第十話 ナマ、オンリー
「オ、ォォ……ゥグオオオ……!!」
「は、はは、ははははは!! 乙女に向かってクサイだなんだ言ってくれた罰ですよ罰っ」
四つん這いになって息も絶え絶えなシロと、イイ笑顔をして額に浮かんだ汗を拭うシェルファであった。手から足から胴体から、クサイ粘液でベタベタな両者に対して呆れ顔のメイドが声をかける。
「いつまで遊んでいるの?」
「む。レッサー、これはわたくしの尊厳をかけた聖戦であって、遊びだなんてものではありませんよ」
「はいはい」
ダメダメな時の主の言動を軽く流し、メイドは話題を変える。
「それよりこれからどうするの? シロとやらの怪我は治ったし、こうして縄張りにも帰したから一安心……となれば、今後どうしていくか考えないと。『魔沼』が宝の山だとしても、一つ目野郎みたいな危険生物が徘徊しているみたいだし、何の考えもなしに採取しに行ったら襲われるのが関の山なの」
本当は撤退したいのか、その声音は不安や心配で揺れていた。自分の命、もそうだが、割合してはシェルファの命が脅かされるのを嫌っての不安であり心配が大半を占めている。
とはいえ、『魔沼』以上の収入源に心当たりはなく、加えてもふもふを諦めるなんて考えもしていないだろうシェルファが止まるわけがないことは知っていた。ゆえに、メイドは逃げようとは言わなかったのだ。
「これからの方針は決まっています。まあ許してくれるかは頼んでみないとわからないですが」
「……、まさかっ」
「ン? ケガ、ハ、ナオッタ……??? オ、オオオ!?」
意味深にシロを見つめるシェルファ。
対してあまりの臭さにダウンしていたシロは怪訝な顔をして右足首を動かしており──問題なく動くことに目を見開いていた。
というか、腫れすら消えていた。一切の痛みなく、問題なく動くほどには治癒していたのだ。
時間にして二十分程度。
自然治癒では決して不可能な早さにて折れた骨がくっついている、という経験は初めてなのだろう。足を回し、突っついて、ついには飛び跳ねて、と確認して──やはり何の問題もないという現実が浸透していく。
「オオ、オ、ウオオオッ! ナオッテ、イル! スゴイ、スゴイ、ゾ、オマエ!!」
「わっわわっ!!」
感極まってのダイブであった。もふもふが真っ直ぐにシェルファへと飛び込む。ちょうど胸のあたりに顔を埋めるような形で。
「スゴイ、ホントウ、スゴイ、ゾ、オマエ!」
「もふもふが、うはっ、わっはぁ!!」
「ワォオオオン!!」
よっぽど感動したのか、遠吠えまで轟かせるシロ。そんなもふもふをシェルファは抱きしめ返してとろっとろに表情を崩していく。
ーーー☆ーーー
日没。
日が高いうちから森に入ったはずなのに、気がつけば辺りは薄暗くなっていた。時間を忘れるくらいもふもふしていた証拠とも言える。
「うへ、うぇへへははは……っ!! わたくし、もう、死んじゃいそうですう」
「お嬢様が幸せそうで何よりなの」
「えっへへ……」
それはもう皮肉だと丸わかりなほどには固い声音にも、幸せに頭が茹で上がっているシェルファは気づきさえしていなかった。
場所は洞窟の中。
奥のほうに藁が敷き詰められただけの、簡易な住処の中であった。
灰色もふもふ獣人(女? メス?)であるキキ曰く夜の森は危険がいっぱいだから、せめて今日だけでも自分たちの縄張りで過ごされてはという提案に乗っかった形である。
縄張りに仲間でない者を招くことにどれだけの意味があるのかは不明だが、シェルファたちの行いがその提案を引き出したことは確かである。
……クサイから近くの水場で身体洗ってきて、と遠慮気味にキキに言われたことで乙女心は再度木っ端微塵となったのだが。
ついでに言えば、半ば八つ当たり気味に一緒に身体を洗ったシロが近くでうずくまっていたりする。
「アイツ、ヤッパリ、ヘン、ナ、ヤツ!!」
シロの反応を見るに、怪我を治したことで上がった好感度が一気に暴落するくらいの醜態を晒したようだ。
さて、水浴びをしたということは水の中に入ったというわけだ。現にシロの全身は身体をぶるぶると震わせることで水気を弾いたとはいえ、しっとり濡れている。
つまり今のシェルファもまたヌレスケであった。
漆黒のドレスのまま水場に飛び込んだがために、ぐっしょり濡れたドレスが肌に張り付いていた。どうやら服ごとダイブしてきたみたいである。
頬に張りついた髪やキラキラと水滴が光るうなじ、くっくり形がわかる自己主張が激しい胸部と色々と危ない光景であった。
「お嬢様、楽しかった?」
「とっても!!」
「……、ならいいの」
いや、本当色々とアウトな気がしないでもないが、メイドはどこか諦めたようにそう言った。まだ幼い少年と一緒に水浴びしたというだけなのだ。公衆浴場でお母さんと一緒に女風呂に入る男の子的アレソレということで納得するしかない。
……それがアリなら女同士もアリじゃないか、という邪な考えをメイドはブンブン首を横に振って振り払う。
誤魔化すようにどこに隠し持っていたのかタオルでシェルファの水気を拭っていく。元とはいえ公爵令嬢、『外見』に重きを置く令嬢の中でも最上位に位置する彼女は先天的な美貌を後天的にお金をかけて磨き上げていた。
ごくりと、同性であっても生唾飲み込むほどに。
ヌレスケなんて反則も反則である。なんだか頭がクラクラする甘い匂いがうなじから噴き出しているような気さえする。
と、メイドがあまりの色香に目を回しながらも気力を振り絞りなんでもない風に装っていた時だった。
「ワウ」
「わふっ」
「ガウガウッ!」
何やら小さな影が彼女たちの近くへと集まっていた。腕で抱えられるお手頃サイズ、それでいて黒やら茶色やら赤やら青やらとカラフルな子犬たちである。
シロの敵ではないことは証明されている。加えてナンダカンダ言いながらもこうして縄張りに招くくらいには安全だと判断された少女たちに興味津々であった。
「ふっ」
それに気づいたシェルファはというと、不敵に笑い大きく両手を広げる。
「もふもふたち、かもーん!!」
一斉に、であった。
砲弾のごとき勢いで解き放たれた子犬たちがシェルファへと殺到、ドッバァァァンッッッ!!!! と洞察内を不気味に震わせるほどの強烈な轟音が後に続いた。
ーーー☆ーーー
これまで我慢してきた分だけタガが外れたのか、シェルファは体当たりでもふもふを堪能していた。
主が幸せならばそれでいい、ということで、メイドはこれまで通り少し離れて邪魔をしないようにする。身の回りのお世話はもちろん、軌道修正や問題提起といった『役目』を果たすため、そして不安や心配を言葉として出す時以外は基本的にそばに控えて指示を待つのがメイドなのだから。
その間にもやれることはあるということで、近くの獣人へと声をかける。
シロと同じくもふもふに覆われた人型。それでいて大きな八重歯や鋭い爪といった凶悪な武器を生やす異形へと。
「こうして縄張りに招いてもらって助かったの。お陰で夜の闇の中、一つ目野郎みたいなゲテモノが蔓延る森の中を歩き回らずに済んだの」
「ボス、ノ、オンジン、ヲ、タスケル、ノハ、トウゼン、ヨ。ソレヨリ、アナタ、タチ、ナニモノ?」
「あたしたちはちょっと目的があって、森の『外』から来たの」
「『ソト』カラ? メズラシイ、ネ」
「まあこんなところまで来ようと考える物好き、お嬢様くらいだもの。そりゃ珍しいの」
「ソウ、ナンダ。ア、ゴハン、マダ? ダッタラ、イッショ、ニ、タベヨウ、ヨ!」
「う、意識すると急に空腹がやってきたの。今日何も食べてなかったものね。それじゃお言葉に甘えるのっ」
シロが認めているからか、子犬たちやキキもまたすんなりと少女たちを受け入れていた。ボス、その価値。弱肉強食が常の完全実力社会において群れのトップは人の世の王様以上に絶対的な存在なのだ。
と。
何やら一部藁が盛り上がっている箇所へとキキが手を突っ込み──ずぼっと何かを取り出した。
真っ赤な肉であった。
もちろん生のそれを彼女はレッサーへと差し出す。
「ハイ」
「はい? え、はいって、え???」
丸々であった。
数十センチはあるブロック肉──断面が歪なのはそのツメで切り分けたためか──にはもちろん焼き色もなければ香辛料等が振りかけられているわけもない。
ナマ、オンリー。
毛や皮を毟っただけの、生肉そのまんまであった。
「この、まま? いやいや、違うはず、ここから調理しようって流れになるはずっ!!」
「チョウリ???」
「うわあんっ! 首かしげちゃったよお!!」
種族の違いは強烈であった。
既存の動植物のように習性などがつまびらかにされているわけではないので、こうした『違い』はその場その場で調べ対応していくしかない。
ここでの最適解と言えば、
「よ、よし、あたしが調理してやるの!!」
元公爵令嬢御付きのメイド、その本領を発揮することである!!




