第十七話 ソムリンド家の第二夫人
「あら? アルフさん、戻っていたのですか?」
明らかに今までのやり取りに関わっていない、明るく柔らかな声が掛けられ全員が振り返る。
あまりに一斉だったので、声をかけてきたソムリンド家の第二夫人の方が目を丸くして驚いている。
「え? どうされたのですか?」
「第二……夫人?」
メーヴェは警戒しながら尋ねる。
「え? あ、これはメーヴェ様。ご無事だったのですね」
第二夫人は笑顔でメーヴェに駆け寄る。
だが、メーヴェはどんな表情をすれば良いのか分からず、微妙な表情のまま固まっていた。
彼女だけは、メーヴェの記憶通りである。
両翼と例えられた両家の当主達のあまりに悲惨な姿を見た直後と言う事もあって、むしろ彼女だけは少し若返っているかの様にも見えた。
メーヴェの記憶にあるソムリンド第二夫人は、いつも第一夫人の陰となる人であり、当主の後ろを二歩も三歩も後ろを歩く様な人物だった。
話しかけると優しく朗らかなのだが、自分から声を掛けてくる様な事はなく、ただひたすらに存在を消そうとしていた人物と記憶していた。
だが、今の彼女は街で見かけたより活き活きしている様にも見える。
「レミちゃんも、怪我は無かった?」
第二夫人はレミリアの方にも声を掛ける。
ふと、メーヴェは第二夫人の変化に気付いた。
服装である。
老いた面々は服装だけは貴族時代のものであり、それが返って悲壮感を増幅させているのだが、第二夫人は服装が貴族の、それもソムリンド家の第二夫人と言う地位にまったくふさわしくないくらいに簡素なものになっていた。
この格好だったら街で出会っていた場合、第二夫人だと気付かなかったかもしれないくらい、妙に馴染んでいる。
とは言え、不思議なくらい高貴さを失っていない。
「貴方達がアルフさんやレミちゃんを守って下さったのですか?」
第二夫人がソルやルイを見ながら尋ねる。
「いや、俺は無関係だ」
ソルはすぐにそう答えた。
「そうでしたか。でしたら、今後は二人の事をよろしくお願いしますね」
第二夫人はにこやかに言う。
「貴方の様なお方がいるのであれば、安心です。メーヴェ様、良きお方を見つけられましたね。ハンスさんも喜んでおられる事でしょう」
状況を正しく判断しているのかどうか微妙だが、第二夫人はどこまでも優しくソルとメーヴェに向かって言う。
「……あんたは良いな」
ソルが眉を寄せた表情でそんな事を言った。
こいつ、ひょっとして熟女好きだったのか? だから私に興味を示さないの?
メーヴェは第二夫人に対して反応したソルを見て思う。
「あんただけは生きる意志を失っていない。戦える体付きじゃないかもしれないが、強くなるべき理由と資質がある。先生を頼ると良い。アレはそう言う者を見捨てるヤツじゃない」
「先生? あ、あの愉快な骸骨さんですね」
第二夫人は既に先生と面識があるらしく、ニコニコと答える。
あの先生を『愉快な骸骨さん』と呼べる辺り、案外この第二夫人は相当な度胸の持ち主なのかもしれない。
考えてみれば、あのソムリンドの知恵袋と称される次男オスカーの母なのだから、それ相応の才覚の持ち主であってもまったく不思議ではない。
と言うより、ソルの反応が気に入らない。
私の時と違いすぎない? やっぱり熟女好きなんだな、コイツは。
「言っておくけど、ソルはそんなに熟女好きじゃないわよ?」
メーヴェの考えが読めるのか、異形剣がメーヴェに耳打ちしてくる。
「あいつらは何て言うか、自分の価値観に近い頑張っている姿って言うのが好きなのよ。それに魔窟の影響の受け方が濃くなれば、性的な興味が極端に強くなるか弱くなるかになっていくんだけど、ソルは後者ね」
そんなものだろうか。
何となく納得出来るところも無い訳ではないが、しかし第二夫人に対しての態度と自分に対する態度の違いは、それでは説明がつかないのではないだろうか。
確かに控えめとは言え第二夫人は美しい女性である。
それは認める。
しかし、街で群を抜いてナンバーワン美少女であるメーヴェに対してそれほど興味を示さないと言うのは、やはり熟女好きと言う一面があるのではないだろうか。
ソルの態度が気に入らないのはメーヴェだけではなく、もう一人いた。
「年長のご婦人に対して紳士的なところに文句は無いが、それでも私に対する態度とは違いすぎるのではないか?」
必死に感情を抑えようとしているのが分かる声で、ルイがあくまでも冷静を装ってソルに対して抗議する。
「お前とその女性とでは、違い過ぎる。そちらの女性には敬意を払うだけのものがあり、お前には無い。ただそれだけの事だろう」
さも当たり前だと言わんばかりに、むしろ不思議そうな表情まで浮かべてソルはルイに向かって返す。
「何か困り事ですか?」
「実は、困っている事があるんです」
第二夫人が尋ねてきたので、メーヴェはここぞとばかりに今の状況を伝える。
と言っても、メーヴェも詳しい事は分からない。
ただ、ルイが困っている事にアルフレッド達も巻き込まれている様なのだが、それを解決出来るだけの実力を持っているソルが協力してくれない、と言う事を第二夫人に伝えた。
「……それは困りましたねぇ」
本当に困っているのか分からないが、第二夫人は苦笑いの表情を浮かべて呟く。
「第二夫人からも、言ってやってくださいませんか?」
「それは出来ません」
メーヴェの申し出に、第二夫人は予想外なくらいキッパリと断る。
第二夫人はいつもおっとりして陰に隠れていたので、ここまではっきりと意思表示するのをメーヴェは初めて見た気がする。
「でも、これは意地悪とかではなく、メーヴェ様の為でもあるのですよ?」
「私の?」
「この御仁がどなたなのか、私は面識がありませんので詳しい事は分かりません。ですが、メーヴェ様にとってそのお方は、おそらくハンスさんの様な存在なのでしょう?」
「……いや、ちょっと、いや、だいぶ違うかも」
「そんなお方が戦う場に向かった場合、メーヴェ様を誰がお守りするのですか?」
それは考えていなかった。
だが、この魔窟に来る時にすでにそれは、その恐怖は経験していたはずなのに、まったく考えていなかった。
あの時はソルがいなかった為、メーヴェを守る小さな騎士達が命を落とし、その唯一の生き残りがオギンである。
「……そっか。そうですよね」
ソルの異常極まりない戦闘能力を目の当たりにしたせいで、彼が守ってくれるのであれば自分には一切危険は無いと勘違いしていた。
そう、どんな時にでもソルが必ず近くにいるとは限らないのだから。
「申し訳ありません、メーヴェ様。私では力になれなくて」
「いえ、私の方こそ無理を言って……」
第二夫人の言葉に、メーヴェは急に不安になってくる。
ハンスはとにもかくにもメーヴェを第一に考えてくれていたが、ソルは明らかに違う。
一応メーヴェを守ってくれている立場ではあるのだが、それはハンスのソレとは違ってもののついででしかない。
何しろ誘拐犯なのだから、ハンスほど絶対の信頼が無いのが大き過ぎる問題である。
「ですが、無理を承知でお頼みします。どうか、メーヴェ様とうちの子供達をよろしくお願いします」
「約束は出来ない」
第二夫人の言葉に、ソルは言い放つ。
が、ルイの時ほど冷たさは無かった。
「構いません。ただ、お願いしているだけですから」
「俺より、そちらの方がこれから大変ではないか? 後ろ盾も無いのだろう?」
ソルはそう言うと、いつの間にか隣にいた『袋』から束ねた鉄筒の様な物を取り出す。
「これをあんたにやるよ。『多節棍』と言う武器だが、慣れるまでは槍として振り回せばこの層の魔物に苦労する事は無いはずだ」
「まあ、私には何もお返し出来ませんのに」
「俺からのお節介だ。ただし、これで先ほどの願いに対する返しとさせてもらう。約束は出来ないのだからな」
「……私の時と違い過ぎる」
メーヴェも思ったのだが、ルイは思いが口から溢れてしまっている。
「お前らとは違うからな」
しかしソルは、やはりルイには冷たい。
厳しいと言うより冷たい。
あからさまに関わりたくないと言う態度である。
「でも、これ以上ここにいると迷惑ではあると思うんですが、どうでしょうか」
アルフレッドが提案する。
第二夫人は老いたソルリンド、ローデの両当主の面倒を見ている。
両翼と謳われた両家だが、もはやそれは過去のモノである事を見せつけられた。
隆盛を極めた両家だったはずが、今は身の回りの世話をする使用人も二人しかいない。
本来であれば世話を受けるはずの第二夫人も世話役となっているので、第二夫人と二人の使用人で老人たちの面倒を見ている。
しかもメーヴェ達が来てからというもの、老人達の怯え方が尋常ではなくなったのは見れば分かった。
アルフレッドの提案もあって、メーヴェ達はその場を離れる事にする。
「私とあの夫人とで、どう違うと言うのだ!」
離れた直後にルイがソルに噛み付いてくる。
「そう言うところだろ、まずは」
基本的にソルとは考え方が違うのだが、それに関してだけはメーヴェも賛成出来る。
第二夫人はこんな噛み付き方はしない。
そもそも噛み付いたりしない。
「それにしても、私が頼む時には話も聞かなかったくせに、あの夫人には頼まれてもいないのに武器まで渡していたではないか! どう言う事だ!」
ルイとも考え方は違うが、それはメーヴェも疑問だった。
「最初から理解しようとしないヤツに説明するのも面倒ではあるのだが、一応説明だけはしておいてやろうか」
ソルは本当に面倒そうに言う。
「お前は村を救ってくれと言っておきながら、自分より強者であるその娘に協力を求める事を拒んだ。あの女性は自分より強者であるその娘の為に、自分に捨てられるモノを捨てる覚悟でゼロにその身を置いた。その違いが分かるか?」
「覚悟の話か? それならば私も捨てる覚悟は出来ている! 私に出来る事は何でもする! だから頼む、村を救ってくれ!」
ルイは必死に懇願するのだが、ソルは深々と溜息を吐く。
「何でもする、か。それはつまり『適当に難癖つけて、最終的には何もしない』と宣言している様なものだと言う事も分かっていないらしい。いよいよ話にならないな」
ソルはそう言って首を振る。
「ふざけるな! 私が口にした以上、私に出来る事なら何でも従ってやるぞ!」
「口から出るモノだけは威勢がいいな。良いだろう、手を貸してやる。ただし、いくつか条件があるが、それでも良いか?」
「どんな条件でも飲んでやる! 言ってみろ」
「まず、そこの連中も一緒に来るんだろ?」
ソルはアルフレッドとレミリアを指差す。
「俺はそのつもりですよ」
アルフレッドが答えると、その後ろでレミリアも頷く。
「情報も欲しい。具体的に、それを放置した場合、村にはどれほどの被害が出たのだ?」
「おそらく全滅だろう。奴らが本気になったら、村では誰も太刀打ち出来ないと思う」
「ほう、つまり俺が手を貸さなければ皆殺しになれる恐れもあったと言う訳か」
ソルは数回頷いた後、ルイを睨む。
「つまりお前は、それほど凶悪な魔物がいると言う事を伏せた状態で俺に協力しろと言ってきた訳だな。おそらく、俺だけではないだろう。これまでに協力を求めてきた者全てにもっとも必要な情報を伏せて、煽ってきたと言う訳だ。それが誠実なモノの頼み方と言えるのか? どれほど危険かと言う事は最初に伝えるべきだろう」
ソルの言葉は冷たいだけではなく鋭く、遠慮が無い。
「まあいい。言いたい事は山ほどあるが、まずはお前が何も出来ないだけでなく、口で言うだけで何もしない、どうしようもないクズと言う事を教えてやるとしようか」




