閑話 貴方が相手だからこそ
早速だが、数十もの子犬が山となっていた。
「……、ハァ」
白と黒の竜巻による破滅を粉砕してから数日後の洞窟内でのことだった。狩りから帰ったシロを出迎えたのは黒だ紫だ茶色だ銀だ赤だ青だ黄色だと多種多様な色彩のもふもふたちが積み重なって出来上がったもふもふマウンテンであった。
誰のせいでこんなことになっているのかなんて、確かめるまでもない。
「ふあ、ふっはぁーっ!」
「オイ」
「もふもっ、もふもふが、いっぱい、もふもふう!!」
「オイ、オマエ!」
もふもふマウンテンの奥から響くは聞き慣れた女の声であった。シェルファ。『外』からやってきた一人であり、気がつけば仲間と迎えることを良しとするほどには安心できる人間である。
……少々『ヘンナヤツ』ではあるのだが。
「この声……シロですか!」
「アア。ナァ、オマエ。ナニ、ヤッテル、ンダ?」
「もふもふしているんです。見てわからないですか?」
「ワカル、カラ、イッテル、ンダ」
呆れたように息を吐くシロ。
当のシェルファはといえば数十のもふもふの中に埋もれているせいで姿が見えない有様であった。山がぐらぐらと揺れているため、中で悶えているのだろうが。
それにしても、だ。
山の中から漂う甘い匂いにつられているのだろうが、それにしたって密着しすぎではないか? とシロは微かな苛立ちを覚えていた。
シェルファが『ヘンナヤツ』なことも、ああいったスキンシップが好きなことも知っていて、なおかつこれまではあまり気にしていなかったはずなのに、だ。
声音からシロにも理由がわからない苛立ちが感じられたのか、(基本的に他者の感情の機微などを見抜くこと『は』できる)シェルファはこう言った。
「なんだか不機嫌そう……はっ!? シロも甘いもの食べたかったですか!?」
「ソンナ、リユウ、デ、オコッテ、ナイ、カラ」
じゃあ、なぜそんなに不機嫌なのか、と聞かれると返答に困るためそれ以上は何も言わなかったが。
ーーー☆ーーー
生肉をガツガツ食べるような食生活を送っていたからか、シロやキキといった獣人、また数十もの子犬たちは大抵の食べ物は問題なく食べられるようだ。
……子犬、と便宜上呼称してはいるが、運動能力は子犬のそれとかけ離れている──『冥王ノ息吹』へと口で掴んだ木箱を投げつけていたほど──ことからも、人類が犬と分類している動物とは種族が異なるようで、従来の犬に与えてはいけないものも問題なく食すことができる。
というわけで最近の子犬たちのブームは甘いものであった。甘いもの片手に誘えば子犬マウンテンが出来上がるほどに群がり、飛びかかってくるのだ。
「ねえレッサー」
「どうかしたの、お嬢様」
洞窟内でのことだった。
シロやキキ、子犬たちは家づくりのため外に出ており、現在はシェルファとレッサーの二人きりである。
「いつものようにみんなをもふもふしていたら、シロが不機嫌になったんです」
「…………、あー」
レッサーが言葉に詰まっている間にもシェルファは続ける。
「そういえばルシアお兄様と抱き合っていた時も不機嫌そうでした。ねえレッサー、なぜだかわかります?」
「あーあー、それね。うんうん」
ひとしきり頷いて。
レッサーはこう答えた。
「教えてあげてもいいけど、お嬢様は『そういうこと』に疎いから教えても理解できそうにないの」
「……? 答えさえわかれば、理解できるものでは???」
「かもしれないけど、お嬢様の場合変に理路整然と片付けそうで怖いの。というわけで、もうちょっと頑張って考えてみるの。拗れてどうしようもなくなったってなったら、力貸してあげるから」
「よくわかりませんが、レッサーがそう言うのならば、そうしたほうがよろしいのでしょう」
「なのっ! あ、そうだ、一つ助言なの。シロと二人きりでなんで不機嫌になってたのか聞いてみるの。それで『今の問題は』丸く収まるだろうし。お嬢様、二人きりというのが重要だからね。くれぐれも余計なことしちゃダメだからね!!」
「二人きり……。本当に二人きりになる必要があるんですか?」
「当たり前なの!」
「……、レッサーと三人ではダメでしょうか?」
「だーめーなーのー! 余計なことせず二人きりでストレートに今のお嬢様の気持ちを伝えること、わかった!?」
「そ、そうですか。レッサーがそう言うならば……そうします」
何やら熱烈なメイドの言葉に若干気圧されながらも、シェルファは一つ頷く。シロと二人きりとなる想像でもしたのか、その頬は僅かに赤くなっていた。
ーーー☆ーーー
相談の後には外に出て家づくりに取りかかり、夕食にレッサーお手製乾パン丼を食べてから、シェルファは夜空の下にシロを呼び出していた。
洞窟近くの木々を家づくりのために切り開いて出来た更地には薄い紫の粒子、すなわち瘴気が漂っているため星の光は霞んでいたが、地上に全く届かないというわけではない。
霞んだ月明かりの下、切り分けた木材に並んで腰掛けたシェルファとシロはただ黙って夜空を見上げていた。
それだけで心安らぐのだが、本来の目的は別にある。
「ねえシロ」
「ナンダ?」
「わたくし、何かしたでしょうか?」
心臓が暴れる。最近良く感じている、理由も分からず、しかし心地よささえ覚えるそれではない。恐怖が主となった、ただただ負の感情を浴びせてくるそれであった。
「もしもわたくしに至らぬ点があるのならば遠慮なくおっしゃってください。生まれも違えば、育った環境も違います。埋葬や言語といった共通項もあれば、異なる点もまたあるでしょう。知らず知らずのうちに傷つけたのならば謝りますし改善します。歩み寄るよう努力します。だから、だから……わたくしのこと、嫌いにならないで、ください」
逃げるように俯いていた。
分かっていたというのに今日まで先延ばしにしていたことを恥じるように。
ルシアに逢いに行く際にも見受けられた『逃避癖』であった。シェルファは相手が大切であればあるだけ、臆病になるのだろう。生来のものなのか、それとも幼少期の教育のせいなのかは不明だが。
もちろん完璧な令嬢としての側面は不備があるなら確認すればいいと結論づけていたが……それ以外の何かが怯え、停滞し、結果として先送りにしていたというわけだ。
だからこそ。
ルシアの時にシロが背中を押してくれたように、レッサーにこうするべきと背中を押されてようやく向き合うことができた。
普段はあまり態度に出すことはないが。
レッサーだってシェルファにとっては数少ない大切な人であり、信頼できるメイドなのだから、その言葉は大いに力となる。
「オマエ」
「はっはい!」
そして。
そして。
そして。
「ワルカッタ!」
「……、え?」
シロが頭を下げていた。
怒らせていたはずのシロから謝罪を受けて、シェルファは困惑したように目を瞬く。
「オマエ、ハ、ワルク、ナイ、ンダ。オレ、モ、ヨク、ワカラン、ガ……オマエ、ガ、ホカ、ノ、ヤツ、ト、ナカヨク、シテ、イタラ、ムカムカ、スル、ンダ」
「ええ、と」
「ダカラ、ワルイ、ノハ、オレ、ナンダ。ホントウ、ニ、ワルカッタ、ナ」
「い、いえっ。わたくしがシロの気にさわるようなことをしていないのならば、それでいいんです。……あの、シロ」
「ン?」
「わたくしのこと、嫌いになっていません、よね?」
オマエ、ハ、ワルク、ナイ、と。
そう言われて、なお改めて尋ねることに意味なんてないと完璧な令嬢としての視点は判断していたが……どうしても、確実にして明確な証明が欲しかった。
俯いたその顔をあげて、斜め下からシロの顔を覗き込むシェルファ。そんなシェルファを前にして、なぜかシロは息を飲み込み、微かに顔を赤くしていた。
興奮。
そこまでは難なく見抜くことができたが──その理由まではシェルファでも見破ることはできなかった。
あるいはそれは、最近シェルファの中に渦巻く言語化不能な感情と同じものなのかもしれない。
「オマエ、ヲ、キライ、ニ、ナンテ、ナッテナイ」
「そっ、そうですか。良かった……」
「ダカラ!」
「……? だから?」
「ダカラ、ダナ、ソノ、ナンダ、タマニハ、マエ、ミタイ、ニ……」
「前みたいに、なんですか?」
「ダカラ! マエ、ミタイ、ニ。アイツラ、ニ、シテイル、ミタイ、ニ! ダ、ダキッ、ダキツイタリ、シテ、モ、イイ、ンダゾ!!」
「そ、それは……確かに前はそんなことしていましたが、最近抱きつこうと思うとドキドキが激しくなってですね、だから、その、何かと理由をつけないとできなくなっていてですね、だから、だからっ」
「イイカラ、ンッ!」
バッ! と。
両手を広げるシロ。
どことなく怒ったような、いいや拗ねた様子であった。子犬たちはよくてオレはダメなのかと突きつけてくるように。
せめてシロからしてくれたならばまだマシだというのに、どうやらシェルファからして欲しいようだ。
仮面の男が惚れただなんだ言ってきた後、不機嫌そうなシロを前にした時はそうすべきと思ったから抱きついた気がしないでもないが、そう何度もできるものでもない。
……はじめの頃は散々抱きついたばかりか、それ以上だって平気だったというのにおかしな話である。おかしい、と思っていても、恥ずかしいものは恥ずかしいのだが。
と。
「オレ、ニ、ダキツク、ノ、イヤ、ニ、ナッタ、ノカ?」
「ちっ違います! 本当、あの、シロは悪くなくて、最近ちょっとおかしくて、だから、その……っ!!」
拗ねた表情から一転、悲しそうに眉を寄せられるとシェルファとしても罪悪感から心臓がキュッと締まる。
そんな顔をして欲しくなかった。
そのためなら、シロに笑っていてもらうために必要なら、恥ずかしさの一つや二つ振り切るべきだろう。
「わかっ、わかりました! やります、やりますからそんな顔しないでください!!」
「……、ホントウ、カ?」
「本当ですボンバーです!!」
元とはいえ令嬢らしくない発言が飛び出すほどだった。まだ何もしていないのに頬は赤く、心臓が激しく脈打っていることと何らかの関係はある……はずだ。言語化できはしないにしても。
「で、では、いきますよ?」
「オウ」
「ほ、ほほ、本当にいっちゃいますからね?」
「オウ」
「うう。や、やっちゃいますからね!!」
「イイカラ、ハヤク」
「ふ、ふぐっ、ふぐう!!」
もうほとんど涙目での特攻であった。両手を広げ、体当たりでも仕掛けるように勢いよくぶつかり──全体重をかけた突撃をシロは難なく受け止めた。
ぎゅう、と。
どちらかといえば小柄な体躯に反する、ガッシリとした両腕がシェルファを抱きしめる。
もふもふとした真っ白な毛並み、燃えるような体温、男特有のニオイに薄い獣臭が混じった、人によっては嫌悪感を覚えるかもしれないが、シェルファにとってはシロを感じさせる心地よい体臭。その全てが、心臓を激しく脈打たせて、血を頭にのぼらせて、思考をかき乱す。
どうしてはじめの頃はああも気軽に抱きつくことができていたのか。こんなにも心揺さぶる行為だというのに。
「……、ナンダカ、ハズカシイ、ナ」
「なっ!? シロがそれ言いますか!? 自分から抱きつきにいったわたくしのほうがとっても恥ずかしかったというのに!!」
「ワ、ワルカッタ、ナ。ジャア……モウ、ヤメル、カ?」
どことなくシェルファの様子を伺う声音であった。できればこのままがいい、という想いは完璧な令嬢としての側面を用いらずとも察することができただろう。
だから、というわけでもないが。
シェルファはどこか言い訳するようにこう続けた。
「シロがこのままがいいなら……構いません」
「ン」
さらに強く引き寄せてくるシロの腕の感触にシェルファは緊張と興奮と、そして心地よさを感じ、目元を緩めた。




