第二十四話 今度こそ、絶対に
シロがボスとなった時、同族はシロを含めて六人しかいなかった。昔はもっと多くの同族がいたらしいのだが、『ヤツ』との闘争で数を減らしていったのだ。
『ヤツ』。
百年から二百年周期に襲来する天敵。
ボスが実力のみで決められるようになったのは、『ヤツ』の存在があったからだ。
クロ、ネネ、ララ、ソラ。傷一つない四人の同族の死体を発見した時、シロの脳裏に浮かんだのは『ヤツ』に関する言い伝え。
『ヤツ』は精神だけを殺すことを得意としているため、死体は傷一つない綺麗な状態となる、ということを思い出していた。
『ヤツ』の仕業ならば。
事故や病気などではなく、明確な敵が存在するのならば。
──もしかしたら、間に合ったかもしれない。シロが駆けつけるのがほんの少し早かったならば、同族が殺される結末を変えることができたかもしれない。
群れのボス。
最も強き者の役目は守護。
その役目、今度こそ貫き通すと誓ったのだ。
だから。
だから!
だから!!
『ぎゃは、ぎゃははっ、ぎゃはははははっ!! 誰にすがったのかは知らないが、お前は誰に助けられることなくぶっ潰れて死ぬ定めみたいだなぁ!!』
そんな定め、認めるものか。
今度こそ、絶対に、守り抜いてやるに決まっているではないか。
シェルファは同族ではない? だからどうした。守りたいと魂が叫んでいるのだ。大切だと、死んでほしくないと、ありったけの想いが溢れているのだ。
ならば、貫け。
今度こそ、守り抜け。
群れのボスとして──いいや、一人の男として、つまらない殺しをばら撒く『ヤツ』を粉砕しろ!!
ーーー☆ーーー
『ぎゃは』
ゆらり、と。
シロに跳ね飛ばされ、十メートル以上も吹き飛ばされた異形が、起き上がる。
『ぎゃははっ! ぎゃはははははっ!! 賢者の末裔、ぎゃはっ、あの時殺し損ねたガキかぁ!! こりゃぁいい。殺し放題じゃぁないかぁ!!』
その剛腕が、振るわれる。
十メートル以上もの距離から届くわけがなく、しかし目的は打撃ではない。
描かれるは数字や文字で形作られる陣。
先ほどまで超常を受け流していたシェルファは即座に動けそうになく、つまり彼女を庇うように立つシロを守る『盾』はないということなのだから。
ブォッバァッッッ!!!! と迸るは渦を巻く暴風。地面を抉りながら突き進む横殴りの竜巻がシロへと殺到する。
「シロっ!!」
シェルファの悲鳴のような声を聞き、シロはフンッ! と息を吐く。
「イッタ、ハズ、ダゾ」
構えるは右手。
鉤爪のように広げた五指を後ろに引き、そして、
「モウ、ダイジョウブ、ダト。ゼッタイ、ニ、キズツケサセナイ、ト!!」
一閃。
上から下に振り下ろされた五指、そこから伸びた刃のごとき爪が横殴りの竜巻を引き裂く。
『あ、あぁ!?』
「カクゴ、ハ、イイカ、クソヤロウ。キサマ、ダケハ、ゼッタイ、ニ、ブッコロシテヤル!!」
超常を受け流す『盾』がなくたって。
己が肉体さえあれば、目の前のクソ野郎を叩き潰すことはできる。
ーーー☆ーーー
例えば数十メートルもの氷の槍。圧倒的質量を誇る槍を、シロは蹴りで粉砕する。
例えば灼熱に燃える閃光。圧倒的熱量を誇る光撃を、シロは強靭な爪で引き裂く。
例えば紫電に輝く雷撃。圧倒的速度を誇るイカヅチを、シロは軽く身をさばくことで回避する。
どれもこれも魔導における最高峰。現在はおろか、魔導が狭く深く会得されていた過去においてさえ数えるほどの人間しか扱えなかった秘奥である。
それを、シロはことごとく対処する。
ハタから見る分には簡単そうにさえ見えるが、深い知識を持つシェルファにはわかる。あれだけ高度の魔導を簡単そうに対処しているシロが優れているのだと。
今戦場を席巻している超常は普通の人間どころか、英傑だとか呼ばれている者でさえも一発で消し飛ぶだろう猛威なのだ。シェルファのように受け流す術を持たず、真正面からぶつかって、なお生き残っていることが普通ではないのだ。
これがシロ。
内面に眩い限りの純粋な光と、シェルファが安全を確保するために一緒にいてほしいと望んだほどに絶大な力を秘めた少年である。
『……、ぎゃは』
迫る。
真っ直ぐに、一つ目の異形をその爪で切り裂けるだけの距離まで、迫る!!
『ぎゃはっ、ぎゃはははっ!! 我の勝ちだぁ!!』
描かれるは数字や文字で形作られた陣。
放たれるは炎や風や雷のようなわかりやすい猛威、ではない。
ぐわぁっん!! とシロの視界が歪む。
五感への介入。精神の奥深くまで干渉、弄くり回す初期段階。一度この超常を受けてシロは枝から枝に飛び移る際足を踏み外したはずだ。
すでに、証明されている。
この超常はシロに通用するのだと。
「……ッ」
ぐらり、とシロがよろめく。
あと一歩、異形へと爪撃が届く寸前に五感が狂い、標的を見失う。
だから。
しかし、だ。
「ヤレ」
シェルファのもとに駆けつける際、邪魔だった異形を吹き飛ばした後、シロの優れた聴覚だからこそ聞き取れるほどに小さな声を捉えていた。
ワタシ、モ、ヤレマス、と。
その言葉が届いていたからこそ、シロはあえて何の対策もせずに異形へと踏み込んだのだ。
そう。
己を囮として、本命をぶつけるために。
「──ッ!!」
シロの五感を狂わせ、後はなぶり殺しにするだけだと余裕たっぷりに異形は右腕を持ち上げていた。
そこで、気づく。慌てて腕を飛び込んできた影に向かって振るい──逆に切断されたのだ。
シロではない。
であれば、候補は一人しかいない。
彼女は灰色の毛並みを粘着質な液体で濡らしていた。強烈な──薬品ゆえの──ニオイ。それが足を踏み外し、折れたシロの右足を治したものと同じ塗り薬であるとまでは、異形は知らなかっただろう。
キキ。
シロの足の骨折をシェルファが塗り薬を調合して治した際、そばにいたレッサーや子犬たちもそれを見ていた。ゆえに、必要な素材も作り方も覚えていた。だからこそ彼女たちは今まで素材を集め、調合し、ありったけをキキに塗っていたのだ。
レッサーたちが記憶を頼りに作った塗り薬は完璧なものではなかっただろう。が、一定の効果はあった。ゆえにキキは異形へと突っ込めるまでに回復した。することが、できた。
『な、に!? 殺したはずだ、お前はもう死んだはずだろうがぁ!!』
「シネナイ、ワヨ」
慌てて後方に飛び退く異形を追いかけようとして、ガクンと膝をつくキキ。全身に塗り薬を塗っているため分かりにくいが、身体の至る所から鮮血を噴き出していた。おそらく見えていないだけで臓器や骨も破損していることだろう。
それでも、彼女は気力をかき集めて突撃した。
そんな無茶ができるまでに持ち直したがために。そして、そこまで持ち直せるよう奮闘してくれた友人の願いのために。
「オジョウサマ、ヲ、タスケテ、ト。ワタシ、ヲ、タスケテ、クレタ、レッサー、ノ、ネガイ、ヲ、カナエル、タメニ! コンナ、トコロ、デ、シヌ、モノカァ!!」
『くそ、が!! 賢者の末裔ごときがぁ!!』
異形が、空を見上げて、吠える。
上空。キロ単位に及ぶ領域に光り輝く陣が描かれる。
両腕を失おうともお構いなしであった。一度目、キロ単位を埋め尽くす陣を描いた時だって空に向けて腕を振り上げただけで、その腕で上空に陣を描いたわけではない。手段は不明だが、異形はその腕を用いずとも陣を描くことが可能なのだ。
『纏めて吹き飛ばしてやるよお!!』
放たれるは炎の雨。対軍魔導『殲滅』。その冠の通り軍勢を想定した超常がキロ単位を埋め尽くす紅蓮となって解放される。
そして。
そして。
そして、である。
「お嬢様のばかっ! 本当無茶ばっかり!!」
「と言いながら、……付き合ってくれるのが、……レッサーの、良いところですよね」
「わうっ!!」
「ガウガウッ!!」
メイドが、踏み込む。
キキとシロのもとに駆けつけたのは数十もの子犬を伴い、主をその背に担いだメイドであった。
メイドの背中の上で主がその腕を振るう。満足に立つこともできずとも、腕の一本くらいならば何とか動かせる。動かしてみせる。
「お、おおおアァッ!!」
令嬢らしさなんてどこにもない。外面なんてどうでもいい。獣のように吠えて、腕を動かし、瘴気に濃度差を生み出すことで複雑な陣を描く。
直後、炎の雨がシェルファたちを呑み込んだ。
炸裂するは爆音と爆風、そして閃光に粉塵。メイドやその主、二人の獣人に子犬たちの姿がかき消える。
『死ぬはずだ。流石に終わりのはずだ。ここまできて! お前らが逆転するなんて!! そんな都合のいい結末があるものかぁ!!』
だけど。
そのはずなのに。
ズザァ!! と粉塵が揺らめく。生きている。生き残った誰かが踏み込んで来ようとしている。
まだ死なないのかと吐き捨てながらも、異形は無理矢理にでも思考を切り替える。
そこで、気づく。
シロの五感を狂わせる超常の矛先がブレて、あらぬ方向へと霧散したことに。おそらくは粉塵の中でシェルファがシロを蝕む超常を受け流したのだろう。
次の瞬間であった。
飛び込んできたのは純白の少年であった。
完全に炎の雨を受け流すことはできず出血でもしたのか、先ほどまでと違い全身の至る所を赤黒く染めた少年だったのだ。
『ぎゃははっ! 選択誤ったなぁ!!』
シロだけならば、超常は効果を発揮する。『盾』がその場にいないならば、超常が受け流されることはないのだから。
ゆえに、再度五感を狂わせる超常を放った。
上空に描いたように腕を使わずその場に陣を描き、狂乱へ導く超常を放ったのだ。
粉塵の中では矛先を逸らされたが、それはあくまでシェルファという『盾』があってこそ。無防備に飛び出してきたシロを守る『盾』はなく、ゆえに超常は通る。
それで終わり。
後は五感を狂わされた無防備な少年を粉砕すればいいだけ。
だから。
なのに。
超常が、逸れる。
シロの身体に直撃したかと思えば、全身の至る所を赤黒く染める『溝』に沿ってあらぬ方向へ逸れたのだ。
『な、ぁ!?』
結果を見れば、何が起きたのかはわかる。
魔法陣。
全身の至る所を染める赤黒いものこそシェルファが刻んだ陣なのだ。
おそらくは血液でも使ったその陣は、しかし先ほどまでシェルファが用いていたものとは異なる。よくよく見れば模様に見えないでもないが、少なくともあのような陣で五感を狂わせる超常は誘導できない……はずだ。
それでも、逸れた。
となれば、答えは限られる。
例えばある程度崩しながらも一定の効果を発揮するよう調整された陣である、などだ。
簡略化、あるいは複雑化。
近道か迂回路か。とにかく答えを自分なりにアレンジしたということだ。
そんなの。
かつて魔導という技術体系を完成させた賢者でさえも想定していなかった荒技である。
だからこそ、見破れなかった。
悪魔を自称する異形でも、そんなもの想定すらしていなかったのだ。
『……、くそが』
ゆえにシロは万全の体勢で踏み込む。
その爪の間合いへと、真っ直ぐに。
『くそがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!』
悪あがきのように炎や風や雷が放たれたが、無駄だった。そのことごとくは簡単に見えるくらい呆気なく対処できるとすでに証明されているのだから。
爪が、唸り。
異形を両断した。




