第二十八話 奇術師
『魔沼』から一番近い木組みの街は大国ソラリナの北西部に位置する。都会と田舎の中間、目立った名産物があるわけではないが、良くも悪くも無難なところに落ち着いている街である。
不思議なことに瘴気は風の影響を受けず真上にのぼるので、数キロ先という近さにある呪われし地から瘴気が流れ込んでくることはなかった。
そんな木組みの街の一角、噴水がある広場では真紅のマントに仮面の男がばばっ! と複雑に腕を動かし、ポーズを決めていた。
「さあさ、皆さまごちゅうもーくっ! タネも仕掛けもござりゃあしねー奇術ショーの時間だぜベイベーっ!! 魔導とも違う本物の奇跡、その目で目撃せよチェケラッ!!」
と。
大げさなほどにデフォルメされた笑い顔の仮面をつけた奇術師はびしぃ!! と十人はいる通りすがりの中からいかにも怪しげな人影を指差す。
「そこのキミっ! 我が奇術の目撃者とならんことを!!」
「ム。オレ、カ?」
濃い青のローブで頭の先から爪先まで覆い隠した不審者極まりない──声から若い男のようだ──彼の言葉に仮面の男はうんうんと大仰に頷く。
「キミさキミっ! さあさ、挨拶代わりに人体切断奇術をご覧あれっ」
スパン、と。
いつのまにその手に持っていたのか、仮面の男は鋭利なナイフで逆の手を手首から切断したのだ。
ぶしゅう! と赤黒い液体が噴き出す。手首の断面から鉄錆くさい鮮血を噴き出しているというのに、仮面の男は軽薄な声音でこう続けた。
「切りたてほやほやの手首ですよっと」
「オット」
切断した手首が宙を舞う。そう、ローブの少年へと投げ渡したのだ。反射的に受け取った少年へと、ビシバシッ! と片手を複雑に動かし、指差す仮面の男。
「その手首、本物だろうベイベー?」
「タシカ、ニナ。シカシ、フツウ、ジブン、ノ、テ、ヲ、ジブン、デ、キルカ?」
「ここからが奇術の時間さっ。タネも仕掛けもござりゃあしねー奇術ショーの時間だぜえ!!」
突然の暴挙に近くに十人ほどいた通行人が悲鳴をあげているのだが、仮面の男は元より全身ローブな少年も特に気にした風でもなかった。
そう。
双方共にこういった血なまぐさい光景には慣れているということだ。
「さあさ、その手首をこちらにぎゅぎゅうーっと押しつけちゃおーっ!!」
「ベツ、ニ、イイガ……」
困惑しながらも、手首を差し出された腕の断面へと押しつけるローブ姿の少年。しばらくぐりぐりと押しつけていると、徐々に抵抗が出てきて──やがて、手首が完全にくっついてしまった。
出血が止まり、傷跡すら消えた綺麗な手首へと変貌していた。いつのまにそこまで治ったのか気づかないほど鮮やかに、である。
「ムッ? クッツイタ、ダト!?」
「はっはぁーっ! これぞ奇術っ。タネも仕掛けもござりゃあしねー見世物ってな☆ 掴みとしてはバッチリだったんじゃね? じゃねじゃね!?」
大成功とでも言いたげに両手でシュババッ! と全身を絡ませるようにポーズを決める仮面の男。大歓声を待つと言いたげにしばし無言で待機して……突然、歓声なんてやってくるわけがなかった。
未だ血なまぐさいニオイや赤黒い液体がこぼれた地面が広がる中、見ていた者たちが喜ぶわけがないのだから。
「あ、あれれ? ここで大盛り上がりの予定だったんだけどなー???」
「ヘンナ、ヤツ」
「あっはっはっ。そいつあ奇術師には褒め言葉だなあ」
「ダイタイ、ソノ、キジュツシ、ッテ、ナンダ?」
「魔導の存在がなかった頃流行った娯楽提供人さ。今時の若者にゃあ馴染みがないかもしれないけどなっ」
と。
突然の暴挙に騒然としていた周囲の人たちのざわめきの色が、変わる。
広場に足を踏み入れる少女が二人。
一人は大胆に背中にスリットが入ったメイド服の少女。こちらもこちらで可愛らしかったのだが──その隣に立つ少女の『完成形』が人の目を惹きつける。
闇から切り取ったかのようなシンプルな漆黒のドレスに劣らず黒き髪、すらりと伸びた肢体の指の先までキラキラと輝いているようですらあった。
先天的な美を後天的に磨き上げた、現実としての最高峰。その美しさを前に、先ほどまでの血なまぐさい暴挙の記憶がすっぽ抜けたのか、男女問わず通行人たちの視線が釘付けとなる。
当の少女はといえば、濃い青のローブ姿の少年を見つけた瞬間、ぱぁっと漆黒の瞳を輝かせて、駆け出す。
そして、だ。
『ひゅうーっ!』と仮面の奥から口笛が聞こえたかと思った、その時であった。
漆黒の少女が濃い青のローブの少年に駆け寄るその間へとササッと割って入った仮面の男が口を開く。
「ヘイそこの美少女ちゃんっ。惚れたっ! 結婚しようぜベイベーッ!!」
「いきなりですね」
「恋とは唐突にして劇的なんだぜっ。さあさ、魅惑のその美貌、我に捧げてはくれないか?」
そっと。
仮面の男の手が伸びる。少女の手を取り、仮面の中まで持っていき、唇で触れただろう微かな音が響く。
瞬間、ローブの少年が仮面の男の肩を掴み、ぐいっと引っ張る。そう、美しき少女から引き剥がすように。
よっぽど強い力で引っ張られたのか、身体が霞むほどだった。それだけ強い力で引っ張られたというのに、仮面の男は平然としていたが。
ギヂギヂギヂッ!! と掴む肩から鈍い音が連続する。鋭く、剣呑な少年の目が仮面の男を射抜く。
「ナニ、ヲ、ヤッテヤガル!?」
「はっはっ。こんなにも愛らしい女が目の前にいるんだ。言葉で、行動で、愛を伝えるのは当然だろうに。つーか、キミは美少女ちゃんのなんなのかにゃー? そうやって非難できる立場なわけ? ん???」
「ナカマ、ダ」
「仲間? 恋人とか夫じゃあなくて??? だったらすっこんでいることだな。人の恋路を邪魔するだなんて厳罰ものだぜベイベー」
「コイ、トカ、ソンナモノ、ハ、キイタ、コトスラ、ナイ。ダガ、キ、ニ、クワナイ、ンダ。キサマ、ガ、カルガルシク、フレタ、ノガ!!」
「へえ。ならどうするってんだ?」
そして。
そして。
そして。
「シロ、行きますよ」
そっと。
静かに、だが確かに美しき少女がローブの少年の手を取る。行動でもって答えとするように。
「ありゃりゃ。我が求婚には答えちゃあくれねーと?」
「第二王子とシロならシロを選ぶに決まっています。わたくしの心を動かしたのはシロなんですから」
言い捨て、そしてシロの手を引き、立ち去る美しき少女。メイドを伴って立ち去る彼女たちの背中を見つめ、仮面の男──第二王子はくつくつと肩を揺らす。
「ざーんねん。心は奪えなかったかー」




