第三話 魔導馬車、爆進
「あーっはっはっはあ! 聞いちゃいたがマジか、マジでそんな理由で婚約破棄突きつけられたってか!? 災難だったな、シェルファの嬢ちゃんっ。いや、考えようによってはそんな馬鹿やらかす馬鹿と結婚せずに済んだから良かったって感じか?」
『スピアレイライン運輸』が本店、その奥。
仕事部屋兼私室なのだろう、手狭で庶民感満載な部屋であった。机と椅子、後は仕事の資料なのか紙の束が乱雑に突っ込まれたタンス……では収まりきれず、そこらに紙の山ができていた。
椅子に腰掛けた会頭・タルガはといえば、『永年泥酔の蒸留水』──特殊な水と技法でもって作られた下手なお酒よりも酔いを誘発する水をボトルごと一気に飲みながら、腹を抱えて笑っていた。何やら正面に座すシェルファやその隣にササッと座ったメイドの前にもそれぞれボトルだけが置かれているのだが、まさか朝から『永年泥酔の蒸留水』をストレートに、それもコップに注がずボトルから直に飲めということ、だろうか?
「んぐっ、んぐっ……ぷはぁっ! しっかしあれだ、王族がマジに調べりゃ嫌がらせ云々がシェルファの嬢ちゃんがやったことじゃないってのはわかったろうに」
「? わたくしは確かにやってはいないですが、タルガは信じてくれるので???」
「当たり前だろ。シェルファの嬢ちゃんは嫌がらせなんて半端なことするような奴じゃないし。それこそ露見するリスクをできるだけ削ぎ落とした上で確実に始末したってんならまだしもな。……ガキのじゃれ合いじみた嫌がらせだけって、ははっ。あり得ないわな」
「……、そうですか」
くすり、と。
静かに、小さく、それでいて確かに笑みを浮かべるシェルファ。そのままボトルを掴み、メイドが止める暇もなく口にして、ぐいっと一気に煽る。
んぐ、ごきゅっ、と喉を鳴らし、だんっ! と空になったボトルを机に叩きつける。口の端についた液体を親指で拭う。
「ふふっ。ふふふっ、ふふ……。たまにはこういうのもアリですね」
「おっ、流石シェルファの嬢ちゃんだっ。いい飲みっぷりだなっ」
「ちょっちょっと待っお嬢様っ。そういうのは一気に飲むものじゃないってっ。酔ってない、大丈夫?」
「ええ、この程度ならば全然」
「なんだなんだ、メイドさんは飲まないクチか? だったら酔っ払いに絡まれるのもかわいそうだ。どうだ、二人で飲みに行かないか、シェルファの嬢ちゃん?」
わざとらしくそう問いかけるタルガ。
対してシェルファもまた空になったボトルを軽く振って、ちっともそう思っていないのではと思うほどに感情のこもっていない声音でこう告げた。
「そうですね。レッサーが飲めないならば、そうしたほうがお互い気を遣わず済みますしね」
「え、ええっ! 待って、なん、ええ!?」
「それではタルガ、わたくしたちだけで楽しみましょうか」
「ちょっちょおっ、男女が二人きりで飲みに行くって、待って! それだめ、駄目だってっ。飲む、あたしも飲むから二人でってのは絶対許さないから!!」
言って、ボトルを手に取り、口をつけるメイド。
瞬間、ばたん! と机に突っ伏し、ぐがーっと寝息を漏らしていた。
……常人であれば一滴口にしたら泥酔して眠りに落ちるものなのだ。
「さて。これで良かったんだよな、シェルファの嬢ちゃん。用事がある『だけ』ならさっさと告げていただろうからな。用事ありきでさっさと告げずにボトルに口までつけたんだ。多少無理矢理でもそこのメイドさんにも飲ませてダウンさせるのが狙いって見るべきだ。つまりメイドさんにも聞かれたくない用事ってことだよな?」
「話が早くて助かります。一から十までわざわざ説明せずに済むってのは楽でいいものですよね」
ぐーぐー眠っているメイドの銀の髪をシェルファは優しくすくうように撫でる。もちろん初めから眠らせることだけが目的であり、メイドを仲間外れに飲みに行くつもりなどなかった。
「タルガ、お願いがあります」
「おう、なんだ?」
「呪いの地『魔沼』へと行きたいので、そこまでの安全な移動手段を用意してもらえればと」
「『魔沼』だと? 死の領域だってわかって……いるよな。オーケー。シェルファの嬢ちゃんの頼みならなんだってやるさ。で、他には? それだけじゃないだろ、用事ってのはさ」
「ええ。レッサー……このメイドを引き取って欲しいんです」
ん? とタルガは眉をひそめる。
シェルファといえば気味が悪いくらい何を考えているのかわからないとよく評される漆黒の瞳で呑気に眠っているメイドを見つめていた。
優しく、穏やかにメイドを撫でながらも、その口から告げられるは離別のそれであった。
「わたくしに付き合ってくれるのは結構ですが、『先行投資』にて失うものは多いんです。そこまでしてもらうのは申し訳ないので、せめて事業が軌道にのるまでは──」
「悪い、それはいかにシェルファの嬢ちゃんの頼みでも聞けないな」
サラリと。
シェルファの言葉を遮り、タルガはそう答えた。
肩をすくめて、続ける。
「そのメイドさんは公爵令嬢でなくなったシェルファの嬢ちゃんについてきてくれているんだろ? それだけの覚悟があるってわけだ。だってのに、本人の意思を無視してシェルファの嬢ちゃんから引き離すわけにはいかないな」
「……、わたくしについてきては失うものが多いとしても?」
「それも含めて決めるのはそこのメイドさんだ。自分の人生くらい自分で決めないとな。まあ、なんだ。そんな早急に決めず、しばらくは見守ってやれよ。嫌そうだってんなら、その時にでもお別れすればいい話だし」
まあ、と。
タルガは意地悪げに口元を歪めて、
「メイドさんが邪魔なのにチョロチョロとついてくるのが迷惑って話なら、引き離すのを手伝ってやってもいいがな」
「? そんなわけないです。レッサーはよく尽くしてくれています。これ以上のメイドはこの世に存在しないと胸を張って言えるでしょう」
「ったく、からかい甲斐ないなぁ。で、話は終わりか? だったら早速『魔沼』まで行くか。この際だ、『照れ屋』なシェルファの嬢ちゃんのために俺直々に運輸を担当してやるよっ」
「『照れ屋』???」
「投資だなんだそーゆーの全部内緒にしておけってのがデフォなんだ、『照れ屋』以外のなんだってんだ? ったく、恩人におおっぴろげに感謝すらできないってのは辛いものがあるんだぞ」
「いえ、それは単に『先行投資』した手札をわざわざ晒す必要はないというだけですけど……」
「手札、ねえ。そこですでに成長したのを買収するんじゃなくて、成長するよう手助けするって考えるんだもんなあ。あの腹黒公爵家からどうしてシェルファの嬢ちゃんのような奴が出来上がったのやら」
ーーー☆ーーー
目が覚めたら、跳ねていた。
「にゃっにゃにっ、痛い痛いっ。なんかめっちゃガタンゴトンなってるう!?」
レッサーは己が腰に縛られた縄で壁に固定されていた。その壁がなければとうに木造の部屋(?)の中を縦横無尽に転がっていたほどには地震のように揺れまくっていたのだ。
正面、同じように固定されていながら、レッサーと違って揺れに翻弄されることなく優雅に座り魔導書を読んでいるシェルファと目が合う。
「おっお嬢様、これなに!? にゃにが起きて、ふにゃあ!?」
「魔導馬車です」
「魔、へ?」
「魔導馬車。魔力を燃料に走る馬車ですね。馬を用いずに走るので馬車というのとは少し違うはずなのですが、なぜか魔導馬車という呼び名が定着しているんですよね」
魔導馬車であればメイドも知っていた。街から街の移動手段としての定期便を利用することもある。
だが、
「魔っまどっ、魔導馬車ってこんなに揺れるものだっけ!? もっと静かだった気がするけど!?」
「改造しているんでしょう。加えてタルガが操縦しているんです。速さを追求した結果、少しばかり荒っぽくなるのも無理はないでしょう」
「少し? これが!?」
ふにゃあ!? と岩でも踏んだのか大きく部屋、いいや馬車が跳ねた衝撃に宙を舞ったメイドがお尻から落下する。
完全に涙目でお尻を押さえて蹲るメイドは気がつけば腹の底からこう叫んでいた。
「絶対少しなんかじゃないってこれえ!!」
「ちなみに目的地まで後三日はかかるみたいですね」
「三日!? そんなの無理、絶対無理っ。お尻割れちゃうってえーっ!!」
「? お尻は初めから割れているものだと思うのですが」
「そういうことじゃないのお!! 天然かよこんにゃろーっ!!」