第十八話 ゴートとの戦い
まったく乗り気ではなかったものの、ソルを引っ張り出す事に成功してメーヴェもルイ達と共に行く事になった。
第二婦人から言われてからちょっと不安になったものの、それでもソルの異常な戦闘能力をもってすれば、少なくともメーヴェは守ってもらえると思う。
もし問題があるとすれば、ソルにそのつもりがあるかどうかだが、たぶん大丈夫だろう。
なんだかんだ言ってもソルはメーヴェを見捨てたりしない。
と、思う。
魔窟に入る時にも走って追いついてきたし、魔窟の入り口では身を挺して守ってくれた。
隊列はルイとソルと異形剣が先頭で、その後ろをアルフレッドとレミリア、メーヴェが続く。
正直なところ、隊列と言うほどの事も無く前を行くのが道案内と実行部隊で、後ろはそれについて行っているだけという方が正しい。
「あれか」
ソルが対象を見つけて言う。
相手はまだこちらに気付いていなかった様だが、あまりに無警戒にソルが近付いていくので周りが止めるより早く相手に気付かれてしまった。
「ふははははは、やっと来たか、ルイ。もう諦めて俺の女になれ。たっぷりと死ぬまで可愛がってやるぞ」
ソレは四本の腕を持つ巨漢だった。
ソルもかなり背は高い方だが、そういう話ではない。
かなり長身のソルと比べても大人と子供と言えるほどの体格差があるだけでなく、ソレには体格に負けない立派な筋肉に纏われた四本もの腕があった。
しかも、顔が人間のソレではない。
もし人間の顔であったらそれはそれで不自然で怖いのだが、ソレの頭部は山羊のソレで、逆にちょっと安心できるくらいに人間ではなかった。
「また凝りもせずに助っ人か? お前であれば男はいくらでも釣れるだろうが、いい加減学んではどうだ? どうやってもお前は俺のモノになるしかないのだから」
山羊頭はソルに興味を示さず、ルイに向かって涎を垂らしながら言っている。
「ゴート、貴様であればまだ戦いようがあるのだぞ」
「強がるな、ルイ。それであればとっくの昔にやっているだろうに」
「ま、そうだろうな」
山羊頭、ルイがゴートと呼ぶ魔物から無視されているのに、ソルは頷いている。
「ルイ、お前が俺のモノになるというのであれば、そこの連中は見逃してやっても良いのだぞ? お前も無駄な死人は出したくはないだろう? さあ、俺の前に跪け。命乞いをして、惨めに哀願してみせろ」
ゴートは笑いながら言う。
「それとも、別の生贄を差し出す気になったか? 上玉が隠れているじゃないか」
ゴートはメーヴェに気付いて舌なめずりしている。
「はっはっは、良いな、お前」
メーヴェはもちろん、この場にいる全員が思っているであろう反対の事を、ソルは本当に楽しそうに笑いながら言う。
「これなら切っても悪い気はしない。遠慮もいらないな」
「ああん? お前もルイに誑かされた類だろうが、止めておけ。今なら女を置いていくのであれば、お前と向こうのガキは見なかった事にしてやっても良いんだぞ?」
「ほほう。ならこちらも義理は果たしておこうか。お前がこの場で土下座して泣いて許しを請うのであれば、その四本腕を切り落とす程度で済ませてやっても良い。俺としては非常に良い取引だと思うが、どうだ? 考えてみる価値はあるだろう?」
ソルは提案するが、ゴートは鼻で笑うとおもむろに脱ぎ始める。
「……え? え? 何してるの?」
戦闘準備の為に武器を、特に剣を抜くと言うのであればわかるのだが、今からまさに戦闘が始まると言う時に脱ぎ始める理由が分からず、メーヴェは困惑する。
が、ソルを含めてそれに応えられる者はいなかった。
それは答えがまったく合理的では無かったからである。
ゴートは最初からソルを敵として見ていなかったらしく、興味は女性陣、とりわけルイとメーヴェに向かっていた。
「ぬっはっはっはっは! コイツでお前らをたっぷり可愛がってやるぞ!」
ゴートは隆々とそそり立つ『ソレ』を、堂々と見せつけてくる。
「え? え? ええええええええええええ! な、な、なななななななな、何してるの?」
メーヴェは慌てて両手で顔を隠すが、周りは冷静なものである。
……え? 何で私だけ? ちょっと反応違くない?
「ははは! 本当に面白いな。殺すのはもったいないくらいの芸人じゃないか。いっその事、それで笑いを取って生活したらどうだ? 案外ウケるかもしれないぞ」
「貴様はもういい。女を置いて去れ。見逃してや……」
ゴートは面倒そうに右上の腕を振ってソルを追い払おうとしたのだが、その右腕の肘から先が切り飛ばされていた。
「立派なモノを落としてやっても良かったんだが、ソレは残してやるよ」
ずっと女性の姿でソルに寄り添っていたはずの異形剣がいつの間にか剣に戻り、ソルはその剣を振ってゴートの腕を切り落とした。
と言う事なのだろうが、その動作を確認出来た者は誰もいなかった。
想像を絶する神速の剣撃である。
「う? お、う、う、うがああああああ! 腕がああああ! 俺の、俺の腕があああ!」
「さて、あと三本か。なんなら『ソレ』まで含めてあと四本でも良いぞ? 泣いて逃げるか、まだやり合うつもりか、選ばせてやるぞ?」
ソルが笑いながら言うと、ゴートはようやくソルを敵と認識する。
「貴様ぁ! 生かしては帰さん! 八つ裂きにしてやるぞぉ!」
「出来ない事は言うもんじゃない」
ソルはむしろ諭す様にゴートに言う。
それに対してゴートは獣の咆哮を上げる。
異常な声に呼応する様に空間の一部が歪み、そこからゴートと同じ様な魔物が二体現れた。
若干体が細い事と全裸では無い事以外は、そっくりな個体である。
「仲間を呼んだ、か。多少の知恵はあるらしい」
「ガキ共を狙え! こいつは俺がやる!」
「無理するなよ。三体程度じゃ話にならないんだから」
そうは言うものの、ソルは脇を抜けていく二体の魔物を止めようとはしない。
「ソレはそっちでどうにかなるだろう?」
その言葉の割に、ソルは後ろを確認しようともしない。
「一体は私が受け持つ。もう一体は任せられるな」
「やってみます」
ルイと同じく、剣を抜いてアルフレッドが答える。
ソルの実力は疑うところはないのだが、アルフレッドの真の実力は貴族学校でも評価が分かれていた。
さほど成績も良いとは言えないものの、極端に悪い訳ではないアルフレッドはその家柄の為に侮られる事は無かったものの、特別評価が高いと言う事も無い。
真の実力を隠していると言う者と、家柄が良いだけで大した事は無いと言う、真っ二つの評価がアルフレッドである。
メーヴェとしてもアルフレッドの実力は測りかねていた。
とにかく本気で、真剣になると言う事の無いアルフレッドである。
弱くはないと思うのだが、果たして二人の兄、マクドネルとオスカーほどの実力があるのだろうか。
などと悠長にいっている場合でもない。
それくらいの実力が無いと、メーヴェやレミリアが危険である。
とにかく不安だったのだが、結果的には杞憂だった。
アルフレッドの実力は、メーヴェの想定を遥かに上回っていた。
いつ、どこから取り出したのかも分からないが、いつの間にかアルフレッドは銀色の仮面を被っていた。
特に目立った防具も無いので、その仮面はやたら目立つ。
ソルと比べるのはいくらなんでも可哀想だが、今のアルフレッドであれば貴族学校の実戦試験でもトップクラスの成績だったはずだ。
これほどの実力を何故隠そうとしていたのだろうか。
背も高くスタイルが良くて見栄えがするアルフレッドなので、これ以上目立ちたくなかったのかもしれない。
驚異的な実力を見せつけ、アルフレッドは魔物を圧倒するが、魔物の方も防戦一方であるもののそう簡単に決着はつきそうにない。
一方のルイと魔物の戦いは激しいものだった。
露出度の高いルイなので魔物の攻撃は一撃で致命傷になりかねないが、動きの速さでいえばルイはアルフレッドにも劣らない。
さすがに実戦慣れした雰囲気があるが、攻撃が雑と言うか荒いと言うか、重い一撃を意識し過ぎているせいで剣を大きく振り回している。
あれではスタミナが持たないだろう。
一方のソルとゴートは戦いを始めてもいない。
ゴートの方はソルを警戒しながらも二体の魔物の援軍を待っている様だが、残念ながらそれは叶わなかった。
まず、アルフレッドの方が先に決着が着いた。
圧倒的に優位に戦いを進めたアルフレッドは、魔物の腹部を大きく切り裂いた。
それが致命傷となったのは間違いないのだが、そこからアルフレッドは急激に失速した。
どこに消えたのか銀色の仮面が無くなり肩で息をするほどに息を乱していたが、魔物にはそこを狙って反撃に出るだけの余力が無かった。
アルフレッドは援護に迎えなかったものの、同じように消耗しながらルイも魔物を撃退していた。
「さて、どうしようか? 逃げるなら今のうちだと思うが?」
後ろも見ていないのに決着が着いたのが分かったのか、ソルがゴートに提案する。
「おのれええええ!」
ゴートが叫ぶと、ゴートの前に空間の歪みが現れたと思うとそこから裸の女性が現れる。
気絶しているらしい女性の体をゴートは二本の腕で抑えると、残る一本の腕で剣を構えた。
「この女を……」
ゴートが言葉を発しようとした時、ソルはすでに攻撃のモーションに入っていた。
「ちょ、待ってくれ! 彼女は……」
ルイの静止も聞かず、ソルは捻りを加えた突きでゴートを攻撃する。
単純な捻りを加えた突きのはずなのだが、その突きはまるで竜巻が水平に通り抜けたのかと思わせる様な、恐ろしい幻覚まで見せるほどの迫力と殺気に満ちていた。
ゴートもその攻撃を躱したが、目を見開いて驚いている。
「待ってくれ、ソル! 彼女は……」
ルイは必死に止めようとするのだが、ソルはすでに次の攻撃のモーションに入っていた。
大きく剣を振り上げて、突きを躱した時に体勢を崩しているゴートに向かって振り下ろす。
異形剣は形を変える事が出来る剣ではあるが、先ほどの突きといい、今回の振り下ろしといい、特に形を変えていると言う事は無い。
それでもソルが振り下ろしたのは、巨大な断頭台の刃であるかの様な錯覚を覚える。
裸の女性は、気絶していたのは幸いと言えるだろう。
これほど明確な殺意を目の当たりにしては、一生のトラウマになりかねない。
「ソル! 彼女は私の村の者だ! 助けてやってくれ!」
再三遠慮の無い攻撃を繰り返すソルに、ルイは訴えかける。
突きと振り下ろしの二回の攻撃を躱したものの、ゴートは腰を抜かした様にへたりこんでしる。
ソルは舌打ちすると、ゴートに鋒を向ける。
「ならば選べ。ここで一人救ってこの変態を逃がすか、ここで一人見捨てて変態を殺すか。ここでこの女を助けると言うのであれば、俺の仕事は終わりだ。あとは好きにしろ。まだ俺の力が必要だと言うのであれば、余計な口を出すな。三秒で答えろ」
三秒で、と言われてもルイには答える事が出来なかった。
ゴートより弱い個体を倒すにもギリギリだったルイが、一人でゴートと戦う事は出来ない。だからこそ、ソルに頭を下げて協力を頼んだのだ。
「口を出さないと言う事は答えが出たな。気にするな、女は気を失っているのだからお前が見捨てたなんて知りようがない」
ルイを黙らせると、改めてソルはゴートに向かう。
「さて、命乞いでもしてみるか? せっかく立派な盾だか鎧だかなのに、ちゃんと活かせよ」
ソルは笑いながらゴートを見下ろす。
「それに、ご自慢のモノが縮み上がってるじゃないか。それじゃ面白くないぞ?」
「おのれええええ!」
ゴートは叫ぶと裸の女性をソルに投げる。
ソルは薄汚れたマントを脱ぎ捨てて投げられた女性に向かって広げるが、それで彼女を受け止めようとした訳ではない。
そのままマントに包まれて、女性は地面に落ちるがソルは逃げようとするゴートの背中を一突きに貫いていた。
「言われなくても最初からそのつもりだったのくらい、察しろよな」
ソルはゴートを貫きながら言うと、そのまま切り払う。
背中から胸まで貫かれた上に右に切り抜けられたゴートは、大量の血液を撒き散らしながら絶命する。
言われてみると、確かにおかしいところはあった。
最初のソルの攻撃は、誰の目にも止まらないほどの神速の剣閃だったにも関わらず、裸の女性と言う人質が現れたからの突きと振り下ろしの二度も攻撃を躱された。
よく考えてみれば、そこがすでにおかしい。
そもそもソルの攻撃モーションがメーヴェにも見えたのが有り得ない。
あまりにも当然と言う様にソルが人質を意に介さずに攻撃していた様に見えたので、誰も疑問に思わなかった。
そう、あの二度の攻撃はゴートを攻撃する為のものではなく、人質は無意味だと言うアピールでしか無かったのだ。
もしゴートが躱すのではなく、盾として女性を前にしてソルの攻撃を防ごうとした場合、彼はどうしたのだろうか。
もちろん、躊躇わなかったはずだ。
そうでなければ、向こうから人質を開放しようなどと思わない。
人質が無意味であるのであれば、それはただの荷物にしかならないとゴートに分からせる為の、見せかけの攻撃だったがその効果は絶大であった。
「まったく、村を助けろとか敵を倒せとか勝手な事を言ってきた挙句、同じ村の女だから助けてくれ? 村の全滅の危険もあると言っておきながら、一人を救う為に攻撃するなとは正気とは思えないな。俺には理解出来んよ」
人質を助けておきながら、ソルはルイに向かって溜息混じりにそう言うと、マントでくるんだ女性をルイに渡す。
「で、お前の知り合いでは無かったのか?」
ソルはメーヴェとアルフレッドに尋ねる。
「……いえ、シオンさんではありません」
「そうか、だとすると敵の根城だな。面倒な事だ」
「そこまで憎まれ口叩かなかくてもいいのにね」
ひっそりと女性の姿になっていた異形剣が、メーヴェ達に微笑みかけていた。