閑話 ブラッシング
早速だが、水浴びのお時間であった。
「ふふ、ふふふ、ふふふふふっ!!」
洞窟近くにある水場でのことだった。いつものシンプルな漆黒のドレスから同じく漆黒のビキニに着替えたシェルファは言う。
「さあ、水浴びです! 全員整列っ!!」
「わう!」
「ガウガウッ!?」
観念した子犬たちがシェルファの前に一列に並ぶ。と、シェルファは先頭の薄い黄色の毛並みの子犬を抱き寄せ、
「はいだーいぶっ!!」
「わふっ!?」
ざばぁんっ!! と水場へと飛び込んだ。
溺れないよう子犬の顔が水につかないよう若干上に掲げるようにして、水につけた子犬の全身に指を這わせていく。
「しっかり洗って、ブラッシングして、さらに上のもふもふを目指しましょう!!」
「わう、わうわうっ!?」
わしゃわしゃ全身を水で洗われた子犬はレッサーが回収、タオルで拭っていく。その時には次の子犬がシェルファに捕らえられて、水場に引きずり込まれる。
「ふ、ふふっ、ふふふふふっ! さあ綺麗綺麗にしましょう!!」
「ガ、ガウ……ッ!!」
……はじめの頃は嫌がって逃げる子犬もいたのだが、怒るのではなく悲しそうに『水浴び、嫌ですか……』なんてことをあのシェルファが言うものだから、最近では全員が観念して水浴びを受け入れていた。
子犬たちの身体を綺麗にすることは健康にも繋がるという話だが……それはそれとして子犬たちとの水浴びをシェルファが楽しんでいる様子でもあった。
シェルファが楽しそうならいいか、と。半ば諦めた子犬たちはわしゃわしゃしてくる繊手にその身を預ける。
ーーー☆ーーー
「さあさあ、ブラッシングです!!」
はぁはぁ、と鼻息が荒いシェルファが叫んでいた。場所は移って洞窟内、スリッカーブラシやコーム、ピンブラシなど多様なブラッシング用品を手にしたシェルファが早速一匹の子犬を捕まえる。
薄い青の長い毛並みの子犬、名をレヴィアタン。四歳、メス。
他の子犬を撫でたりしていると、嫉妬しているかのように構ってと肉球でぽんぽんしてくる子犬である。
「はふ、はう。ロングコート、もふもふ。せっかくの長い毛並みなんですもの。しっかり整えて、すべすべとした手触りを維持しないと。はぁ、はぁ!」
濃い銀色の短い毛並みの子犬、名をドレカヴァク。四歳、オス。
活発な子供のように元気に外を駆け回り、疲れたとなれば抱っこをせがむように飛びついてくる子犬である。
「ショートコート。短い毛並みもまたもふもふ! 体温を直に感じながらももふもふできるから、はふう、短い毛並みもまた良し、ですね!」
金の硬質な毛並みの子犬、名をカラドボルグ。五歳、オス。
他の子犬に比べて走るのが速く、その速度は子犬たちの中で唯一全力のシロと追いかけっこができるほどである。自分から誰かと触れ合おうとはしないが、抱きつけば『仕方ないから甘えてやる』とでも言いたげに喉を鳴らすこともある。
「ワイヤーコート、ふ、ふはっ! 硬い毛並みもそれはそれでアリです。一見鋭そうに見えて、これもまたもふもふなんですから。はいはいちょっとトリミングナイフも使いますからねえ」
くるくるとした茶色の毛並みの子犬、名をイオフィエル。六歳、メス。
唯一くるくるとした巻き毛をしており、キキ曰くそのことを気にしている様子であったらしい。シェルファが所構わず抱きついて褒めてと繰り返していった結果、己の毛並みに自信を持てるようになったとか。
「カーリーコート。くるくる、ふわふわ……。絡まないように慎重に、えへ、えへへっ、こんなにもふもふなんですもの。しっかりケアして、ふんわり仕上げないとですね!」
その他にも多種多様な子犬たちを次々にブラッシングしていくシェルファ。これもまた日々の積み重ね。はじめの頃は嫌がっていたが、諦めることなく頼みこんで、もふもふしながら、短い時間だけでもブラッシングすることで慣れさせていき、ようやく全員が受け入れてくれるようになったのだ。
「カモンですう!!」
というわけで手入れが終わってもふもふ真っ盛りな数十もの子犬を誘うように両手を広げるシェルファ。銀の子犬が真っ先に飛びかかり、遅れて薄い青の子犬が嫉妬するように肉球でポカポカしはじめてと半分以上の子犬が上等だやってやるよといった感じで突進していた。
中には金の子犬のように別にわざわざ付き合う気はないと言いたげに距離を取っている子犬もいたが、そんなのお構いなしに次から次に乱獲でもするように己から抱きつきにいくシェルファ。
くるくるとした巻き毛を揺らし、そわそわしていた子犬を最後に全員を回収。抱きしめられる数にも限りがあるので、大半は甘噛みするなり、爪を引っ掛けるなり、頭に乗るなり、腕や足にしがみつくなりしていた。
ふへえ、と満足そうに息を吐くシェルファ。
と、そんな時だった。
「カエッタ、ゾ」
ずりずり、と。
二メートル以上はある巨大猪を引きずって、シロが洞窟内に入ってきた。その身体は返り血で赤く染まっており、せっかくの純白の毛並みが台無しだった。
「ム」
絶賛子犬祭りなシェルファを見て、シロが微かに眉根を寄せるが、振り払うように首を横に振る。気にならないといえば嘘になるが、引きずらないようにしてくれているのだろう。
それはそれとして、だ。
看過できないこともある。
「むう。シロ、ちゃんと綺麗にしてください」
「ベツ、ニ、キ、ニ、ナラナイ、ガ」
「わたくしが気にするんですせっかくのもふもふが台無しじゃないですかっ」
「ソウイウ、モノ、カ」
呟き、ぶるぶるっ! と全身を震わせるシロ。犬が濡れた身体を乾かす動作に似ていたが……そんなものでは、せっかくの純白を汚す赤が完全に落ちることはなかった。
「せめて水浴びしてくださいっ!」
「ム。メンドウ、ダガ……オマエ、ガ、キ、ニ、スル、ナラ、シカタ、ナイ、ナ」
と。
そこでキキの灰色の毛並みをブラッシングしていたレッサーがどこかイタズラでも仕掛けるような声音でこう言った。
「お嬢様が手伝ってあげればいいの」
…………。
…………。
…………。
「れっれれっ、レッサー!? 何を!?」
「出会ったその日に一緒に水浴びした仲なんだから、気にする必要ないんじゃないの? だいたいさっきまで子犬たちと一緒に水浴びして、毛並みを整えてあげたんだし、別に一人増えたからって問題ないはずなの」
「ム」
ぴくり、と。
シロの眉が動く。
「たっ、確かにそうですが、その、今はそういうのは緊張するというか、よくも過去のわたくしはあのようなことを躊躇なくやっていたものだと思うくらいで、だから、その……っ!!」
「ソレナラ、イイゾ」
「シロ……?」
「オマエ、ガ、アイツラ、ト、オナジ、コト、ヲ、オレ、ニ、スル、トイウ、ナラ、ツキアッテ、ヤル」
「しっ、シロ、それは、でもっ!」
先のレッサーの言葉がシェルファにではなく、シロに向けられていたことは見抜いていた。だが、結果としてシロをやる気にさせることまでは予測できていなかった。
完璧な視点、物事を論理的に俯瞰する側面では見抜けない『法則』が横たわっていることは予測できているが、未だにその『法則』を言語化できそうにはなかった。
「う、うう……。シロ、が、それで、いいなら……一緒に、やりましょう、か」
「ンッ!」
満足げに頷くシロを見て、まだ何も始まっていないというのにシェルファの心臓は激しく高鳴り、全身は熱く火照っていた。
いてもたってもいられないほどに全身を焦がすそれは、しかし不快なわけではない。熱く、燃え盛る感情は、心地よさも内包していた。




