第二十六話 ある少年の一日
シロが目を覚ますと、ドタバタとした騒音が耳に届いた。視線を向けると、洞窟内を転がる塊が一つ。
シェルファの背中からレッサーが覆いかぶさり、何やらゴロゴロ転がっていた。
「ナニ、ヤッテル、ンダ?」
「お嬢様が分からず屋なのっ!!」
「いえいえ、そんな。わたくし完全に回復したんですよ。だから、ちょっと『魔沼』を分析に……ん、ぷっ」
「全身震わせて何言ってるの強がりにもほどがあるのお!!」
つまりは、そういうことだった。
怪我が治ってもいないのに無茶しようとしている主をメイドが身体を張って止めているというわけだ。
「オイ、オマエ。アマリ、メイド、ヲ、コマラセル、ナ」
「むう。シロ、レッサーの肩持つんですねそうなんですね」
「アタリマエ、ダロ。ケガニン、ハ、オトナシク、シテイロ」
「むうむう!」
メイドに背中から覆い被さられ、身動きが取れない主が幼子のように頬を膨らませていた。あの闘争から三日が経過しているのだが、シェルファの幼げな仕草を見かける機会が増えていた。
シェルファの中で何か変化があったのか。シロとしては変に強がっている時よりも、今のシェルファが好きなので何の問題もないのだが。
……それはそれとして、毎度のごとく怪我をおして動こうとしている馬鹿の肩を持つことはない。シロとしてもシェルファにはゆっくりしてもらいたかったのでちょうどいいくらいである。
「トリアエズ、アサメシ、ニ、スルゾ」
「むーうーっ!」
ぷんぷん頬を膨らませて両手両足をジタバタするシェルファを見て、シロは肩をすくめる。怪我が治っていないのにそんなに暴れては傷口が開く可能性もある。
ということでメイドに背中から覆い被さられているシェルファに近づき、ぽんっとその頭に手を乗せる。
威嚇の一つ。
元来は敵対行為をやめない場合、即座にその頭を握り潰すという脅しなのだが、もちろんそこまでするつもりはない。とにかく大人しくしろと言葉だけでなく態度でもって示したのだ。
「アサメシ、ニ、スルゾ」
「…………、むぅ」
ぷしゅう、とシェルファの頬から吐息が漏れて、パンパンに膨らんでいたそれが萎んでいく。どことなく弱々しく、しおらしくなったシェルファが頷きを返す。
「ン」
となれば、ぐりぐりと撫でてやるまでが礼儀であった。敵対行為をやめた者に対しては許しを与える意味で頭を撫でるのは常識である。
何やら撫でれば撫でるだけ萎んでいくのだが、これは大人しくするという意思表示……なのだろう。
ーーー☆ーーー
レッサーによる缶詰アレンジ料理を食べ終わったシロはキキや子犬たちを伴って洞窟の外に出ていた。先の闘争によって焼き払われた家を再度建てるためである。
メイドの奮闘あって、シェルファの姿はない。とはいえ、家づくりは前回完成間際までこなしていた。一度やったことくらい、簡単にこなせるので、シェルファ抜きでもあの時と同じ家ならば建てることはできる。
木を爪で両断、適切な長さに切り分けていくシロへと灰色毛並みの少女が声をかける。
「ボス」
「ン、ドウシタ?」
「サイキン、タノシソウ、ダネ」
「ソウカ?」
「ウン。シェルファ、ガ、キテカラ、スゴク、タノシソウ」
「ム……。マァ、ソウ、カモナ」
思うところがあるのか、一つ頷くシロ。
シェルファと一緒にいると楽しいのは確かだろう。それこそ彼女が傷つけられたならば『ヤツ』が立ち塞がっていようとも真っ向から馬鹿正直に飛び込んでいくほどには、だ。
「わうわうっ!!」
「ガウッ!」
子犬たちが木々を切り分けていく光景を見ながら、シロは思う。年々同族は減少傾向にあり、遠い過去、仲間として迎え入れたらしい犬たちのほうが数が多くなっているほどである。
だからといって、『外』から来たらしき得体の知れない少女たちを迎え入れたのは、それだけシロが心許していたからだ。弱肉強食。極限状況下にて常に素早い判断を強いられる日常を生き抜いてきたシロだからこそ、過ごした時間の長さなんて関係なく、直感でもって受け入れても大丈夫だと判断できたのだ。
直感は、誤りではなかった。
シェルファと過ごす日常が楽しくて仕方ないのだから。
ーーー☆ーーー
夕日が沈みかけた時が作業終了の合図であった。夜の闇の中、焚き火でも用意して長時間作業したって効率が落ちるわ疲れが溜まるわと良いことがないのだから。
洞窟に戻ると、メイドに馬乗りにされている主がいた。なんというか、シェルファは相変わらずであった。
「もうだめです。退屈すぎて死んじゃいますっ。未知が、くだらない諦めで限界値と定められた壁がそこにあるのに、探求をやめるわけにはいかないんですう!!」
「あ、ちょっ」
するり、とメイドの下から主が抜け出す。
と、そこでシロは反射的に動いていた。弱肉強食の世界を今日まで生き抜いたシロは逃げるものを脊髄反射で捕まえる習性があったのだ。
だんっ! と。
ゴロゴロ転がって逃げようとするシェルファの両手首を掴み、両太ももを膝で押さえつけて──つまり、仰向けのシェルファを押し倒す形である。
「……ッッッ!?」
ぼんっ! とシェルファの顔が瞬時に赤くなっていた。いくら逃げようとしていたシェルファを捕まえるためとはいえ、少々乱暴な扱いに怒っているのだろう。
「アッ。イタカッタ、カ?」
ふるふる、と弱々しく首を横に振るシェルファ。
怖がらせてしまったのか、朝頭に手を乗せた時のようにしおらしくなっていた。あのシェルファがこんなにもしゅんっと萎んでしまうのだからよっぽど怖がらせてしまったのだろう。シロはすぐにシェルファの上から飛び退き、頭を下げる。
「ワルイ。ツイ、ハンシャテキ、ニ、ウゴイテ、シマッタ」
「い、いえ、別に、ええ別にどうってことない……はすなんですが、うう。わたくし、最近変です」
ふう、と困ったように片手を頬に添えて、息を吐くシェルファ。その悩ましげな雰囲気に何やら背筋に甘美な震えが走ったが……なぜだ?
「とにかく、シロが気にすることはありません。わたくしが、その、ちょっと調子が悪いだけですから」
「ナンダト!? ケガ、カ? ケガ、ガ、ヒドク、ナッタ、ノカ!?」
「ひ、ひああ!?」
慌てたように両肩に手を置き、引き寄せ、心配に声音を揺らすシロ。いきなり鼻と鼻が触れ合うほど近くまで引き寄せられて驚いたのか、いつもの飄々としたそれとも、最近よく聞く幼げな声音とも違う、『何か』で声音が揺らいでいた。
顔が、さらに赤くなる。
これは、もしや……熱でもあるのか?
「ユックリ、ヤスメ! ワカッタナ!!」
「い、いえ、身体的問題ではないはずですから、休んだって意味はな──」
「イイカラ! ゴハン、タベテ、シッカリ、ネル、ンダ!! ゲンキ、ニ、ナル、ニハ、ソレガ、イチバン、ナンダカラ!!」
「ひゃっひゃふあっ!!」
調子が悪いシェルファに無理をさせるわけにはいかない。というわけで左手をシェルファの膝の裏に、右手を首の後ろに回して持ち上げる。人間たちが言うところのお姫様抱っこ状態である。
「前もあったから、ニ度目だから、慣れて、慣れるはず、なのに、どういったものか分かっているのに、なんでこんな、う、ううう」
ボソボソと何事か呟くシェルファ。シロの聴覚ならば小さな小さなその言葉を聞き取ることはできたが、その意味はよく分からなかった。おそらく熱にうなされているのだろうと判断したシロは早く食べるもの食べさせて、ゆっくり寝てもらい、元気になってもらおうと行動を開始する。
ーーー☆ーーー
そして。
メイドさんの魂の叫びが一つ。
「なんだかすっごいの見せつけられているのっ!!」
「……? ドウシタ、ノ、レッサー???」
「あれ? キキもよく分かってない感じ!? お嬢様は『そういうの』さっぱりな環境下で育ってきたみたいだし、シロやキキはそもそもあたしたちとは『常識』が違ってもおかしくないし……わかっているのあたしだけ? これからも無自覚イチャイチャ見せつけられて悶々とするのはあたしだけ!? う、うわあん! 独り身には辛いの拷問なのお!! でもお嬢様が幸せそうで嬉しいのお嬢様とちゃんと向きあってくれる人に出会えて良かったねこんにゃろーっ!!」
何言っているんだこいつ? といった目でキキはレッサーを見ていた。『常識』とは多数決。外ではレッサーの感性こそ『常識』なのかもしれないが、あいにくとこの場ではレッサーこそが少数派であった。
というわけで。
またレッサーが変なこと言っていると評価されても仕方ないことなのであった!!




