第三十一話 秘密を知る者
エヴィエマエウの家は、ある日突然貴族家に名を連ねた事もあって周囲からは強く反発されていた。
下賤な成り上がり者として嫌われてはいたものの、何故この家の者が突然貴族になる事が出来たのかを知る者は、今となってはエヴィエマエウ家の当主だけである。
他の貴族家からは成り上がりと蔑まれているエヴィエマエウ家ではあるが、実は領主家であるクラウディバッハ家の闇に深く関わる家であり、口外する事など言うに及ばず、一切の記録に残す事さえ許されない暗部さえも知る一族なのである。
先に言った通り、その暗部に関する証拠は残されておらず、それを口外したとしても結局下賤の成り上がりが何か言っている程度の扱いでしかないが、それでも現実にそれを目にし、それの片棒を担いでいると言う事実は動かない。
それもあって、口封じも兼ねて貴族として迎え入れられた経緯があった。
貴族となった後にも領主家との繋がりはあり、特に当代の婦人は非常に気難しい人物として知られているだけでなく、それこそ口にする事も憚られる様な性的嗜好があり、おそらく当主すらも知らない事だっただろう。
そんな闇に触れてきたからこそ、彼は領主の、それどころではない世界の秘密にすら触れたのである。
その鍵となるのが、領主の一人娘であるメーヴェなのだが、その秘密はおそらくクラウディバッハの当主と婦人、執事のハンスの三人しか知らず、メーヴェ本人すら知らない秘密だった。
もし知っていたのであれば、あの外見以外に何も褒めるところが無い残念極まりない存在にはなっていないほどに大きな秘密。
幸い、と言ってはなんだが、エヴィエマエウの当主はゲスな好色として貴族の中でも広まっている為、あの娘を追い狙ったとしても、あの美貌が目的だと勝手に勘違いしてくれる。
息子もメーヴェに執着しているが、息子は秘密を知らず純然とその外見のみに魅力を感じているという、言わば周りの勝手な憶測を裏付けてくれている。
もしあの娘の秘密がバレれば、間違いなく力のある者が動く。
それは間違いなく、武のソムリンド。
それでも長男のマクドネルなら、まだ何とかなる。
極めて戦闘能力の高い男だが、性格は単純明快な脳筋男で証拠の無い秘密はただの絵空事だと思い込む事が考えられる。
しかし、次男のオスカーはそう簡単にはいかない。
腕力自慢の家柄なのだから素直に筋肉を鍛えれば良いのに、オスカーは腕力に限らず頭もキレる。
しかも魔法自慢のローデ家とも違って、強い魔力も持っているのをひけらかす事もせずに頭脳労働を得意として、家族の数が多い武家のソムリンドでは極めて希少な存在だった。
とはいえ、オスカーは今の街の混乱を収める為に多忙の極みにあり、そう簡単に動ける立場ではない。
時間が過ぎるほどにオスカーの危険が増えていく、と言う訳ではないくらいに多忙の極みであり、しかも今後も街の問題は増えて来るだろうし、それらの対応に追われるはずなので今は無視しても良いだろう。
問題があるとすれば、メーヴェ自身がどんどん魔窟の奥へと逃げていく事である。
本人にその力が無い事は誰もが知っているし、そこは心配していない。
しかし、そばにいるソルが大き過ぎる問題になっている。
とっくの昔に引退した隻腕の中年で、今の現役魔窟探索者と比べるとただの時代遅れのポンコツだと侮っていた。
が、腐っても実力者。
今は最大の障壁となって、彼の野望の前に立ちはだかっていた。
まぁ、あいつらを使ってなんとかするしかないか。
魔窟探索者などと言っても、結局は街でやっていけず金さえ積めば何でもやるゴロツキでしかない。
出来る事なら関わりを断ちたいとも思っていたのだが、街と魔窟は切っても切り離せない以上は上手に付き合っていく必要がある。
そう思いながらエヴィエマエウ家当主は、前にメーヴェ奪還を依頼しながらも失敗した黒装束の男に連絡をつける。
この男と会うのは、決まって人気の無い寂れた酒場である。
「よう、今度は何の用だ」
「同じ事だ。仕事は達成されてないからなぁ」
黒装束の男に対し、エヴィエマエウの当主は臆する事無く言うと、向かいの席に座る。
こちらが依頼主なのだから、折れる事も譲る必要もないと言う事がエヴィエマエウ当主を強気にさせていた。
「事情が変わった。報酬が今のままではとても受けられないな」
黒装束の男も強気に言ってくる。
交渉の駆け引きのつもりか? 貴様如きのゴロツキが相手になると思うのか?
と、心の中では思うのだが、この男は魔窟探索者との繋がりもそれなりにあるので、ここで繋がりを切られるのは今のところはおいしくない。
「小娘一人の保護に対して、一人一万の成功報酬は破格とも言える報酬のはずだが?」
「事情が変わったと言っただろう? 言わせてもらうが、小娘一人の誘拐と言われても護衛が強過ぎる。最低でも十万。百万でも多すぎる事は無い」
「百万だと?」
一万でも街での給料で考えれば数ヶ月分であり、一人の家出少女の保護と考えると当主が言う様に破格の報酬である。
その百倍ともなれば、さすがに正気を疑う金額だった。
「仲介としてはそれくらいの報酬を約束してもらわないと、とても人を集める事も成功させる事も出来ない。どうするんだ?」
「百万、か」
エヴィエマエウ当主は腕を組んで考え込む。
「無理なら話はここまでだ」
「では、一億用意しよう」
「億?」
吹っ掛けてきた黒装束の男が驚いている。
「お前一人で達成しても構わないし、百人雇って百万ずつ配っても構わない。それでどうだ?」
「……払えるのか? あんたに」
「そこはお前が心配する必要は無い。で、どうするんだ? 仕事を受けるのか?」
「受けよう。詳しく話を聞かせてくれるか?」
そう答えたのは、黒装束の男ではなかった。
「そちらの言い分通り、金の出処については詮索する事はしない。だが、それ以外の事については話してもらおうか。何を隠している」
そう言って物陰から現れたのは、街でもっとも警戒しなければならない多忙なはずのオスカーだった。
「これは当然の権利だと思うのだが、それを断ると言うのであればこちらも少々手荒な事も考える必要が出てくる、とは考えたく無いだろう?」
美男子であるオスカーだが、その迫力は現役の魔窟探索者である黒装束の男を遥かに上回るものがあり、それに抗えるほどの胆力をエヴィエマエウ家の当主は持っていなかった。




