第六話 邂逅
彼はそこに戻って来た。
この近辺で見るのは珍しい、身を隠す為の魔力を帯びたローブを纏った人影が自分の家に入って行くのが見えた。
あのローブは魔窟でも中層より深くに潜らないと手に入らないかなり高価な物であり、街にはほとんど出回っていない様な物のはずだった。
彼も今の生活をするまでは魔窟探査を行っていた一人であり、今でも彼らの魔窟最深部到達記録は破られていない。
中層以上の深さへ潜る者達にとっては標準装備の様なモノではあるが、それでも街での入手は困難な物である。
彼は自分でも所有していた為に見慣れていたので分かったのだが、その知識が無ければ自分の家に入って行く人影に気付く事は無かっただろう。
だが、疑問もある。
それほどの装備を持つ者が、何故こんなところにいるのか、と言う単純な疑問だった。
少なくとも中層より深く潜れる実力があるのであれば、それより浅い層で安全にある程度は稼ぐ事が出来る。
街の貴族邸であればともかく、こんな街外れの小屋に物盗りなどは割に合わないはずだった。
ほとんどの場合、街外れに住む者は魔窟探索に関わる者であり、街に住む者と比べると戦闘能力が極めて高いのだが、自宅に希少な装備を置いている事は少ない。
なので、そこを狙うよりは魔窟の浅い層で稼ぐ方が効率良い事は、魔窟探索を行う者にとっての常識だった。
もっとも、それも十数年前の話なので、最近のスタンダードは変わっているのかもしれない。
または殺人衝動に駆られているか。
魔窟の中では、いくらでも魔物との命のやり取りが出来るのだが、その中には人間型モンスターを専門とする者、場合によっては探索者を専門に狙って襲う者がいる事も事実である。
そんな輩が魔窟の外に出て、探索者を狙っている可能性も無い訳ではない。
一応、気をつけておくか、と彼は腰に下げる剣を見る。
今は彫刻用の木材も持ち歩いているので、彼はそれを自分の家の前に置くと、自宅の扉を開く。
「だ、誰?」
それは女の声だった。
「それはこっちのセリフだ。俺の家に勝手入っているお前は何者だ」
彼はそう言うと、剣の柄を握る。
のだが、どうも彼の推理は外れていたらしい。
その女は恐怖に怯え、隙だらけどころの話ではない。
「貴方、ひょっとしてソル?」
「その前にフードくらい取れ」
なんなら不法侵入と言う事でこの場で切り捨てても良いのだが、別に今でなくても、この女はいつでも切り捨てられるくらいに隙だらけ、と言うより隙の塊の様なものだ。
どう見ても、明らかに魔窟探索者では無い。
この女からは戦闘経験者が身に付ける雰囲気が皆無である。
「お願い、助けて!」
「助ける? 俺が?」
彼は剣から手を離し、薄い扉を閉じる。
「お前は何者なんだ?」
彼の質問に彼女が答えようとした時、扉がノックされる。
「ヒィッ」
彼女は短く悲鳴を上げると、狭い部屋の隅に逃げる。
「開けろ、ソル!」
「うるせえな。ボロ屋なんだから、そんなに叩くと壊れるだろ? 弁償させるからな」
そうぼやきながら、彼は扉を開ける。
そこにはあまり見覚えの無い男達が立っていた。
それぞれに粗末な武器を持ち、目が血走っている。
まるで浅い階層にいる魔物だな、と彼は思いながら頭を掻く。
「こんな明け方に、街の連中が何か用か?」
「女が来なかったか?」
今にも押し入ってきそうな連中を睨み、その進行方向を妨げる。
狭い小屋であり出入り口も狭いので、彼が出入り口の正面に立つと中の様子も見えなければ、彼を押しのけない限り中に入る事も出来なくなる。
「女? こんなところより、街の方がいくらでもいるだろう。娼婦でも探しているのか?」
「余計な事はいい! 女が来ただろう!」
「知らねえよ」
「嘘をつくな! さっき女の声がしていたぞ!」
後ろの方にいる、比較的若い男が怒鳴る。
「怒鳴るなよ、こっちは寝起きだぞ?」
時間帯的には何らおかしい事は無い。
ただし、彼は剣を身につけているのだから、今が寝起きとは思えない事は外の連中も気付いたようだ。
「その剣は?」
「あれだけ乱暴なノックをされりゃ、誰でも身を守る為の準備くらいするだろう」
彼はそう言うと、わざと剣の柄に手をかける。
それだけで、やって来た者達は怯む。
「そんなに飢えているならしょうがないな。ちょうど魔窟から出てたメス型の魔物を捕まえたところだ。何なら一緒にヤるか?」
彼が言うと、男達は舌打ちする。
「何だよ、ヤらないのか? で、誰を探してるんだ?」
「領主の娘だ。見かけたら知らせろ」
目の前に立つ男は、関わり合いたくないのが分かる表情で、吐き捨てるように言う。
「何で俺がそんな事する必要があるんだ? お前らが勝手にやってる事だから、お前らで勝手にやってくれ。街の事なんか知った事か」
彼は面倒そうに答えると、扉を閉めようとする。
「待て!」
「悪いが、領主の娘と言われても知らん。そもそも領主に娘がいる事も、今初めて知ったんだが、その娘が何かしたのか?」
「領主の……」
「そうか、そいつは大変だ。見つけたらすぐに連絡する事にしよう。それじゃあな」
彼はそう言うと、扉を閉じる。
まだしばらく家の外で騒いでいたが、彼はそれを無視して部屋の隅で震えている女を見る。
いかに身隠しの魔力を帯びているとは言え、最初からそうだと知っていれば分かる程度の物である。
より深い層であれば、動かなければほぼ視認する事も出来なくなり、動いたとしてもそれを見つける事が困難なくらい姿を消すマントも存在するが、そのマントは強力な魔力を帯びているので、魔力を感知出来る者であればかえって見つけやすくなると言う欠点もあった。
なので、今この女が纏っている物が、今のところ汎用性の高い物として認識されている。
怯える女をとりあえず放っておいて、彼は生活必需品をまとめているところから、一つ小箱を取り出す。
それは一定範囲の音を外に漏らさないようにする、無音結界を張る物である。
良くも悪くも使用途の多い物なので、街にも比較的出回っている物だ。
これも魔力を発生する物なので、魔力感知が出来る者にとっては逆に興味を示されると言う大きな欠点はあるものの、それでも色々と重宝する効果がある。
「で、お前は何者だ? 何故俺を知っている?」
無音結界が張られている事も気付いていないのか、女はまだ怯えている。
魔術を使えないにしても、魔力を感知する事はさほど難しくないはずだが、これまでにそう言う経験をしていないのか、致命的に向いていないかである。
「こ、この私を知らないと言うの? 領主の一人娘である至宝、メーヴェ・クラウディバッハよ!」
「メーヴェ……、だと?」
その名は、生まれてこなかった彼の娘の名前だった。
男の子だったら、ソゥル。女の子だったら、メーヴェ。
今は亡き妻が、嬉しそうにそう言っていた。
しかし、生まれてくる事は無かった。
彼女が街の病院へ行っていた時、たまたま貴族に見つけられ、その時に命を奪われた。
らしい。
彼はその場にいなかった事もあり、現場を見る事は出来ていない。
妻の命を奪った貴族は統治者だったと言う話もあるが、現場の目撃者は数多くいたにも関わらず、正確な証言を集める事も出来なかった。
彼が貴族を恨んでいないと言えば、嘘になる。
だが、あの理不尽な事故は自分が妻について行かなかった事が原因だと、彼は今でも感じ、考えていた。
いたのだが、目の前にその加害者候補の娘が、生まれてくるはずだった娘と同じ名前で現れた事は、彼の自制心を一瞬にして振り切った。
気付いた時には剣を抜き、女に斬りかかっていた。
もし彼が現役だった頃であれば、我に返った時には全てが終わっていただろう。
そうならなかったのは、長いブランクのおかげと言う事もあり、彼が無意識で振ろうとしていた剣は、ローブ越しに彼女の首に触れるところで止まっていた。
女はきょとんとした表情で彼を見て、それから目を薄い布越しに自分の首筋に触れている剣の方に向ける。
その状況を認識した時、彼女は悲鳴も上げる事もなく、そのまま意識を失って倒れる。
「……しまったな、聞きそびれたか」
彼は失敗に気付いて舌打ちしながら、剣を収める。
彼女が本当に統治者の娘だったとしても、彼女自身と彼とではまったく接点が無い。
彼女は彼の名前は知っていた様だが外見まで知っていた訳では無さそうだったし、彼は彼女の存在そのものを知らなかった。
街の火事に見えたのは、どうやら火事どころではない大騒ぎになっているようだった。
が、それは別に彼の生活に直接大きな関わりは無い。
問題があるとすれば、勝手に人の家に入り込んで気絶してしまった娘の処遇だけだ。