第九話 蛮勇の代償
「あら、お土産があるなんて珍しい」
そんな女性の声で、シオンは目を覚ました。
「あ、気付いたみたいよ?」
シオンを覗き見る様に、白銀の仮面を被った女性がいた。
驚く程艶やかな雰囲気を持つ女性で、青みを帯びた黒く長い髪。その蠱惑的な肢体を包む真紅のドレスは極端に深いスリットが入っている。
また生地も薄く、赤い薄布を体に巻きつけているだけか、あるいは体を赤く塗っているだけなのかと思えるほど体の線がはっきりと出ている。
それは艶やかや蠱惑的と言うより、卑猥とさえ言えるほどだった。
「こ、ここは? 貴女達は何者? この私を誰だか分かっての狼藉なの? 今すぐ放しなさい! 全て貴女達の為に言ってやっているのよ!」
シオンは目の前の赤いドレスの女にまくし立てる。
二本角やゴブリン達はあからさまに魔物だったが、赤いドレスの女はそんな魔物の雰囲気は無く、ただただいやらしい卑猥な女であった事がシオンの気を大きくした。
そのシオンに対し、赤いドレスの女は小首を傾げる。
「あら、どこのとちらさまかしら? 失礼だけど私の記憶にはないわね? どこかでお会いしたかしら?」
「この私を知らないと言うの?」
シオンは驚く様に言うが、赤いドレスの女は肩を竦める。
「この私、ローデ家のシオンを知らないなんて、どう言う育ちしてるの」
「ごめんなさいね。育ちが悪いもので……って、ローデ家? ローデ家って、あの大貴族、両翼のローデ家?」
赤いドレスの女が驚いているのを見て、シオンは囚われていると言う立場も忘れるくらいに勝ち誇る。
「そうよ! ローデ家を敵に回したくないのであれば、今すぐ私を解放しなさい! そうすれば今回の事だけは見逃してあげるわ!」
シオンは相手がローデ家の脅威を知っているとわかって、完全に立場が逆転したと信じていた。
が、相手の反応はシオンが期待したものでは無かった。
赤いドレスの女は、高らかと笑いだしたのである。
「あっはっは! まさかローデ家の者が手元に来るなんて! こんな形で転がり込んでくるとは思わなかったけど、私の目的の一つが達成出来そうね」
「な、何を……」
「私ねぇ、ローデ家の連中に住むところを追われたのよぉ。ちょっとお姉さんの生い立ちを聞いてくれる? ローデ家のお嬢さん」
赤いドレスの女は明るくシオンに話しかける。
が、その言葉には狂気がにじみ出ているのは感じ取る事が出来た。
だが、シオンは大貴族の令嬢であり、嫉妬や羨望だけではなくそれらの狂気の目にも曝されて来た経験がある。
他の貴族の娘達や、天然培養で少なからず足りないところのあるメーヴェなどなら泣き出すかも知れないが、シオンは赤いドレスの女を真っ向から睨みつける。
「まぁ、今更言うまでもないとは思うけど、私も貧民窟の生まれでね。そこはさほど珍しくもないでしょう?」
赤いドレスの女は言う。
魔窟探索と言えば聞こえはいいものの、実際には街に住む事の出来ない者達が流れ着いた場所と言うだけである。
そう考えれば、この赤いドレスの女が貧民窟の出身である事は大して驚くような事ではない。
「でも、なんでこんなところに入る必要になったのか。そこにちゃんとローデ家の出番があるから、安心してね」
赤いドレスの女は笑いながら言う。
「人間狩を知らないとは言わせないわよ?」
街と言われる領地には約百万人が生活しているが、そこには貴族制度があり、当然貧富の差は存在する。
街の高所が貴族の住む富豪層であるのに対し、街の外側に向かい低所に行くほど貧しい者達が集まる貧民街となり、その外には魔窟の影響が強く出始める貧民窟となり、さらに外には人はもちろん生物が生きる事を許さない死界が広がっている。
それは街の住人の上限が決まっていると言う事にほかならず、街の住人分以上の食料の余裕は無く、貧民街まではもちろん、貧民窟の住人には人権は存在しない。
それどころか貧民窟の住人は魔窟の影響を受けているとして、街では人と言うより魔物や害獣としての見方をする貴族もいた。
そこで行われるのが『人間狩』である。
本来であれば当然許される事の無い非道。
だが、そこに無理筋とはいえ通す大義が存在した。
魔窟から溢れ出す脅威、魔物の存在である。
とはいえ、単純な戦力で言うのであれば魔窟から溢れ出る魔物は低層の魔物であり、討伐自体はさほど大した問題にならない。
が、問題はそこではない。
溢れ出す魔物の中でもゴブリンと呼ばれる小物がもっとも多い種なのだが、この種は非常に強い繁殖力があり、恐ろしい事に異種姦による交配さえも可能な生体なのである。
貧民窟の住民は街に住む者達と違って、最低限の装備も持っていない事もあり、魔物に襲われた際の対処が遅れる事が多い。
それによってゴブリンが増える事も問題なのだが、街にとって深刻な問題に直結するのが食料問題である。
ゴブリンの数が増えた場合、畑や家畜に被害が出るのだが、そのダメージはゴブリンに直接襲われるより大きな問題に発展する。
貴族による『人間狩り』は、魔窟から溢れた魔物の拠点と『思われる』場所を洗浄すると言う大義名分によって行われるのだ。
もちろん街の住人もそれは無理筋である事は理解しているが、自分達に降りかかってくるかもしれない災厄を他の誰かが肩代わりしてくれるのであれば、そこに目を瞑る事が出来る。
街の住民にとって公然の秘密ながら、貴族達は自分達の正義を疑っていない。
また、改善される見込みの無い食糧問題を抱えている以上、目を背ける事の出来る名分を持った口減らしは必要悪として街では黙認されていると言う側面もある。
それがローデほどの大貴族であり、生まれながらにしてその正義を刷り込まれてきたシオンにとって、それは街のため必要な、むしろ誇れる事であった。
それだけに赤いドレスの女の恨みが、まったく理解出来ていない様に首を傾げる。
「それがどうかしたの?」
「うん、それでこそ貴族。むしろそれくらいあって欲しいわよ」
シオンの態度に、赤いドレスの女は満足そうに頷く。
「よう、いつまで話が続くんだ?」
赤いドレスの女と二本角の他、もう一体この部屋にいた。
その者はかなり大柄な体型で、座っていても赤いドレスの女より大きく見える。
ソレは一目みて人では無いと分かる存在。
二本角も人ではない特徴ではあるものの、その角以外では人の特徴を留めている。
だが、ソレは違う。
大柄な体格のソレは背中からも二本の腕が生え、その頭部は獰猛さを伺わせる山羊の様な頭で、被り物かと思うほどである。
「んー? もう話す事は無いわよ。貴方にあげるから好きにしちゃって」
「ほう、久し振りの新人というわけか」
山羊頭は舌舐りしながら、シオンに近づいて来る。
「な、何よ! 何のつもり? この私に触れたら、命は無いわよ!」
「その辺の言葉は、末端の探索者と変わらないものだな」
山羊頭は、頭部が山羊の割に人と同じ声帯を持っているらしく、流暢な言葉で話す。
「そいつらと会わせれば喜ぶわよ、きっと」
赤いドレスの女はすでにシオンに興味を失ったのか、手をひらひらさせる。
「とはいえ、どうにも潮目が変わったみたいね。そろそろここを離れるべきでしょうね」
「あぁ? それじゃルイはどうなる? アレは俺のモノだっていってただろう?」
山羊頭は赤いドレスの女に凄む。
「んー、じゃ、次来た時にとっ捕まえれば? でも、どうにも嫌な感じなのよね。何か思いあたる事ある?」
「そう言えば、別種がいたな」
二本角は腕を組んで言う。
「はっきりとソレを見たわけではないが、そういう気配を感じた」
「ま、それは無くもないでしょうけど、来たばかりのヤツが貴方の相手が務まるとは思えないし、その程度であればゴートの方でどうにかなるでしょうね。それじゃ特に心配ないかな?」
「なら心配ないな」
ゴートと呼ばれた山羊頭は、シオンを軽々と担ぎ上げる。
「や、やめなさい! 離して! わ、私に何かするつもりなら、舌を噛んで死んでやるから!」
「あー、それはオススメしないわね」
必死に喚くシオンに対し、赤いドレスの女が言う。
「舌を噛んで死ぬって、どうなるかわかってる?」
「え? そ、それは、舌を噛んで……」
「うんうん。舌を噛んで死のうとしたら、その舌が喉を塞いで窒息するのよ。苦しいわよぉ? 舌を噛んだだけで即死するわけじゃなくて、息が止まってけっこう長いこと苦しんで死ぬわけだから、相当キツいわよ」
「だ、だから何よ! 私は貴族の娘! 穢されるくらいなら、死を選ぶわ!」
「ま、試してみるのは良いけどね。思う存分苦しんでもらって。でもね、助ける方法もあるのよ? こう、顎の下をえぐって、喉を塞いでいる舌を根元から引っ張って喉を開いてやるの。そうすると無理矢理にでも助けられるってわけよ。ね、舌を噛むのはオススメしないでしょ? ちょーっと見た目は悪くなるけど」
「と、と、とにかく、私に触らないで!」
シオンはわめき散らすが、山羊頭、ゴートは目を細めてシオンを見る。
「暴れろ暴れろ。今のうちだけだからな」
「あ、ちょい待ち」
赤いドレスの女はゴートを呼び止める。
「さっきは好きにしていいって言ったけど、幾つか条件があるわよ」
「あぁ?」
「一つ、絶対に殺したらダメよ? 生きていてこそ役に立つんだし、あんた達ってば念押しとかないと好き勝手しちゃうからね。絶対殺したらダメよ」
「ああ、分かったよ。それは守る。他は?」
「具体的にソレにナニしたか、詳細に記録しておいて」
赤いドレスの女の言葉に、ゴートは首を傾げる。
「あぁ? 何の為に?」
「その女がどれだけ可哀想なメにあったのか、助けに来た仲間達にも知らせてやらないと。仲間達も気になってるでしょうから、それも教えてやった方が良いと思っただけよ。私ってやさしー」
「よくわからないが、まぁ、そうしておこう」
ゴートはそう言うと、大暴れして騒ぐシオンを担いだまま別の部屋に行く。
「……他に何かあったんでしょう? ジークフリート」
「一人、何か得体の知れない存在が混ざっていた」
「得体の知れない? 別種のヤツじゃなくて?」
「いや、ソレではない。見るからに何か違う存在だった。人の姿はしていたが、何かを人の中に閉じ込めた様な異質な者だった」
二本角、ジークフリートは淡々と言う。
「貴方にそこまで言わせる様なヤツがいるとはね。とてもゴートの手に負える様なヤツじゃ無いわ。ルイちゃんも、ようやくそういう仲間を見つけたって事か。基本的に一層って初心者の集まりだけど、時々中層より深いところ回ってる様なヤツも戻ってきたりするからね。私とジークならともかく、ゴートじゃ手に余るかも」
「いや、そういう次元の話ではない。アレは異質だった。勝てないとは言わないが、おそらく手を出すべきではない何かだ」
「そこまで言われると気になるわね」
「こちらも気になる事がある。殺すなと言うのは分かるが、詳細の記録とはどう言うつもりだ? ゴートとゴブリンに払い下げると言う事は、あの娘は陵辱の限りを尽くされる事だろう。その記録を取る事で何になると言うのだ?」
「ま、貴方には不思議でしょうね」
ジークフリートの言葉に、赤いドレスの女は苦笑いする。
「どうやら私の行動原理は怒りや恨みみたいで、貴族に対しても割り切れていたと思ってたけど、そうでもないみたい」
赤いドレスの女は肩をすくめる。
「ならば君の手で八つ裂きにするのを選ぶのでは無いのか?」
「人の悪意の陰湿さと根深さは、魔物のソレをはるかに凌駕するものなの。陵辱の記録も、ただの文字の羅列に過ぎないんだけど、それを好奇の目と何も責任を負わない良識を持ち合わせた者が手に入れると、壊れた人間をさらに徹底的に破壊してくれるのよ。それはただ殺されるより圧倒的に苦痛を与える方法でもあるから」
「分からないな」
ジークフリートは首を傾げている。
「人の本当の敵は人って事よ」