第十三話 美味しいですか?
一つ目は大きく切り分けた肉が生焼けであった。
二つ目は小さく切り分けた肉が丸焦げであった。
三つ目は焚き火から引き抜いた勢いのまま枝からすっぽ抜けた肉が森の中に消えていき──
「やった、できましたあ!!」
ダンジョン、その最奥にあるお宝を見つけたかのような喜びようで木の枝に刺さった四つ目のお肉が掲げられていた。
火の粉を浴びたことで皮膚を赤くして、噴き出した汗で全身をぐっしょりさせて、荒く甘い吐息を漏らすシェルファが掲げた肉は抜群の焼け具合であった。
こんがり焼けたお肉から食欲をそそる単純にして香ばしい香りが溢れる。新鮮、それでいて火の勢いが膨れ上がるほどに脂を含んだ肉は焼いただけでも美味しいだろうが、
「ふっふっふっ。ここでワンポイントですっ!」
ずるり、と肉を掲げた手とは逆の手を胸元に突っ込み、引き抜く。金に光るつぶつぶが集まった──稲のような──植物であった。
天上の恵み。
万能調味料とも呼ばれている、外の世界ではとうの昔に失われた幻の植物である。
塩や胡椒といったとりあえずかけておけば大抵の食材の味を引き上げてくれる調味料、その頂点。腐りかけた肉でさえも最高級の肉へと変えてしまうとまで言われている伝説級調味料である。
万能調味料をほぐし、金の粉をまぶすように焼き終わった肉へとかけていく。じゅう、と表面に浮かんだ脂に溶けてぶわっ!! と透明な壁のように脳髄が痺れるほどの香りが吹き荒れた。
「ナ、ナンダ!?」
「知識とは力です。天の恵みは基本的に無味無臭ですが、熱することで味や匂いを噴出します。それを知らなかったら単なる植物としか思えなかったでしょうが、知っていればこの通りです。肉に残った熱で万能調味料の本領が発揮されたというわけですね」
「ソ、ソウカ……」
説明されてもシロにはよく分からなかった、というか、聞こえてすらいなかった。
いつも食べている肉のはずだ。肉そのものは何も変わっていないというのに、目の前にあるそれはギラギラと光り、食欲をそそる凄まじい香りを噴出している。
魂が、釘づけとなる。
あまりの破壊力にたらりと口の端からヨダレが流れるほどであった。
とはいえ、これは真っ黒な『毛』の少女が中心となって成し遂げた偉業。であればまずはじめにそれを口にするべきは目の前の少女であるべき──
「はい、あーん」
「ムグッ!?」
おそらく己でも気づかないうちに口を開いていたのだろう。八重歯が大きく伸びる口内へといつもの肉ながら、別物へと変貌した至宝が入る。
反射的に噛みついて、ぶしゅっと脂が弾ける。
ぶるるっ!! と全身に歓喜の震えが走り抜けた。
「ン、ンン、ンンンンーっ!!」
言葉なんて、吹き飛んだ。
それほどに衝撃的であったのだ。
口の中に広がる肉汁が暴風のごとき香りと共に荒れ狂う。迸る熱にはふはふっと口を開閉しながらも、シロの表情はとろんとしていた。ガクンと崩れ落ちる。
もう立ってられず、口を押さえてジタバタする獣人の少年へと、真っ黒『毛』並みの少女が言う。
「美味しい、ですか?」
不安や心配が滲んでいた。
シロは知らない。肉を焼くというものは最も基本的な調理方法であるが、シェルファが調理目的でそれを行うことは今日が初めてであったことを。
周囲が考えている以上の能力を持つシェルファであろうとも、はじめての末の成果に自信なんて持てるわけがない。
それでも、食べてもらいたいと思った。
そう思える『何か』が胸の中に生まれていた。
対して、だ。
シロの対応に変化はない。
これまでと同じく、これからもずっと彼は素直に答える。怪しければ追い払い、臭ければクサイと言うし──助けてもらったならばお礼を言い、怪我を治すような偉業を成し遂げたならば感動と共に感謝する。
ゆえに、だ。
どんな理由が背景にあれども、シロは素直な気持ちを言葉として解き放つ。
「メチャクチャ、ウマイ、ゾ!!」
「……、そうですか」
ほっと。
肩の力を抜くシェルファ。
その顔には安堵からか笑顔が浮かんでいた。
「っ」
シロはその笑顔に見惚れてしまっていた。
束の間、口の中の革命的なまでに強烈な肉の味さえ忘れてしまうほどに。
と、
「わうわうーっ!」
「ガウッ!!」
「わっふうーっ!!」
もう我慢できないと子犬軍団がシェルファに、というかお肉へと飛びつく。そのまま押し倒されたシェルファはというともふもふに顔から胴から手足から覆われて、うっはぁっ!! と歓喜を漏らしていた。
「…………、」
そのことに。
シロは引っかかりを覚えた。
それがなぜであるかまでは、言語化できなかったが。
ーーー☆ーーー
どんちゃん騒ぎであった。
お肉フィーバー突入である。
脂の影響で弾けるように燃え盛る炎へと体当たりで挑むような料理に興奮したのか、それとも初めて口にした焼いた肉(幻の万能調味料つき)の味にテンションが上がったのか、ぴょんぴょん飛び跳ねながら駆け回る子犬や遠吠えを炸裂させる子犬、コテンとお腹丸出し仰向けで倒れる子犬、アクロバットに宙を舞う子犬にふにゃふにゃっと腰砕けになりながらお肉を頬張る灰色もふもふ少女、そして一部の子犬たちが一塊になって胴上げのようにメイドを跳ね上げていた。
何やら『高い高いっ。というかミニスカがめくっめくれっ、なのーっ!!』とかいう叫び声があったが、大興奮な連中には届いていないようだ。
そんなどんちゃん騒ぎを遠目に眺めながら、並んで座るシェルファとシロは串焼きのように木の枝に刺した肉をかじっていた。
公爵家で出されるようなお高い食材を一流料理人が調理した完璧にして完成されたものではない。料理、と単語だけは知っているが、その工程を見たことはなく、何となく焼いたり茹でたりするものと漠然としか知らない元公爵令嬢が主導となって作ったものだ。焼き加減ははっきり言ってそんなに良くはない。
それでも。
みんなでわいわい試行錯誤しながら作ったものだからか、胸が温かくなるような味がした。公爵令嬢だった時では、モノや金が溢れていた時では絶対に味わえなかったものだろう。
「ねえシロ。お願いがあります」
「ン?」
夢中になって肉に噛りついていたシロが肉から口を離して、シェルファへと視線を向ける。その口元は肉の脂がべったりついており、月の光を反射していた。
夜の闇を焚き火が照らす中、シェルファは手を伸ばしてシロの口元についた脂を拭う。そのまま、言う。
「わたくしたちもここで生活していいですか?」
「ム……」
目を、瞬く。
不思議そうに、本当に不思議そうに。
そして。
シロはこう答えたのだ。
「ソウイエバ、ソウダヨナ。イツノマニカ、ズット、イッショ、ニ、イルモノ、ダト、カンガエテイタ、ゾ」
「え?」
「オマエ、サエ、ヨケレバ、ココ、ニ、イテクレ。オマエ、ハ、ヘンナ、ヤツ、ダガ……イッショ、ニ、イテ、タノシイ、ヤツ、ダカラ、ナ」
「……そう、ですか。ふ、ふふっ。そうですか」
そのまま両手が回される。
ぎゅっとシロを抱きしめる。
──メイドが公爵令嬢でなくなったシェルファにだってついていくと示してくれた時のように、嬉しくなったら抱きつく癖のようなものがあるのだろう。
そんなもの知るわけもないシロはびっくん!! と背筋を震わせて、何やらジタバタしはじめていたが。
「ナ、ナン、ナァ!?」
「シロ。これからよろしくお願いしますね」
「ワ、ワウ、ワウーッ!!」
シロは全力疾走したわけでもないのに心臓がばくばく暴れていることが本気で不思議だったし、思考が千切れ千切れになるほどにぐるぐると空転している理由なんてさっぱりだが──抱きしめられたことが原因であることはわかっていて、それでもなぜか離れようとは考えなかった。




