第十一話 先生とメーヴェ
「うひゃあ!」
声の方を見てメーヴェは悲鳴を上げて、『袋』と魔物の子供を抱き寄せる。
『ぎゃーッス! な、なんスか?』
「うっふっふー、いいリアクションいただきましたー。コレが楽しくてマスターやってるものだからねー」
凄く楽しそうに話すのは女性の声なのだが、その声を発していると思われるのは、奇妙な半透明の骸骨だった。
半透明の骸骨と言うだけでも十分過ぎるほど奇妙なのだが、何がどうしてそうなったのか理由が必要なくらい奇妙な格好をしていたのである。
その半透明な骸骨は、メイド服の様な服とカチューシャまで付けていた。
「先生、初心者を驚かせちゃダメよー」
異形剣も楽しそうに言う。
「コレが楽しみなのよー」
異形の二体が凄く楽しそうだ。
「え? 何? ソル、復帰?」
「まぁ、そう言う事になりそうだな」
半透明の骸骨に対し、ソルは浮かない顔のまま言う。
と言うより、ソルの表情で明るい笑顔など見たことが無い気がする。
「ふーん、こんな若い子連れちゃってー」
「ひぃ!」
半透明の骸骨が近付いてきたので、メーヴェは引きつった悲鳴を上げてより強く『袋』と魔物の子供を抱き寄せる。
『うぎゃーッス! キツイ! キツイッス! 中身が出るッス!』
余りにメーヴェが強く『袋』を抱きしめたので、『袋』はメーヴェの腕をタップしながらメーヴェとは違う悲鳴を上げる。
「あら、凄く珍しいモノを見てる気がするわね。ソル、この子、どうしたの?」
半透明の骸骨がメーヴェから離れて、ソルの方に移動する。
危害を加えるつもりは無いみたいだが、何よりも見た目が怖い。
「どうしたと言われると、押し付けられたから攫って来たとしか言いようが無いんだが」
「この子、凄い子じゃないの?」
半透明の骸骨はメーヴェを見ながら言う。
「だって、『袋』がここまで懐くところなんて、滅多に見られないわよ? この子、何年も魔窟探索していたわけじゃないんでしょ?」
「今日が初のはずだが」
『初じゃ無いッスよ! 前に一回会ってるッス!』
何故か『袋』が主張するが、それは少し前にメーヴェが魔窟に入った時に『袋』がメーヴェのローブを引っ張った時の事らしい。
もっとも、その時のメーヴェは『袋』の存在を確認する前に逃げ出しているので、メーヴェとしては初対面である。
「で、この懐き方? 相当特殊な能力の持ち主みたいね」
先生と呼ばれる半透明の骸骨メイドは興味津々と言った感じで、メーヴェを見ている。
と言っても目が無いので、見ている様な気がする。
「でも、なんでこんな子供連れてるの?」
「成り行きとしか言えないな」
「攫って来たって言ってたけど、街から誘拐してきたの?」
「まぁ、そうなるかな」
先生は冗談で言ったみたいだったが、ソルは真面目に答える。
「そうなるかなって、なったらダメでしょ?」
「成り行きとしか言えないな」
ソルの言っている事は事実なのだが、言葉足らずな事この上ない。
誘拐と言えばつい先ほどそうなったのだが、一応メーヴェの方から身を寄せているところがあるので、どちらかといえば保護してもらっていると言った方が正しいかもしれない。
が、このあまりに素っ気無い態度を見る限りでは、ひょっとすると誘拐犯の方が良い扱いをしてくれたかも知れない、とメーヴェは思ったりもする。
「んー、街も色々あったみたいねー。最近、貴族の方々がどんどん流れ込んでくるし」
「迷惑か?」
「とんでもない。毎日楽しませてもらってるわよー」
本当に楽しそうに先生は言うが、つまりここへ来たモノはこの洗礼を受けなければならないと言う事だろう。
何とも悪趣味で迷惑な話である。
「ソルと一緒なら初心者でも安心かー。私の手間は省けるけど、ちょっと残念ねー。それがあるから『先生』なのに」
「俺の手間が省けるから、先生の方がら説明してくれ」
「はーい」
先生は手を上げて答えると、メーヴェの方を見る。
こちらに敵意が無い事はわかるし、朗らかな明るい柔らかな人格である事は分かるのだが、何より見た目が怖い。
それさえなければ付き合いやすそうな先生なのだが、近づかれると凄く怖い。
「初心者と言う事込みで、まず聞きたい事があると思うけど」
先生はメーヴェに向かって言う。
魔窟初心者のメーヴェにとって聞きたい事と言われても、何を聞いていいのかも分からないくらいで、一から説明してもらわないと困る。
出来れば、ちょっと距離を取って話して欲しい。
「私が何故こんな可愛い格好をしているのかと言うとね」
それは心底どうでもいい。
確かに服は可愛いと思うのだが、それを着ているのが半透明の骸骨とあっては魅力半減どころか九割減である。
「あ、それ気になったー」
異形剣が食いつく。
「でしょ? ほら、私ってお堅いイメージがあるでしょー? 受付の子が人気だから、ちょっと取り入れようと思ったのよ」
先生は嬉しそうに言うが、その計画は何ら功を奏していない。
例えば私みたいな美少女が着れば良いと思うけど、骸骨は無いな。
と、メーヴェは思う。
「初心者のお嬢さんには組合に……」
「先生、そいつは訳有りだから組合には所属させたくない。そこは融通を利かせてくれ」
「あ、そっか。誘拐してきたんだっけ?」
ソルの言葉に、先生は手を打つ。
それで融通がつくのかと思うが、自分でお堅いイメージと言いながら先生は恐ろしく柔軟らしい。
「でも、それだとポタールとか使えないけど、大丈夫?」
「ああ、足跡を辿られたくないからな」
「はーい、了解しましたー。だとすると、別に説明する事ないなー。つまんなーい! ソル、ちょっと遊んでよ」
先生はダダをこね始めるが、やはり可愛くはない。
と言うより骸骨がメイド服でダダをこねる姿は、怖いと言うより不可解で気持ち悪い。
「ソルくらいになったら、面白アイテムもいっぱい持ってるんでしょ? ちょっと見せてよ」
そこには物凄く興味がある。
先生、もっと押して。
メーヴェは心の中で先生を応援する。
「ここでか?」
「うーん、さすがに路上だしねー。それに、外って雨なの? けっこうずぶ濡れだけど」
そう言われるとそうだった。
つい先ほどはその事を気にしていはずだったのだが、いつの間にかその事が気にならなくなっていた。
そこを気にすると、色々と奇妙な事に気付く。
ずぶ濡れの服が張り付いている事や水分を十分すぎるほどに含んだ服など、気にならないはずはないのだが、言われるまで意識から消えていた。
それどころではなかった、と言えなくもない。
ここまで走り通しだった上に極度の緊張状態が続いた割に、あまり疲れを感じていなかった。
そこまで体力に自信があるとは言えないメーヴェには、ちょっと考えられない事だった。
と、意識したせいか、いきなりずっしりと重りを乗せられた様に疲労感と、腹痛さえ伴うくらいの空腹が一緒にメーヴェに襲いかかってきた。
「ん? どうしたの? 表情が曇ってるけど?」
それに気付いた先生が、メーヴェの顔を覗き込んでくる。
「ひぃっ!」
近づかれるとやっぱり怖い。
こちらに害意が無い事は分かっているのだが、なにしろ見た目が骸骨である。
もう少し見慣れない事には、恐怖の方が勝ってしまう。
出来る事なら、ある程度距離を取ってもらいたい。
「先生、あんまり驚かせたらダメよ?」
と異形剣が先生に言う。
「先生があんまり驚かせたら、耐性が付いちゃって私が驚かせられなくなっちゃうでしょ?」
「だって、可愛いモンだからつい……」
「で、このまま立ち話でも続けるか? 俺は飯に行かせてもらうが」
ソルはそう言うと一人ですたすたと歩き始める。
それだとソルの持ち物を鑑賞出来なくなるのだが、とは言え食事が取れるのは非常にありがたい。
見るからに食事の必要なさそうな先生や異形剣はブツブツと文句を言っていたが、持ち主の許可が無い限り見せられないし、なにより本人の意向が示されてしまっては少なくとも異形剣にはどうする事も出来ない。
先生は諦めきれないのかソルを口説いているが、ソルは面倒そうに手で払っている。
後ろから見るとソルとメイドが並んで歩いている様に見えるかと思ったが、服はメイド服なのだが先生の後頭部が半透明な骸骨なので、ただ奇妙なだけだった。
「ねえ、ちょっとだけ見せてもらったり出来ないの?」
『いやー、さすがに無理ッスねー。見せたいッスよ? そりゃ、アネさんには見せたいッスけど、こればっかりはこっちの勝手にはいかないんスよねー』
メーヴェは自分に懐いている『袋』に交渉してみたが、そこはルールがあると言う事で『袋』も譲れないところらしい。
非常にわかりにくいのだが『袋』には独自のルールがあるらしく、それは『袋』の存在に関わる事なので破る事は出来ないと言う事だった。
魔窟の食堂と言うのはどういう物かと興味があったが、別に街の大衆食堂と大差無かった。
メーヴェは学友と一、二度程度しか入った事は無かったが、あまり落ち着いて食事を楽しむと言う雰囲気では無かった事を覚えている。
ここはさらに騒がしく、多くの魔窟探索者が騒ぎながら食事している。
魔窟探索者、と言うより山賊や盗賊集団に見えなくもないので、メーヴェは反射的にフードを目深に被って顔を隠す。
魔物の子供もメーヴェの後ろに隠れ、さっきまで手を繋いでいたはずの『袋』もいなくなっている。
食事をしている面々はメイド服の先生を見ても特に何か言って来たり驚いたりする様子も無く、こちらにはほとんど興味を示さない。
こうなると慌てて顔を隠した自分が、凄く自意識過剰に思えてちょっと恥ずかしくなる。
とは言え、先に街の者が来てメーヴェを探しているとも考えられるので、やはり顔は隠しておく。
魔窟に入る前の事を思い出すと、恐怖で寒気すらするくらいだ。
「いらっしゃ……、あ、先生」
こちらに来た店員は、幼さの残る少女だった。
「席、空いてる?」
「空いてますよぉ。お連れ様は?」
「二人と一匹と一本ね」
「分かりましたぁ」
……分かったの? 今ので?
先生と店員の少女のやり取りを聞いて、メーヴェは不思議に思う。
魔窟の食堂では一般的な事なのだろうか。
店員に案内されたのは、一応の仕切りで個室感を出している区画だった。
秘密の話には向かないにしても、誰がいるのか他の客からは見えない様になっている。
「フリーの探索者と、パーティーを組んでいる探索者の区別みたいなモノよ」
そう言ったのは異形剣だった。
この食堂が探索者の集う場所の一つである以上、他の探索者との情報交換の場としても扱われやすい。
一方で食事くらいゆっくり楽しみたいとも思うので、こう言うふうな区切りを作っていると言う。
「それじゃ、注文が決まりましたらそこの呼び鈴を押して呼んでくださいね」
「注文?」
去ろうとする店員を、ソルが呼び止める。
「はい。そこにメニューがありますので、その中から選んで下さい」
にこやかに答える店員に、ソルは眉を寄せる。
「どうかしたの?」
ソルの反応に、メーヴェは首を傾げる。
そりゃ食堂なのでメニューくらいあるだろう。ソルは貧乏、と言う訳では無さそうだが、自炊派だったのでこういうところに詳しくないのかな?
「メニュー? そんなに食物の種類があるのか? 四層を押さえたとか?」
ソルは先生に尋ねる。
「あ、そうか。ソルは十年以上ここから離れてたからねー。食糧事情は大幅に緩和されたわよー。四層を押さえた訳じゃ無いけど、教団が色々頑張ってくれてるからー。食生活に関して言えば、多分街と遜色ないと思うわよー。私、街知らないけどー」
まぁ、確かに先生は街の事は知らないでしょうね。こんなのが街に出たら、それこそ大パニックだわ。
と、心の中でメーヴェは思う。
とは言え先生が言う様に、メニューを見る限りでは街と大差ないだろう。
街との違いがあるとすれば、値段設定が若干お高めになっているくらいだ。
「まぁ、食えるなら何でもいいか」
だが、ソルはそんな事を言う。
この男にはその程度の認識なのだろう。
色々と言ってやりたい事もあるのだが、取り敢えずお腹がすいているのでまずはそちらを優先する事にした。
「取り敢えず、何か適当でいいか」
「え?」
ソルはすぐに店員を呼ぼうとするので、メーヴェは驚く。
「待って、私まだ決まってないし!」
「あ? 何でもいいだろ、腹に入れば」
「うわー、デリカシーないわー」
問答無用なソルに対し、先生は呆れ気味に言う。
「でも、今日のオススメは本当にオススメだから、まずはそれで良いかもねー」
「うーん、じゃ、それで」
メーヴェが先生に従ってそう言うと、『袋』が呼び鈴を押す。
「あっ! 私が押したかったのに!」
メーヴェも狙っていたのだが、『袋』に先を越されてしまった。
『え? マジっスか? で、でも、『袋』がこんなところに来るのも珍しいから、一回やってみたかったっス。今、一生の念願だったあの呼び鈴を押す事が出来たっスから、それで大目に見て欲しいっス』
と、『袋』に哀願されてはメーヴェも怒る事は出来ない。
さすがにそこまでして譲れないモノでは無かったと言うのもある。
「……魔窟も変わったもんだな」
そんな様子を見て、ソルはポツリと呟いた。