第二十一話 助けた村で
「お口に合いませんでしたか?」
出された料理に手を付けようとしないアルフレッドに、村の女性が心配そうに尋ねてきた。
「あ、いえ、そんな事は。少し考え事をしていたので」
そう答えた後、運ばれてきた料理に軽く手を付けるが、まともに味わう事が出来なかった。
その原因となったのは、ソルが投げて寄越したノートである。
あのノートには、捕らえられた女性達に対する虐待の数々が記されていたが、それだけではなく様々な実験の結果も同じ様に記されていた。
例えば『死体袋』の回収する死体の速さについて。
戦闘で命を奪われた死体の回収は極めて早く、ほとんど目を離していないにも関わらず死体は忽然と消えるのに対し、衰弱死の場合にはその回収は極めて遅い。
あの根城にすでに息絶えていた女性がいたのは、そうやって『死体袋』の回収を遅らせた結果らしい。
では何故そんな事をしたのかと言えば、理由は簡単。
食料の確保である。
ゴブリンは人型と言っても人ではない。
その生態も人のそれとは大きく違うので、生まれて間もないゴブリンの赤子も母乳で育てる訳ではなく、少量であっても成体のゴブリンと同じものを食す事が出来る。
消化器官も人のそれとは違うらしく、生肉であろうと腐肉であろうと構わず食す事が出来るので、人の目には死体に見えたとしてもゴブリンには食料に見えていると言う事だ。
また、回復薬の効果についても様々な実験を行っていた。
回復薬も一口にそう言っても、その効果によってランク分けされている。
ざっくり言えば、回復薬には三つのランクがある。
一つには応急薬。
もっとも早く効果が出る変わりに、効果は極めて薄い。
これは傷を治すと言うより、傷を塞ぐ薬と言うべきもので、軽傷であればこの薬で手早く治す事が出来る。
しかし、傷が深い場合にはその効果が逆効果になってしまう。
もし切り傷であれば、それなりに深くてもこの薬でもかなり効果的に治す事が出来るので、使い道が無い訳ではない。
もう一つが魔窟探索で言われる回復薬で、その効果は応急薬と比べてかなり高いと言える。
失われた腕や足といったところまでは回復させる事は出来ないが、応急薬と違って脱臼や骨折なども治す事が出来る。
人体の自然治癒能力にも影響される様だが、例えば自力での回復が見込みづらい臓器なども回復させる事が出来るが、それは際限なくと言う訳ではなく、心臓や眼球などを再生する事までは出来ないらしい。
品質によって多少回復効果は変わる事はあるが、応急薬より応用が効く事もあって一般的に使われているが、最近では少々値段が高騰気味と言う事だった。
最後に再生薬で、それこそ生きてさえいれば再生する事が出来るほどの効果があるそうだが、入手が非常に困難で魔窟でも相当深いところに行かなければ手に入らないほどの貴重品で、その効果を試す事は出来なかったと記されていた。
そう言う風に、魔窟探索においてかなり貴重な情報も記されていたのだが、それらは全て非人道的な人体実験の結果に得られた情報である。
そこには当然あるべきの倫理や道徳、無い事が想像できない様な常識が存在していなかった。
そんな世界がある、と言う事は知識の上だけでだがアルフレッドも知っていた。
そのつもりでいた。
だが、それを目の当たりにした時、アルフレッドは自分がまだ何も知らなかった事を思い知らされた。
シオンを始め、あの場に囚われていた女性達は手足を砕かれた上で応急薬を使われていたので、その傷が元で死に至る事は無いが回復薬で全快出来るかは分からない。
欠損してしまっている場合は絶望的だが、シオンには手足の欠損は無かったので回復薬で全快出来る可能性は十分にある。
あるのだが、それが最善なのかと言うとそれもまた悩ましいところだった。
体の傷が全快したとしても、心に受けた傷はそう簡単には治らず、先に体を全快させた場合心がついてこずに完全に心が破壊されてしまうか、急激な老化を引き起こす事になる。
そうなっては回復の手段が無くなってしまう。
今になって、ソルが言っていた事も理解出来た。
もう十分に苦しんだのに、まだ苦しめるのか。
あの赤いドレスの女からは、危険な雰囲気があったし、自身から溢れる悪意を隠そうともしていなかったが、それでもまだ見込みが甘かった。
こちらが考えていたよりあの女の闇は深く、抱える悪意は濃い。
例え再生薬を手に入れる事が出来たとしても、それは体を万全に治す事が出来るだけで精神まで影響を及ぼさないのだから、事実上シオンを助ける事はほぼ不可能なのである。
ソルはそれを知っていた。
あの、赤いドレスの女も。
わざわざこの記録を残したと言う事も、救出者にすら絶望を与える為のものだった。
助け出した達成感すら与えない仕打ち。
救出した対象を生かす為に後遺症を残すか、後遺症さえも回復させて急激な老化を呼ぶか。
街であればともかく、この魔窟でこの状況は生きているだけで丸儲けとはいかない。
その事が頭から離れず、食欲が湧かないのである。
調子に乗れるところはあった。
あのレッサーデーモンとの戦いで、何か吹っ切れた感じがしてからというもの、最初の戦いほどの恐怖心が無かった。
その為に根城にいたゴブリン達も簡単に切り捨てる事が出来たのだが、シオンを救出する事は出来ても助けたとは言えない状態だったので、また罪悪感もこみ上げてくる。
「悩むな、とは言わない。だが、お前達は私が求めた事を成してくれた。それは誇ってもいい事だ」
思い悩むアルフレッドを、ルイが励ましてくれる。
その言葉にアルフレッドは弱々しく笑顔を返すが、今能天気に料理を楽しんでいるのはメーヴェの連れた小さなゴブリンであるオギンくらいなものだ。
と言っても、オギンは料理を食べていると言うより与えられた果物を丸齧りしているだけで、幸せそうな笑顔をメーヴェに向けている。
そのメーヴェの方は、アルフレッドと一緒で弱々しい笑顔を浮かべてオギンに応えていた。
外見以外の全てが残念と陰で言われ、必ずしも好まれていなかったメーヴェだが、彼女自身はその事を知らないらしくシオンの事を本当に悲しんでいた。
今もまったく気が晴れていないのは、その表情から分かる。
それでもルイやこの村にとって、アルフレッド達は村を救ってくれた英雄である事には違いないと言って励ましている。
それは間違いでは無いものの、真実でもない。
本当に村を救った人物は、今この場にいなかった。
最初ルイはゴートであればどうにか出来ると言っていたが、実際に戦った時の様に仲間を呼ばれる事は想定していなかった発言だろう。
アルフレッドにしてもルイにしても呼ばれた仲間の方を相手にするだけでもギリギリだった上に、人質を肉鎧とした場合アルフレッドにもルイにもどうする事も出来なかった。
それを考えても、ここで賞賛されるべきはアルフレッドではなくソルである。
そのソルだが、英雄を迎える宴と言われてから露骨に表情を曇らせ、そこに参加するつもりは無いと宣言して別行動を取っている。
集落とは言え魔窟で単独行動はタブーとされているのだが、あくまでもそれはアルフレッド達の様な初心者の心得であって、いかにブランクがあると言ってもソルは本来この層にいるべきではない実力者なので何も心配いらないだろう。
理想とは違う姿だったが、それでもソルは英雄と呼ばれるだけの実力を持っていた。
かつて英雄ウィルフと組んでいた事もあったと言うが、魔窟の最下層と言うのはどう言う地獄なんだろうとも思う。
村の宴は、アルフレッド達を本気で英雄として崇めてくれていた。
ルイにしても非協力的な実力者であるソルより、それを動かす事に協力してくれたアルフレッドの方に感謝している様に見える。
勇者、英雄、か。
満面の笑みと、感謝の言葉の雨は想像以上に重荷だった。
実力を伴わない勇者と言うのが、これほど辛いものだったとは思ってもいなかった。
もしシオンがこの場にいれば、当然の様に受け入れた事だろう。
それがシオンだけでなく、ランドルフやトーマスでもごく普通に勇者である事を受け入れたはずだ。
「随分と表情が冴えないな。私の言う事は信用できないか?」
ルイがこちらをのぞき込んでくる。
美しい女性に見つめられるのは悪くないのだが、先の二本角との戦いや今回の事で自分が何も出来なかったという事実は変わらない。
何の意味もなく、甘い汁を吸い続けている寄生虫。
魔窟に入る前にウィルフから言われた言葉が、突然頭の中に浮かんでくる。
こんなはずじゃなかった。
それはこの世界に来る前から、何度も考えて来た言葉だったと思う。
今となっては、この世界に来る前の事はおぼろげにしか覚えていない。
ただ、ウィルフに言われた通りだったと思う。
そしてこの世界で目覚めた時、同じ事にはならないと心に決めて色んな事をやって来た。
さらにこの世界の住人は持っていない『仮面』の力もあったので、明らかに自分が特殊な人物である事を自覚し、自分こそ主人公だと言う自負もあった。
はずだった。
メーヴェの表情も冴えないところを見ると、彼女も今回の事で思うところがあったのだろう。
バシィッ!
突然背中を叩かれて、気持ちがいいほどに音が響く。
「いってぇ!」
アルフレッドは突然の衝撃に思わず声を上げていた。
「誇れ! お前は私の期待に応えてくれたのだ! その事それ自体は何ら後ろめたい事も無く、また皆もそれに感謝している事は間違いないのだ! まるで私達を救った事を後悔している様な表情はやめてくれ」
集落にとっての英雄に対しての暴力に村人達も、メーヴェも驚いていたが、おそらく一番驚いたのはアルフレッドだろう。
「……そうよ! 私達が救った事に違いは無いのよね!」
アルフレッド以上に何もしていないはずのメーヴェが自信を取り戻した様に言う。
「悩むのは良い。悔やむ事も構わない。だが、間違った事ではないのだから、誇る事も忘れないでくれ」
ルイの言葉に、アルフレッドは頷く。
「……確かに、そうですね」
「うむ、分かってくれたか」
ルイは嬉しそうに言う。
「では、私からもう一つ頼みたい事があるのだが、聞いてくれるか?」
「俺に出来る事なら」
「妹が睨んでくるのを、何とかしてくれないか?」
アルフレッドの陰に隠れる様に佇んでいるレミリアが、長い前髪の隙間からルイを睨みつけていたらしい。