第五話 陰謀の日
そのクーデターの数日前。
彼はクーデターの首謀者の一人であるエヌエル家に招かれていた。
金髪碧眼の美男子ではあるのだがどこか印象が薄く、美男子である事以外は何故か記憶に残らない様な不思議な容貌だった。
彼はテーブルの上の豪華な食事などには一切手をつけず、ただ座って待っていた。
「いや、待たせて申し訳ない。料理は口に合いませんでしたか?」
いかにも貴族と言うものを体現した、小太りの中年男性がやって来る。
この男がエヌエル家当主だと彼にも分かったが、だからと言って彼がへりくだる理由も無い。
「僕に何か御用ですか? あいにくと僕には貴族様の知己はいないのですが」
彼はエヌエル家の当主の男に言う。
「魔窟探査の冒険者の中で、ウィルフの名を知らぬ者などいないと言われる実力者である貴方に、是非街を救っていただきたいのです」
「無理ですね。僕に街を救う事など出来ませんよ」
内容も聞かない内に、彼は即答した。
「それでは僕はこれで」
「お、お待ちください! どうか、どうか是非魔王の手から街をお救い下さい!」
エヌエル家当主は貴族のプライドを捨て、すがりつく様に立ち去ろうとする彼を引き止める。
「魔王?」
「そう、その通りです! 今の、いや、この街を牛耳り続けている街の支配者であるクラウディバッハ家の者は、魔窟の魔物を使って街を支配しているのです! 街に住む者ではあの魔物を倒す事は不可能。ウィルフ殿の様な勇者でなければ、魔王を打倒する事は出来ないのです!」
エヌエル家当主は、涙を流さんばかりに訴えている。
「そこで魔窟探査を行う冒険者の中で最強と称される英雄、ウィルフ殿に是非とも街を救っていただきたいと……」
「どこの誰がそんな事を言っているのかは知りませんけど、僕は最強でも何でもないですよ。まして英雄だなんてとんでもない」
謙遜すると言うより、そう言われる事が迷惑だと言う態度で彼、ウィルフは答えた。
「皆が申しておりますとも。魔窟で戦う者で、ウィルフ殿より強い者などいないと。魔王であるクラウディバッハの者を打倒出来る者は、ウィルフ殿しかいないと!」
熱く語るエヌエル家当主に対し、ウィルフの碧眼は冷たさを増していく。
「それはつまり、僕に暗殺者になれと言う事ですか?」
「え? い、いいえ、とんでもない! 魔王から街を解放していただきたいとお願いしているのです!」
「魔王退治と言えば聞こえは良いでしょうが、貴方が僕に求めている事は街の要人の暗殺以外の何物でも無いでしょう? それを生かして捕えろと言うのであれば、それは誘拐拉致を指示しての事ですか?」
「そ、そんな事は……」
「それに、クラウディバッハ家と言うのは街の領主であり統治者なのでしょう? その邸宅に乗り込むのは不法侵入であり、魔王討伐と呼び名は飾っていますが貴方が私に言っているのはただの要人邸に侵入して暗殺する事を望んでいるとしか思えません。街の問題は街の問題であって、魔窟探索を主とする僕には関係のない話です。要件は済んだようですので、僕は帰らせていただきます」
ウィルフは取り付く島もない態度で答えると、席を立つ。
「やはり説得は難しいようですな」
選手交代とばかりにやって来たのは、三人の人物だった。
一人は初老の男。あとの二人は二十代から三十代の男だったが、エヌエル家当主と比べて若いにも関わらず堂々とした態度と漂う気品は、人の上に立つ事に慣れた雰囲気を感じさせる男たちだった。
「ハンスさん?」
ウィルフは驚いて、目を見張る。
「久しぶりですね、ウィルフ。もう二十年近くになりますか」
「十五、六年ですね。あの戦い以来ですから」
そう答えた後、ウィルフは僅かに笑みを浮かべて初老の男、ハンスを睨む。
「さてはハンスさんですね。僕の事を売り込んだのは」
「まあ、隠すつもりは無いのですが、やはり分かりますか」
ハンスも穏やかに笑う。
「それで、僕を魔王退治とか言う戯言に付き合わせるつもりですか? 確かに僕の夢と言うか目標の一つではありますが、僕は結果的に夢が叶うと言うのであれば手段は問わないと言うつもりはありません。いかにハンスさんの頼みでも聞けない事はありますよ」
ウィルフは再度席について、ハンスに向かって宣言する。
「それはわかっています。君とソルを力で従わせられると思うほど、私は自惚れていませんから」
ハンスとウィルフは共に魔窟探索を行っていた者同士ではあるが、同じチームと言う訳ではない。
しかしウィルフよりずいぶん前から魔窟探索を行っていた大先輩であり、今では現役を引退しているが現役時代のハンスには何かと世話になって来たので、エヌエル家当主の時の様に席を立つという訳にはいかなくなった。
「ですが、私にもクラウディバッハ家を打倒する理由が出来たのですよ」
ハンスは穏やかに言う。
この穏やかさに、ウィルフは眉を寄せる。
現役の頃のハンスは冷静ではあったが、これほど穏やかな人物では無かった。
冷静と言うより冷徹で、魔窟探査における参謀としての実績は恐ろしいほどであり、魔物に対して、と言うより敵対する者に対しては容赦の無い策を用いて確実に勝利する様な人物だったとウィルフは記憶している。
穏やかな口調に穏やかな表情。
これが偽りの仮面であるとウィルフは感じ取っていたが、そこにはハンスの狂気も見て取れる。
役者としての資質がこれほどのものだとは、と言うのもウィルフの知らないハンスの一面だった。
「ですが、ハンスさん。僕は何を言われても、この計画に手を貸すつもりはありません。僕には僕の理想があり、暗殺はそれに反します」
「もちろん、それは理解していますよ。私の最大の目的は、貴方とソルに敵対してもらわない様にする事ですから。ソルが動く事はないでしょうが、貴方が何かの気紛れで領主側についてしまったら、私がどんな策を立てても無意味になってしまいますので」
「それであれば、約束しましょう。僕のところに領主からのオファーはありませんし、おそらく僕の事など知りもしないでしょう。もちろん、ハンスさんは領主に僕の事を一切知らせていないのでしょう?」
ウィルフの言葉に、ハンスは笑顔で頷く。
「とは言え、私も情報の全てをシャットアウト出来る訳ではありません。魔窟から戻ってきた冒険者の口を全て塞ぐ事が出来ない以上、貴方の名前をまったく聞かせない様にする事は不可能ですから」
「……そんなに僕の名前って有名になっているんですか?」
「それはもう。生ける伝説として、もっとも語られている英雄ですよ」
ハンスの言葉に、ウィルフは困った様に頭をかく。
「僕はそんなつもりではないんですけど」
「人は一方的に期待するものですよ。それは分かっていた事でしょう? まあ、それは良いのです。貴方が領主側につかない事を約束してくれただけで、私の役割は九割以上終えたのですから。後は、姪の仇を取るだけです」
最後の言葉に、ハンスの穏やかな仮面から悪意と狂気を宿した目がわずかながらこぼれ出る。
「……メイフェアを殺したのが、クラウディバッハ家と?」
「ええ、彼らも証言してくれていますし、ウラも取れましたから」
ハンスは傍らに立つ二人の男性を見て言う。
「彼らは?」
「領主であるクラウディバッハ家を支える両翼と言われる貴族家の片方、武のソムリンド家の次期当主である長男と次男で、今回のクーデターにも理解を示して参加してくれたメンバーですよ」
ハンスの紹介に二人は頭を下げる。
「え? でも、僕は今回の事には無関係になるわけで、別に貴族の方と知己になるつもりも無いのですけど」
「いえいえ、このお二人の事は別件ですよ。こちらの事は貴方にも興味のある話だと思いまして、是非耳に入れてもらいたいと思ったのです」
ハンスはそう言うと、ソムリンド家の兄弟を促す。
「ぶしつけな質問なのですが、ウィルフ殿は『異世界から転生された』と言う事ですが、事実でしょうか?」
「ええ、事実ですよ。その事はハンスさんから聞いているでしょう? 僕の情報でハンスさんから聞いた事は全て事実と言う前提で、話を進めて下さい」
ウィルフは事も無く答えるが、ソムリンド家の兄弟は何とも複雑な表情をしている。
それは単純に『異世界からの転生者』と言う、正気を疑う様なキーワードに関する不信感だけではなさそうだった。
「どうかしましたか?」
「……我がソムリンド家にも、おそらく一人、その『異世界からの転生者』が、『仮面』(ペルソナ)がいるんです」
家の恥を晒すとでも言う様に、長男の方が言う。
「……なるほど。それは興味深い話ですね。是非詳しく聞かせて下さい」
そう答えるウィルフの目にも、ハンスと同じ様な狂気が宿っていたかもしれない。
と、ウィルフは自覚していた。