第九話 お前が嫌い
が、ウィルフに全員が従った訳ではない。
部屋に残ったのはウィルフと指名されたアルフレッドの他、たった一人。
ソムリンド家の八女に当たる、十三歳の少女。
その少女は『もう一人の鬼才』とも称される、ソムリンド家の中でも異端中の異端の少女レミリアである。
基本的にソムリンド家は金髪碧眼の者が多く、それがソムリンド家の血筋の現れとなっている。
その結果、身体能力には優れるものの魔術適性に劣り、それゆえの『武のソムリンド』なのだが彼女は違う。
闇より深い漆黒の長い髪の毛量は多く、伸ばした前髪で顔の半分以上を隠している不気味で不吉な様相の少女。
服装も黒を好み、肌の露出のほとんどないロングドレスを好んで身にまとっている。
それだけでも十分なのだが、彼女には圧倒的とさえ言える魔術適性があり、すでに使い魔を一体使役しているのだが、その使い魔も奇怪な姿をしていた。
レミリアは年齢の割に小柄で幼い容姿なのだが、その上半身くらいの大きさの巨大な芋虫と言う醜悪な使い魔である。
丸々とした芋虫なのだが、その背には申し訳程度の蝙蝠の様な翼が生えていた。
芋虫から羽化せずに、幼虫状態で小さな翼を持ったところで飛べる訳ではなく、いつもレミリアが両手で抱えているすの姿は、ソムリンド家の中でも彼女に近付く者がいないのも納得するほど近寄りがたい、恐ろしい姿である。
レミリアの不気味な容姿のせいで家でも孤立し、またレミリア自身も家の者に近付こうとしない傾向が非常に強いのだが、唯一の例外として三男のアルフレッドにだけは非常に懐いていて、常に彼の後ろをちょこちょことついて回っていた。
今もウィルフの圧倒的な迫力に恐れる事無くこの場に残り、アルフレッドの傍に控えている。
「何故俺を?」
「君も元は日本人?」
ウィルフはごく自然に尋ねる。
その質問に、アルフレッドは目を見開いて驚いていた。
あまりに特徴的な外見のレミリアや、筋骨隆々の父親譲りの体型の長男や見るからに切れ者と分かる次男と違い、三男のアルフレッドはいかにも貴族の坊ちゃんと言う様な、金髪碧眼の甘く頼りない美少年である。
とはいえ、背は低くないどことか見た目より背が高い。
家柄も外見も申し分ないので、彼の周りには常にある程度の数の少女達が付きまとっているのだが、そのほとんどがレミリアの圧力によって退散していくので特定の彼女と言うのはまだ出来た事がない。
「何故それを?」
「僕もそうだからですよ」
ウィルフはにこやかに言うと、まだ立ったままのアルフレッドに座る様に手で促す。
「貴方も?」
「ええ。ですが、君とは違いますからねぇ」
にこやかにだが、ウィルフの言葉のトゲは毒を含んでアルフレッドに刺さる。
「君も大方、日本では特に何をするでもなくただダラダラと引き籠っていたところ、たまたま雨の日にコンビニに向かったところでトラックに跳ねられて、ドジっ娘女神の手違いでこの世界に来て何らかの能力を得たのかもしれないけど、そんな程度で満足している様な寄生虫と一緒にされたくは無いからね」
これまで以上に露骨な敵意と悪意を持って、ウィルフが笑顔でアルフレッドに向かって言う。
「……言ってくれますね。でも、貴方も同じ様なモノでしょう?」
アルフレッドは苦しげではあるが、それでも一矢報いようと言葉で反撃しようとする。
「はっはっは、さすがは実年齢以上に生きていただけのことはある。本当に転生者でなければここは激昂するか呆れるかのところだったけど、そう反撃してくるってことはそれが事実だからって事ですからね。正直に言わせてもらえば、さっきも言った通りあんたみたいな寄生虫と一緒にされたくないよ」
ウィルフはこれまで笑顔で隠しながらも溢れ出していた敵意を、ついに隠す事なく笑顔さえ消して表に出してきた。
「あんたの事だから、異世界に来てまで努力したくないとか言って、いかにも自分の考えた事ですといわんばかりに知識を披露してきたんだろう? ソムリンドの異才とか言われて調子に乗っていたんじゃないか?」
ウィルフの畳み掛ける言葉に、アルフレッドの表情は見る見る曇っていく。
あからさまな挑発に、どう反応するべきか悩んでいる様にも見える。
「嫌いなんだよ、そう言うヤツが。自分では大した努力もしていないのに、この世界で一生懸命に生きている人々を上から見ている様なヤツが、殺したいくらい嫌いなんだ」
ウィルフの挑発に耐えられなくなったのは、アルフレッドでは無かった。
空気を震わせるほどの魔力の漏出は、レミリアの怒りを表していた。
「へえ、敬愛するお兄様を馬鹿にされて怒ってるのか。可愛いなぁ」
並の人間であればこの魔力の漏出だけで腰を抜かすほどの恐怖を感じるほどだろうが、それでもウィルフは涼しげに流す。
「でも、妹ちゃんはお兄様より数段上だから分かっているんだよね。僕にはまだ及ばないって事に」
ウィルフの言葉にレミリアは答えないが、魔力の漏出は抑えられず部屋の空気は震わせている。
言葉に出さないレミリアだが、それでも彼女はアルフレッドの傍に寄り添って微動だにしない。
「貴方は一体俺に何を言いたいんですか?」
ウィルフの挑発に眉を寄せるアルフレッドは、何とか言葉を絞り出す。
「このまま街に残って元貴族って安い肩書きにすがって生きていくか、見栄を張って魔窟で無意味に命を捨てるか。君に残っているのはその二択だろ? 言われなくても分かりそうなモノだけど」
「……いくらなんでも、失礼ではありませんか」
ついに我慢ならなくなったのか、レミリアが年齢の割に低く艶やかな声でウィルフに向かって言う。
「妹ちゃんがいる限り、お兄様は大丈夫だろうね。だとするとベストは魔窟に逃げ込む事だよ。そうすれば妹ちゃんの背中に隠れて生き延びられるからさ」
ウィルフの言葉に、レミリアの魔力は空気を震わせるだけでなく長く多い黒髪さえも広がり波立ち始める。
闇色の少女の怒りも限界となってきているのが、見て取れた。
「どうする? 決めるのは僕でも妹ちゃんでもなく、あんただよ。何の意味もなく、ただ甘い汁を吸い続けている寄生虫。それともここでも妹ちゃんが決めてくれるのを待っているのか? まぁ、何ら決断も出来ずただ楽な方に流れてきたニートには難しいかもしれないけどね」
「お兄様、この無礼者、いかがしますか?」
ついに臨戦態勢のレミリアが、それでも感情を表に出さず淡々とアルフレッドに尋ねる。
「強過ぎる守護天使、か。これはこれで困る存在だよね」
ウィルフはそう言うと、何も持っていなかったはずの手に銀色の仮面を出す。
「おおよそ『コレ』だけで満足して、チート能力だとかはしゃいでいたんだろう?」
転生者が『仮面』と呼ばれるのは、これが所以である。
彼らは先天的に魔術適性を持たずに生まれるかわり、この銀色の仮面を体内にもって生まれる。
この仮面を発現させている間は、身体能力を数段跳ね上げる事が出来ると言う特殊能力があった。
それ故に、転生者は『仮面』と呼ばれるのである。
ソレを出した事によって、アルフレッドは僅かに腰を浮かして右手を自分の顔にかざす。
「ははっ、察するにまだ顔にしか仮面を出せないらしいね。こんな風に出来ないと言う事は、ソレをとっておきの何かと勘違いして他の誰にもバレない様に普段は隠していたとかそう言う事じゃないか? まったく、最近の連中は皆揃って救いようがない」
そう言うと、ウィルフは力の一端を発現させる。
手に持った仮面が淡く光るに合わせアルフレッドは顔を銀の仮面に包み、レミリアは一歩前に動く。
が、それ以上の動きは無い。
「何をした?」
アルフレッドは立ち上がってレミリアを庇いながら、ウィルフを睨む。
「仮面を被れば攻撃力が上がるせいか、攻撃的だね。仮面無しでもそれくらいの事をやらないと」
「答えろ!」
「答えるまでもない。いい加減気付け。もう効果は出ているんだぞ」
立ち上がって身構えるアルフレッドに対し、ウィルフはまだ座ったまま呆れた様に言う。
「……何を」
言いかけて、アルフレッドも異変に気付いた。
アルフレッドの袖を引いてレミリアが何か言っているが、何をしゃべっているのか聞き取る事が出来ないのだ。
何かを言っている事は分かる。レミリアが話しかけてくる声も聞こえている。
しかし、何を言っているのかが分からない。
言葉が意味を成さず、ただの音として耳に入ってくるだけなのだ。
「何をした!」
「僕としては、最近の流行りはどうかと思うんだよね。『俺の能力はうんたらかんたら』って自分の能力を語るのはねぇ。せっかくのアドバンテージを手放すのは好きじゃないけど、ま、せっかくから流行に乗っかっておくとしようか。僕の能力は『恐れぬ者に与える神罰』(バベル)と言って、コミュニケーション能力を封じる効果があるんだよ。だから頼りになる妹ちゃんは頼りにならないって事。決断の時だな、寄生虫。どうする? 今ここでやり合うかい? 妹ちゃんならともかく、仮面の力を得たところで僕をここから立ち上がらせる事も出来やしないよ。後出来る事は、尻尾を丸めて魔窟に逃げ込むか、ここに立て籠って今日の騒ぎに飲み込まれるか。まぁ、好きにしてくれよ」
ウィルフはまったく相手にせず、鼻で笑っている。
「お前はこの世界に転生者は自分だけだと思っていたのか? その能力は自分だけのモノだと? 仮にそうだったとして、その能力を持ちながら魔窟に入ろうとしなかったのは? 楽がしたかったんだろう? お前がやるべきだったのは、努力しなくて済む環境に甘えるのではなく、努力しなくて済む環境を続けられる工夫をするべきだった。それをお前は怠った。来るべくして来た終焉を受け入れろ。話は終わりだ」
ウィルフはそう言うと、持っていた淡く輝く仮面を消す。
「お兄様?」
ウィルフの仮面が消えた途端に、レミリアの悲痛な声が響く。
「あ、ああ、大丈夫」
「素手では喧嘩出来ないよなぁ。もっとも、武器を持っててもまともに喧嘩出来ないだろうけど。さて、引越しの準備でもするんだね。魔窟が待ってるよ」
ウィルフは冷ややかに言う。
向こうの話が済んだのか、オスカーとマクドネルが部屋にやって来る。
「ウィルフ様、父達はここを退去する事に納得しました」
「それは良かった。こちらもちょうど話が済んだところです。そうですよね?」
ウィルフはにこやかにアルフレッドに尋ねる。
アルフレッドはウィルフを睨みながらだが、渋々でも頷く。
「では、急いだ方が良い。親切で教えてあげますけど、武器と食料、その他の生活必需品を現地調達出来る程度の金は持っていった方が良いですよ。後は魔窟で稼げば、一先ず生きていけますから」
「兄さん達は……」
アルフレッドは何か言いかけたが、首を振る。
「レミリアはどうする?」
「私はお兄様と共に」
そう言うと二人は部屋を出て行く。
「ウィルフ様、質問があります」
二人が出て行った後、オスカーが切り出す。
「僕に答えられる事でしたら」
「何故、自ら汚れ役を? 街のクーデターの首謀者の一人である私が泥を被るべきところなのに、部外者であるウィルフ様が自分から泥を被る必要は無かったのでは?」
「うーん、まぁ、そう言えばそうなんですけど。お二方共、自らの手を血で染める覚悟をされていましたので。もしかしたら甘いと思われるかもしれませんが、お二人が背負うべきはこれからの街の住民であり、新しい秩序と言う重い責任だと思うんです。わざわざ親殺しだなんて重過ぎる罪を背負う必要は無いと思いまして。出過ぎたマネをしました」
ウィルフはそう言うと素直に頭を下げる。
「その箱の中身は? まさかローデ家の……」
「果物ですよ」
マクドネルの表情は険しいが、ウィルフは簡単に答える。
「その点はそちらの弟さんに伝えた通りです」
そう言ってウィルフは箱の中身を取り出す。
マクドネルとオスカーは一瞬身構えたが、中から出てきたのは大きめの果物だった。
「ね? 言った通りでしょう? コレをローデ家から頂いてきたんですけど、何か違うモノだと思いましたか?」
「それはもう。ローデの家の者の首が入っていると思いました」
マクドネルが正直に言う。
「ははは。そう思ってもらえる様に話ましたから。でも、ローデの方々も最終的には話を分かってもらったので、今頃魔窟に向かっているんじゃないですかね」
「舞台装置、と言っていましたがこういう事でしたか」
オスカーも感心した様に言う。
「さて、では僕の役割は終わりですね。後は街が解放される事を祈っていますよ」
今回のセリフですが、特定の作品を貶める意図はありません。