閑話 水浴び
はじめの頃の自分はどうしてああも大胆だったのか、シェルファはさっぱり理解できなくなっていた。
場所は洞窟近くの水場。
王都の広場程度の広さがあり、水深はシェルファの腰まで浸かるほど。上流から流れている川がこの水場まで流れ込み、下流へと繋がっている形である。シロ曰く何代か前のボスと一つ目野郎とが激突した際にこのような形になったという話である。
そんなことはともかく、だ。
漆黒のドレス姿のシェルファはドレスの腰辺りを掴み、せわしなく視線を彷徨わせていた。
夕日が森を紅に染める中、シロと二人きり。
そんなの、緊張するなというほうが無理な話である。
(大丈夫、です。だってわたくしは、だって前は一緒に水浴びした仲で、わたくしのほうから積極的に触れ合っていて、だって前はできたんです今できない理由がないです、だって、だってっ!!)
思考が、とりとめもない。
うまく繋げることができず、空回りする。
負の感情を誘発するようなドキドキではなく、しかし心臓の拍動が激しさを増しているのは明らかで。
理路整然と、合理的に自己を分析しているはずなのに、完璧にして俯瞰した視点は今日もまた解析不能と匙を投げる始末。
一つだけ明らかなのは、シロと一緒だと嬉しさや楽しさといった幸せが溢れて、受け止められず、思考が茹だってしまう、ということくらいか。
「ン」
「し、ろ?」
と。
全身返り血まみれでせっかくの純白を台無しにしているシロから手が差し出された。疑問に首を傾げていると、続く言葉は、
「アイツラ、ト、イッショ、ニ、ミズアビ、シテタ、ンダロ。ナラ、オレ、トモ、デキル、ヨナ」
「ふぐう!」
レッサー本当余計なこと言ってくれたものです、と今更ながらに愚痴が出そうになったが、そんなことしている場合ではない。
差し出された手は、つまりお誘い。
一緒に水浴びしよう、と。そう、はじめの頃にはシェルファのほうから有無を言わせずやった覚えのあるそれを、今度はシロのほうから誘われているのだ。
一度やったことだから。
子犬たちともやったことだから。
そう、何も問題はない。
ない、はずなのに、だ。
「どうしても、ですか?」
「ン」
「う、うう……っ!!」
半ばヤケクソだった。
自暴自棄に突っ走るくらいに振り切らないと踏ん切りがつかないほどに負の感情が原因ではないドキドキは身体を縛り付けていた。
ばしんっ! と勢いよく掴む。
掴んで、止まった。
じっと。
シロと見つめ合い、勢いを削がれたシェルファの下唇がむにゅもにゅっと意味もなく震える。
「え、えっと……それ、じゃ、入り、ます……か?」
「ン」
手を繋ぎ、並んで、水場に足をつけるシェルファとシロ。鋭ささえ感じる水の冷たさでさえも、火照りに火照った身体は冷えやしなかった。
腰まで水に浸かる。前は持ち前がなかったためにドレスで水浴びしたような気がしないでもないが、今は水着くらいなら用意できる、というかできている。
子犬たちと水浴びした際に使っていた黒のビキニに着替えなかったのはなぜか。そんなの恥ずかしいからに決まっていた。ゆえに前と同じようにドレスで水浴びしているという言い訳を用意しているわけだ。
……シロは全く気にしておらず、結果として自分に言い訳する形となっていた。
「オマエ」
「はっはい!?」
人間のそれと同じ五指、それでいて人間のそれと違い柔らかなシロの手の感触が繋いだ手から全身に巡っているというのに、だ。
ただ手を繋ぐだけでもいっぱいいっぱいなシェルファへと、シロはこう告げた。
「カラダ、アラワナイ、ノカ?」
「…………、ふ、へ???」
「ソウイウ、ハナシ、ダッタ、ダロウ、ガ」
分かっている。覚えていないはずはなく、しかし頭から抜け落ちていたのだから反応が遅れるのも無理はないではないか。
こうして手を繋いでいる状況からして胸の奥から全身に暴力的な熱が駆け巡っていた。それこそ何をしに来たのかということを忘れてしまうほどに。
「いや、それは、その……っ!」
「オレ、ダケ、ナカマ、ハズレ、ニ、スル、ノカ? ソンナ、ニ、オレ、ダト、イヤ、ナノカ?」
「ちがっ、そうじゃなくてっ。ああもう、やります、やりますから泣きそうな顔しないでくださいっ!!」
「ベツ、ニ、ナキソウ、ニ、ナッテ、ナンカ、イナイ」
ぷいっと。
悲しげに伏せていた顔をあげて、そっぽを向くシロ。何でもなさそうに装っていたが、その口元は隠しようもなく緩んでいた。
「や、やってやります。やりますからあ!!」
ばっしゃんっ! と繋いでいないほうの手で水をすくいシロにかけるシェルファ。今更ながらにタオルだなんだ持ってくればよかったと後悔しても遅い。何も持ってきていない以上、シロの全身を汚す赤を拭うにはその手を使うしかない。
「ン……ッ」
「あっ。痛かったですか!?」
「イヤ。モンダイ、ナイ」
「そう、ですか。それじゃあ、続けます、ね?」
ばしゃばしゃと今度は優しく水をすくい、シロの毛並みに手を這わせていくシェルファ。毛が水で濡れた分、その奥にある肉体の感触が直に伝わってくる。
何メートルもの怪物にも臆することなく挑み、両断するだけあってその身体はがっしりしていた。もふもふとした毛並みのほうがシェルファの好みのはずなのに、こうして手を這わせていると筋肉質な感触も悪くないと思えてきた。
あるいは、それは。
シロの身体だから、なのかもしれない。
「シロ」
「ン?」
「好き、です」
びくっ!? と。
シロの肩が跳ね上がる。
その感触さえも心地よく感じながら、どこか酔ったようにシェルファは続ける。
「もふもふもいいですが、カチカチもまたいいですね。好き。シロの身体が、わたくし……大好きです」
「ソウ、カ」
顔が火照って仕方がない。茹だった頭は冷静に思考を組み立てられない。だからだろうか。『身体』が、という冠に違和感を覚えているのは。




