をことごとく殺す領域である。
「で、こっからどうするんだ、シェルファの嬢ちゃん? これ以上近づけば死んじまうが」
「呪いの地『魔沼』。あそこがそんな風に呼ばれているのは空さえ覆うほどに蔓延する瘴気が原因です。あの瘴気は魔力を殺します。ゆえに『魔沼』に近づいた者は瘴気を吸い込み、魔力を殺されて死に至る、というわけですね」
「そこまでわかっているなら……いや、まさか召喚術失敗によるペナルティを利用するつもりか!?」
タルガはシェルファが読んでいる魔導書を見て、目を見開く。その魔導書に記されしは召喚術。莫大な魔力と類い稀なる技術が必要な術式であり、失敗すれば体内の魔力を殺され、その状態でも生きられるよう変異させられる呪いを受けることになる。
「ええ、そうです。魔力がなくとも生きていられるよう人体を変異させれば、あそこに足を踏み入れることができますから」
「いやいや、シェルファの嬢ちゃんっ。自分が何言ってるか分かってるのか!? 現代における魔力とは生活の基盤だ。何をするにも魔力前提の作りとなっているんだ。家庭用品から何から全て魔力を注ぐことで動くんだぞ! 魔力を失えば、それら日常に溢れている道具の一切を使えなくなるんだ!!」
「ですが、昔の人は魔導を生活基盤としていなかったはずです。技術の発展と共に便利な魔道具や魔導が生み出されて、一般まで普及しただけなんですから」
「そんな簡単な話じゃないって! 確かに『ない』時代ならそれで良かったかもしれないが、『ある』時代を経験した後だと大変なんだっ。一度楽を覚えたら、人間キツいほうには戻りにくいもんだぞ!!」
「かもしれないですね。ですけど、必要なことですから。……心配してくれてありがとうございます、タルガ」
「ありがとうって、ったく! だけどやめる気はない、と。だよな、言って聞くような奴じゃないよなあ。はいはい分かったよ、好きにすればいいさ。まったく、呪いだなんて得体の知れないものさえ利用しようだなんて、恐れ知らずなこった!」
ガシガシと頭をかき、そう吐き捨てるタルガ。
シェルファはというと一度頭を下げてから──メイドへと視線を移す。
「というわけです、レッサー。わたくしについてくるというならば、最低でも魔力を捨ててもらう必要があります。これまで当たり前だった利便性を捨てるばかりか、呪いがあれば瘴気による症状を封殺できるというのも憶測でしかありませんし、呪いそのものに魔力根絶以外の作用が存在する可能性だってあります。正直に言って大きな負担となるでしょう。それでも、そこまでしてでも、わたくしについてくるでしょうか?」
「もちろんなの」
即答であった。迷うそぶりすら見せなかった。
レッサーは真っ直ぐにシェルファを見つめて、何やら驚いた様子の主の反応にコクンと首をかしげる。
「あれ? あたし、何か変なこと言った???」
「……、いいえ。わたくしには少々理解できない思考回路ですが、レッサーがそれでいいと言うのならば構いません」
果たしてシェルファは気づいていたか。レッサーの答えを聞いて、その口元に微かな笑みが浮かんでいることに。
ーーー☆ーーー
魔法陣構築、発動、そして失敗。
シェルファが構築した魔法陣へと魔力が流され、召喚術が発動、予定通り失敗することでペナルティとして魔力を殺す呪いが作用する。その代わりに魔力がなくとも生存可能となったがゆえに、紫の瘴気を無視して呪われし地へと足を踏み入れることができるようになった。
ーーー☆ーーー
異界。
現世と同じ座標に位置しながら、薄皮挟んだその先に存在する領域。
異界に住まうは人間たちが天使や悪魔と呼称している高位生命体であった。とはいえその分類に天国やら地獄やらは付随しない。その身を構成する因子が異なるだけで、天使も悪魔も同じく異界に位置する高位生命体である。
その一角。
上には後二つほどしかランクの存在しないほどには上位の悪魔──現世ではあり得ない、煌びやかにして透き通るようなプラチナ色の髪をした美女は不思議そうに首を傾げていた。
白にも黒にも見える不可思議な空間内にてその背中に生えた漆黒の翼をパタパタと羽ばたかせながら、プカプカと宙に浮かぶ彼女は不可思議な体験をしていた。
召喚術。
聖女だの勇者だの呼ばれている古代の英傑どもでさえも成功させることが困難であった、ある賢者が編み出した術式。若々しい見た目に反して数千年もの時を生きている悪魔が知る中でさえも、召喚術を支える陣を正確に構築できる者は指折り数えるほどであった。
古代。魔導に利便性がなかった代わりにより高度な魔導を使える術者が多く存在していた時でさえもそうであったのだ。利便性を追求していった結果、高度な魔導を使える術者が少なくなった現代に召喚術を正確に構築可能な者がいるわけない……と思っていたのだが、
「さっき構築された陣、あれに十分な魔力が注がれていたら召喚術は成功していたよねえ」
引っ張られる感覚があった。
あの感覚はまさしく賢者が彼女を呼び出した時のそれと同じであった。
ただし魔力が足りずに失敗、ペナルティを受けていた。それも短期間に二度召喚術を行い、二度とも魔力不足で失敗するという始末だ。
召喚術構築自体は成功させたような術者が魔力が不足していることに気づかないわけがない。それでも二度も発動したのであれば何らかの目的があるはずだ。
「我らが邪悪なりし女王様が思いつきの嫌がらせで作った呪いを受けるのが目的、だとか? 不遜にも定められしペナルティさえも利用する貪欲な人間がいるってことかねえ。ははっ、なにそれ、面白そうじゃん」
ぷかぷかと宙に浮かぶ悪魔の口元に蕩けるような笑みが広がる。堕落の代名詞、邪悪を極めた高位生命体の興味が現世へと向かう。