第三十五話 予期せぬ見舞い客
魔窟の入口である一層には、他の層には無い施設が多数ある。
その一つが重傷者収容所である。
軽度の毒や麻痺毒などであれば治癒薬によって回復する事も出来るが、体が石化する様な特殊極まる硬化症や身体の欠損などの場合はその限りではなく、回復には専用の薬や魔術が必要になる。
しかし、それらは非常に希少である場合が多く、そう簡単に治癒出来ない事も珍しくない。
そこでこの収容所に収容する事になるが、この収容所は時間の流れが他とは違い状態が悪化する事も急激な老化現象も起きにくい空間になっている。
回復方法が見つかった場合にはすぐに回収される場合が多いが、回復方法が見つからない限りここに収容されている事もあった。
また、一層の探索者には手が出せないとはいえ多額の治療費を払うと、『先生』の力によって回復する事も出来た。
だが、収容されている側には意識がある事も多く、あまりに収容期間が長い場合には生きる気力を失って誰にも気付かれない内に生命活動を終了して、『死体袋』に回収されてしまう事もある。
なので出来る限り短期間で治療回復させるか、頻繁に見舞いに来て励ます事も必要だった。
「あら、ちゃんと生きていたのね」
そんな収容所に似つかわしくない人物が訪れていた。
「色々と目論見が外れたから、軌道修正に来たわよ」
そこに現れたのは、極端なまでに扇情的な赤いドレスに身と包んだ、銀色の仮面で目元を隠した女だった。
その傍らには、明らかに人とは違う二本の角を生やした男も控えていた。
その女の視界の先には一人の少女がいた。
両手両足を複雑骨折した上に精神に異常をきたしていた少女だったが、女の声に反応して声の主を睨む。
「フフッ、貴女のそう言うところは見込んだ通りだったんだけど、連れの方が予想外でね」
赤いドレスの女ブリュンヒルデは、両手両足を骨折した少女、シオンが横になっているベッドに腰を下ろして微笑む。
「私の見立てでは、あの仮面君は貴女を回復させる為に一層でグズグズしているか、恐れをなして貴女を見舞うついでに適当な理由を愚痴ってるかと思ってたんだけど、まさかあっさり貴女を見捨てて別のチームを組んでさっさと進んで行くなんて予想してなかったのよね」
ブリュンヒルデは笑いながら言う。
「貴女、よほど人望が無かったのか、相当嫌われてたんじゃない? まぁ、分からない話じゃ無いけどね」
言いたい放題のブリュンヒルデに対し、シオンは言い返す事が出来なかった。
その理由は単純で、彼女はアゴを砕かれているためまともに話す事も出来ないのだ。
「貴女が勝手に老化して消えるなんて楽な死に方が出来ない様に、貴女が具体的にどんな事をされてきたのか周りに知らせる為にも調教日記を残してきたんだけど、ソレも無駄になったみたいね。でも、勝手に消えてなくて安心したわ」
にこやかに言うブリュンヒルデを、シオンは睨み殺そうとしているかの様に睨みつけ、自由にならない手足でもがく。
「そう。それを望んでいたの。貴女には素質を感じていたのよね。ちゃんとイカレる事の出来る素質。それが無いと今頃老化は避けられなかったはずだったし。何しろ年頃の男からも簡単に見捨てられる程度の魅力しか無いんだから」
「なあ、いつまで言葉で嬲るつもりだ?」
無言で傍らに控えていた二本角の魔族、ジークフリードが口を挟んでくる。
「もう少し弄っても良かったんだけど、反応は悪くなかったからこの辺りにしておきましょうか」
ブリュンヒルデは冗談ではなく本気でもう少し嬲るつもりだった様だが、ジークフリートの手から小瓶を受け取る。
「貴女のイカレ具合は確認させてもらったけど、貴女自身の意志はどうかしらね。あんな目にあっておきながら、まだ私を殺したいと思ってる? 失敗したら、もっと酷い目に合わせるつもりなんだけど、どうする?」
ブリュンヒルデは小瓶を振りながら楽しそうに尋ねる。
それにもシオンは変わらず唸り声を上げ、身悶えしながらブリュンヒルデを睨み続けている。
「決まりね。それじゃ、私を殺すチャンスを上げるわ」
そう言うと、小瓶の蓋を開けてシオンの鼻に突っ込もうとする。
「おい、冗談が過ぎるだろう」
「アゴを砕いたから飲むのに支障があるかもしれないから、鼻から流し込んでやろうと思ったのよ。効果は変わらないから、大丈夫よ」
止めようとするジークフリードを無視して、ブリュンヒルデはシオンの鼻から小瓶に入った液体を流し込む。
シオンは激しく噎せた後、ブリュンヒルデを睨みながら上体を起こす。
「殺す! 殺してやる!」
「ケンカ?」
すぐに攻撃しようとしたシオンの目の前に、突如として先生が現れる。
「ぎゃあ!」
「ケンカ? ダメよ? ケンカするなら拠点から離れてやりなさいよ。そしたら止めないから」
先生はシオンにそう言った後、ブリュンヒルデの方を見る。
「今さら言うまでも無いとは思うけど、貴女はすこぶる評判悪いし討伐依頼も出ているわよ? ここで反省して悔い改めると言うなら私も協力するけど、ここを出たら私では守りきれないわよ?」
「先生、分かっていますのでご心配無く。でも、魔窟探索において、怒気や狂気は非常に大きく有効な行動原理になります。それは私が身を持って知った事ですから。だから、戦力に加えるのであれば相応の資質を求めたくなるものです。残念ですが、組合ではそれを期待出来ないので」
「私の求めているところとは違うからね。でも、言っている事がまったく分からない訳ではないのは認めてあげる。だからこそ、私は貴女を罪人としては裁かないけど、これ以上ともなれば私もそうは言ってられなくなる事は覚えておいて」
「もちろんです。いくら私が以前より強くなったと思っていても、さすがに先生と戦う事は考えていませんよ」
ブリュンヒルデは柔らかく笑って答える。
「……だと良いのだけど。ともかく、ケンカはダメよ?」
「分かっています、先生」
シオンの方は納得出来ていなかったが、さすがに先生に凄まれてはここで暴れる訳にはいかない事だけは分かった。