第十二話 魔窟の文化
「お待たせいたしましたー」
と店員が持ってきたのは、ソルとメーヴェの分の他、ゴブリンの子供の為に大きめの果実を一つだった。
人数は多く見えるのだが、異形剣と『袋』と先生には食事の必要がないので注文していない。
「いやに早いな」
ソルが言う様に、注文してから来るまでがちょっと早過ぎる気がする。
とても注文をとってから作り始めたとは思えない速さだった。
「あー、そっか。ソルが探索してた時はまだ広まってなかったからねー」
「何がだ?」
「いわゆる袋保存ってヤツよー。きっかけはちょっとした事だったんだけど、簡単に言えば『袋』の中のモノは劣化しないでしょ? それの応用とでもいうのかしら? 作りたての料理を『袋』に預けると、出来立ての状態で保存出来るのよー」
先生の説明で、メーヴェはふと思い当たる事があった。
ゴブリンの子供を致命傷から救った、回復薬である。
あの時は慌てていたし一刻を争う事態だったので深く考えなかったが、今にして思えば妙な事なのである。
街の常識で考えるのであれば、どんな薬であっても賞味期限や消費期限と言うモノがあり、よほど特殊な薬剤でもない限り、十年も前の薬に効果が見込めるとは思えない。
むしろ毒になる事の方が自然だろう。
にも関わらず、回復薬は一切劣化する事無くゴブリンの子供を助けてくれた。
「言われてみれば、確かにそうか」
ソルにしても、異形剣や今身に着けている鎧など、本来であれば埃まみれだったはずなのだが、元からボロいマント以外は艶やかで時間経過による汚れや傷みなどはほぼ見られない。
「だから、こういうところでは作り置きを『袋』に預ける袋保存が広まっているのよー。これも教団の知恵で、教団とか四層とかでしか手に入らない貴重な食材を新鮮な状態で味わえるのよー」
「ジャッジメント教団、か。もっと胡散臭い集団かと思っていた」
直接教団員ではないものの、ソルは教団とはそれなりに縁がある。
ソルが生計を立てていたのが教団に木彫りの偶像を売っていた事もあり、まったく関係ないと言う訳ではない。
が、ソルの元にやって来るのはその仲介を行っていた闇商人だけで、教団の関係者と思われる人物らしい者は、少なくともメーヴェは見た事がない。
「教団は、そもそも立ち上げた人から相当な変わり者よー。大体神様は信じるモノじゃないって教義だしー」
先生とソルの二人は話しているが、メーヴェは運ばれてきた料理の方を不思議そうに見ていた。
同じモノを注文したはずなのだが、出てきたモノが違うのである。
メーヴェの方に出てきたオススメは、いかにもオススメ料理と言う様な感じで、パンの上にチーズや幾つかの具材を乗せて焼いたモノと、何かしらのスープ。更には何かの飲み物といったモノに対し、ソルに出されたモノは大きめのおにぎりが三つだった。
ただ、何の工夫も無いおにぎりではないと思えるのは、その香りである。
一つはこんがり焼き目をつけたモノで、その他二つも何かしら料金に見合った何かを中に含んでいるのではないか、とメーヴェは思った。
「神を信じない? 教団として全否定じゃないか?」
「聖女と呼ばれる教祖様がねー、『仮面』だから、実際に神様にあった事があるみたいなのよー。その上で、神様はアテにならないって結論に至ったってー。本人に聞いたから間違いないわよー」
先生とソルはまだジャッジメント教団の事を話していたが、メーヴェは気になった事を料理を運んで来た少女に尋ねる事にした。
「あのー」
「はい?」
料理を運び終えてその場を去ろうとした店員の少女は、呼び止められて足を止める。
「何で違うモノですか?」
「え? あ、コレですか? だって、こちらの方、食べづらそうじゃないですか。だからです」
店員の少女はソルを見て言う。
確かにソルは片腕で、何かと不自由なところはある。
普段の彼はそんな事は意にも介さず、何もかも器の中に入れてまとめて口の中に放り込む様な食事をしている。
「悪いな、気を使ってもらって」
会話が聞こえていたのか、ソルが少女に向かって言う。
「いえいえ、魔窟探索されている方を見ていますから」
少女はそう言うと笑顔で去っていく。
「どうした? 妙な顔してるぞ?」
ソルは異形剣やメーヴェを見て言う。
「悪いなって……。あんた、そんな事言う人だったっけ?」
「私、言われた事無い」
異形剣やメーヴェがそんな事を言う。
「そりゃお前には言わないだろう」
「え? 何で?」
メーヴェは驚いて言う。
この私と同じ空間を共有させてやっているのに、それに対して悪いと思っていないの? どう言う神経しているの?
メーヴェは驚いているが、ソルはそれ以上言わずおにぎりを頬張る。
「ほう、悪くない味だ。教団か。少し興味が沸いてきた」
「何が入っているの?」
色々言いたい事はあったが、興味の方が勝った。
「何かの肉だな。しっかり味付けもされている。魔窟でコレが味わえるのなら、悪くないな」
と、言う事はコレは特に問題なく食べられると言う事か。
メーヴェは様子を見ながらそう思った。
特に疑っていたと言う訳ではないが、何しろ魔窟の中である。
ゴブリンの子供は美味しそうに果実を齧っているが、コレはまともな人間では無いので例外と言う事にして、ソルの様子を見ていたのだ。
分類としてはソルもまともな人間かどうかは疑わしいところだが、ゴブリンの子供よりは人間寄りだろうし、短期間とは言え一緒のご飯を食べていた事もあるので、ソルが大丈夫なら大丈夫のはず。
そう思って、メーヴェはさっそくスープを口にする。
悪くない。街で店を出してもそれなりに繁盛しそうな味だと思う。
だが、気に入らない事に適当な材料を適当に鍋に入れて、適当に香辛料を入れただけのソルの料理の方が美味しいのはどう言う事だろうか。
おかしい、あんな貧しい料理が、この高貴な私の口に合うはずがないんだけど。
色々と言い訳を考えては自分を守る事に必死なメーヴェだったが、やはり空腹には勝てず一口食べてからというもの、もくもくと食べ続ける。
素材もさる事ながら、料理人の腕も確かなようで濃い目の味付けではあるものの飽きのこない味になっていた。
メーヴェは黙々と食べていたのだが、ふと気付くと全員がメーヴェに注目していた。
「いい食べっぷりだわー。若いっていいわねー」
「何だかんだ文句付ける割には食うからな、こいつは」
「でも食べ方綺麗なところに育ちの良さは見れるわね」
先生やソル、異形剣がメーヴェの方を見て言う。
『アネさん、美味そうに食べるっスね。店の人も喜ぶっスよ』
まさかの『袋』にまで言われ、メーヴェは顔が爆発したのではないかと思うほど熱くなって、俯く。
「あらー、ごめんなさいねー。別に恥ずかしがらなくても良いのよー。ねー」
先生はゴブリンの子供に同意を求める。
もうすっかり慣れたのか、ゴブリンの子供は先生に向かっても歯をむき出しにして笑ってみせる。
見慣れていない人には威嚇している様に見えるかもしれないが、メーヴェはある程度なら表情を読み取れる。
「あらー、よく見ると、この子もちょっと違うわねー」
先生は恥ずかしがるメーヴェから、標的をゴブリンの子供に移す。
「違う? 何が?」
「んー、一言で言うのは難しいけど、この子は一般的に言われている様なゴブリンとはちょっと違う子みたいなのよー。でも私、専門家じゃ無いから詳しくはわからないけどー、ちょっと違う事だけは分かるわー」
「まぁ、喉に穴があいても死なない時点でどうかしているとは思うが」
「それは尋常じゃ無いわねー。生物としてどうかしているわよー」
と先生は驚いているが、先生の方が生物と言うより存在としてどうかしているだろう。
そもそも先生は生物として数えていいのかもわからない。
「私にはただの子ゴブにしか見えないけど、先生が言うくらいだから何かあるんでしょうね」
「育てるなら、大事に育ててねー。ひょっとすると、とんでもなく化けるかもよー」
異形剣はそれほど評価していない様だが先生がベタ褒めしているので、メーヴェもゴブリンの子供の方を見る。
こちらは会話の内容に興味が無いのか、ひたすら果実にかぶりついている。
口の周りと言うより、顔の半分くらいは果汁でベタベタの酷い事になっているが、それはそれは美味しそうに食べている。
見ているだけでちょっと幸せになるくらいの食べっぷりだ。
「ん?」
先生が突然顔を上げる。
「あー、ちょっと揉め事みたいねー。行ってくるわー」
「もう来なくていいんだが」
「そんな事言わないでよー。ここにいる間は付きまとってあげるわよー」
「いらん。とっとと仲裁に行ってこい」
「すぐ戻ってくるからねー」
と言って、先生は唐突に姿を消す。
喧嘩の仲裁って、あのメイド服で行くの? いや、まあ、怖いけど。
先生の場合見た目が怖いのだが、あの服装で喧嘩の仲裁と言うのは逆に煽っている様にも見られないだろうか。
もっとも、煽られたからと言って先生に向かっていく様な勇者はいないだろう。
「で、この子ゴブ、名前無いんだっけ?」
異形剣がゴブリンの子供を見て言う。
「何か候補はあるの?」
「せっかくだから、他には絶対にいない様な、オリジナリティのある強そうな名前にしようと思ってるんだけど」
メーヴェは異形剣に答える。
「あんまり奇をてらった名前もどうかと思うけど……」
「そうねー、ノブナガは?」
「また随分と変わった名前が出てきたわね」
「強そうじゃない?」
「凄く強そうな響きではあるけど、この子、女の子っぽくない? その名前はちょっと女の子っぽく無いかな」
「んー、良いと思うけどな、ノブナガ」
「どっから出てきた名前だ。えらく妙な響きだが」
珍しく興味を示しているソルが、そんな事を言う。
「お前が考えた名前では無いだろう? 誰の入れ知恵だ?」
「失敬な。この私の溢れるインスピレーションが呼び出した、素晴らしい名前よ」
「そう言うのはいいから」
ソルはまったく相手にしないのでイラっとしたが、厳密に言えば確かにメーヴェが考えた名前では無いかもしれない。
確か貴族の学校で聞いた事のある、珍しい響きの名前だったのを覚えていたのだ。
「でもまぁ、可愛くはないかぁ。じゃ、オギンは?」
「それはまたお風呂とか似合いそうな、化けそうな名前ね」
「さっきから妙な響きの名前ばかりだな」
ソルは呆れ気味だが、だからこそのオリジナリティと言うものだとメーヴェは思う。
それにコレなら名前かぶりも起きないだろう。
「子ゴブで良くない?」
「良くない。それなら、オギンの方がいいでしょ? ね、そう思うよね」
メーヴェはゴブリンの子供に言うと、ゴブリンの子供は大きく頷いている。
「ほら、オギンもそう言ってるし、これからアナタはオギンよ」
「ちゃんは付ける? さんを付ける?」
「え? オギンはオギンよ」
異形剣の質問に、メーヴェは首をかしげる。
「ま、そう言う事らしい」
「じゃ、よろしくね、オギン」
異形剣がオギンを突くと、オギンは一瞬異形剣を見たがすぐに果実の方に向かう。
そろそろ食べ終わりそうだが、よく食べたものだ。
『しかし、オギンってのは随分渋い名前っスね。確かに他にはいない名前でしょうから、他との区別化は十分すぎるくらいっスけど』
「何? 『袋』も新しい名前が欲しいの? イエヤスとか?」
『え? いや、もう『袋』で定着してるっスから、『袋』で良いっスよ』
「妙な名前付けられるからな」
ソルが余計な補足をする。
「さて、食い終わったらそろそろ出るか」
「お会計は?」
いつの間にか食べ終わって立ち上がるソルに、メーヴェは質問する。
『それなら、出口にあるっスよ。説明するっス』
と、ソルではなく『袋』の方が説明を買って出る。
『だいたい探索者は現金では持ち歩かず、『袋』に預けてるっス。アネさんも、『袋』に預ければ安心っス』
「利息とかはつかないの?」
『あー、そりゃさすがに付かないっスねー。でも破綻とかないし、時間外手数料とかも取られないし、何より強盗とかも無いから安全安心っスよ』
街では金、銀、銅貨を使うのだが、大きな買い物や良質な物を買う時などはかなりの金貨を持ち歩く事になる。
そうなると当然それなりの重量が嵩むので、魔窟探索においてはその方が便利と言う事もあるだろう。
「じゃ、そうしようかな」
メーヴェはそう言うと、自身の所持金を『袋』に預ける。
『毎度。では店の出口に行くっス』
と『袋』の案内で、店の出口に向かう。
『コレっス。コレが基本的に会計の窓口になるっス』
入る時は素通りしていたので気付かなかったが、出入り口のところにはカウンターがあり、そこの上に、小さな『袋』がちょこんと座っていた。
『ども、『小袋』っス』
「え? 何コレ? 凄い可愛いんだけど」
カウンターの上の『小袋』を見て、メーヴェは目を丸くする。
その名の通り、『小袋』は『袋』を小さくした何かで、袋をすっぽりと被った上に体に対して大きな袋を持っている。
『さっき預かったアネさんの所持金を、我ら『袋ネットワーク』でこの『小袋』に送金したっス。これで会計完了っス。完全キャッシュレスっスよ』
自慢げに『袋』は言うが、これは街では無かったシステムである。
……これはかなり便利ね。ひょっとして街より魔窟の方が色々と優れているのかも。いやいや、これは文化の違いよ。野蛮な連中が多いから生まれた効率化であって、街の方が劣っていると言う訳ではないわ。
誰に言うでもなく、メーヴェはひたすら心の中で言い訳していた。