第五話 実戦
鼻息の粗さと高まり過ぎた戦意は別の種類の不安をアルフレッドに感じさせていたのだが、それも拠点を出るまでだった。
魔窟入口から拠点に入る時には道なりに進んでいただけで大きな町に入った様な感じだったが、拠点から魔窟へ向かう方の出口には大きな門と壁があり、見るからに魔窟へ向かう門と言う見た目にも精神的にも重厚な威圧感があった。
あからさまに『ここから先の安全は保証しません』と言うのがわかる門を出ると言う事に、ランドルフとトーマスの爆アゲだったテンションも一気に冷めていくのが目に見えてわかる。
が、それでもあの受付嬢にいいとこ見せようと言う事だけは失われていないらしく、ランドルフは先頭に立って門の外に向かう。
巨大な壁と強固な門ではあるが、それは解放されている。
一応門番らしい人物も二人立ってはいるが、もし何かあったら先生が飛んでくると言う安心感からか、まったくやる気も無さそうだった。
それでも一応拠点から出て行く者に目は向けてくる。
頼りになるやらならないやらだが、意識はやる気のない門番達から薄暗いながらも視界が確保されている魔窟の方へ向けられる。
「行くぞ」
緊張した面持ちでランドルフは呟くと先頭に立って、拠点から出る。
そのままランドルフだけを行かせるのも面白そうだと一瞬思ったのだが、それは単純にイジメであり、アルフレッドの人間性まで疑われかねない。
ランドルフの隣にトーマス、その次にアルフレッド、後方にシオンとレミリアの女性陣と言う隊列で拠点を出る。
魔窟深くまで進んだ場合は後方からの襲撃に備える必要もあるのだが、拠点から襲撃が無いかぎり現状では後方から敵が来る事は無いのでこう言う形になった。
一層は洞窟がベースになっているらしく、通路もさほど狭いと言う訳ではないものの圧迫感があり、何より光源は見当たらないものの薄暗くも視界が確保されているのが有り難くも不気味である。
時間が経つにつれて面白いくらいにランドルフ達のテンションがダダ下がりになるのが見て取れるが、それが完全にゼロになる前に目的のゴブリンを見つける事が出来た。
身長はさほど高くなく、人間の子供と同じくらいの身長と体型。上半身は裸で、その手には粗末な短剣やどこから拾ってきたのか太目の枝の様な木の棒を持っている者もいる。
アルフレッドが予想した通りの姿で、ちょっとホッとする。
しかし、その数は六体と少なくない。
「よし! アレを退治して戻ろう!」
テンションダダ下がり真っ最中だったランドルフだが、ターゲットを見つけるとあの受付嬢の笑顔が思い浮かんだのだろう。
いきなり剣を抜くと斬りかかる。
「うおおおおおおお!」
不意打ちだったのだが、雄叫びや気合いの割にその斬撃はへっぴり腰だったせいで、一刀の元に切り伏せると言うわけにはいかなかった。
六体の醜い小鬼達は喚き散らし、ランドルフの方を睨みつけてくる。
そこに遅れてトーマスも斬りかかる。
が、トーマスはランドルフ以上のへっぽこぶりで、そもそも当てる事さえ出来ていない。
威勢は良かったが、どうやら二人とも実戦経験は無かったらしい。
トーマスが参戦した事によって、ゴブリンはアルフレッド達の方に気付く。
攻撃を受けた手負いだけでなく、さらに二匹がランドルフとトーマスを相手に、残る三匹はアルフレッド達の方へ襲いかかってきた。
それを見てアルフレッドは剣を構え、気付いた事がある。
めちゃくちゃ隙だらけだ。もしかして、物凄く弱い?
初めての実戦で不安はあったが、先の二人が予想以上のへなちょこ振りを見せてくれたせいか、気が楽になったのかもしれない。
体型的にも小学生程度に見えるし、先頭のヤツの得物が短剣ではなく太目の枝だった事もアルフレッドの気を大きくさせる作用があった。
アルフレッドは先頭のゴブリンの太ももに、渾身のローキックを走らせる。
十分な手応えと衝撃音。
ゴブリンはうめき声を上げると足を止めて、棒立ちになる。
足を抑えるゴブリンは隙だらけで、アルフレッドは狙いすました剣擊でその細い喉を切り裂く。
一匹目を倒すと、すぐにアルフレッドは二匹目の方に切り込む。
それに恐れたのか、二匹目の短剣を持つゴブリンが体を強ばらせる。
その隙は、実際にはひと呼吸程度の瞬間だっただろう。
だが、今のアルフレッドにはそれで十分だった。
上半身裸、と言うより腰ミノ程度しか身に付けていないゴブリンの防御力は皆無と言っても良い。
アルフレッドの剣は、その無防備な腹を一閃した。
さすがに『武のソムリンド』の家にあった剣である。その切れ味は十分過ぎるほどだったし、アルフレッド自身が自分の思っていた以上の身体能力の高さに驚いていた。
体育の授業で自分のスペックの高さは実感していたが、ここまで自分のイメージ通り体を動かせると、まったく負ける気がしない。
そのまま三体目に斬りかかっていれば、間違いなく簡単に終わっていたはずだった。
だが、アルフレッドの目は最初に切ったゴブリンを視界に収めてしまった。
喉を裂いた一匹目は、鮮血溢れる喉を両手で押さえているが致命傷である傷はそれでどうにかなる訳でもなく、ゴブリンは仰向けに倒れる。
急激な大量出血による出血性ショックで、ゴブリンは倒れた後に悶え痙攣していた。
それが目に入った時から、アルフレッドの動きが止まった。
アレは、俺がやったのか?
魔物なのだし、それは別に責められる様な事ではない。
街でもごく一般的に行われている事であり、魔窟でも日常の事らしい。
ギルドの入会試験の様なモノとして簡単に言われた事を考えても、これは別に何ら責められる事ではなく、むしろ褒められる事なのだ。
と、自分に言い聞かせてみるものの、全体的なシルエットは人間の子供に見えてしまうゴブリンの死体は、アルフレッドの胸を内側から握りつぶそうとするほど締め付けてくる。
アルフレッドは無意識の内に、自分が切った二匹目を目で追っていた。
そちらも一目でわかる致命傷であり、ゴブリンは切り裂かれた腹を押さえているが、そこから溢れる臓器が視界に入ってくる。
戦士として見た場合、それは素晴らしい戦果だったと言えるだろう。
初の実戦で、剣を二度振っただけで二体のゴブリンを倒したのだから賞賛されても良い。
そうやって自分の行動を正当化しようと必死のアルフレッドだが、手足に力が入らず、体中が痙攣しているかのように震え、動くことが出来なかった。
仲間を一瞬で二人も切られたゴブリンはアルフレッドに恐怖を覚えていたが、アルフレッドの異変を察知したらしく、歯をむき出しにして襲いかかってくる。
やはり隙だらけである。
喉も胸も腹も、好きなところを切る事が出来そうだった。
が、動けない。
アルフレッドが切ったのはあくまでも魔物であり、話し合いの通じる相手でもないので、その命を奪う他に身を守る手段は無い様な相手である。
今襲いかかってくるモノも同様で、ここで切らなければシオンやレミリアにも危害が及ぶ。
が、動けない。
目の前の惨状が、アルフレッドの気力を霧散させていた。
かろうじてゴブリンの短剣を自分の長剣で防ぐ事は出来たが、それはまったくの偶然によるもので、まったく力の感じられない一撃であったにも関わらずアルフレッドは立っていられなくなり、腰を抜かした様にその場にへたり込んでしまった。
「お兄様!」
異変に気付いたレミリアがすぐに援護しようとするが、それより早くシオンが動いた。
強烈な衝撃波じみた突風が、アルフレッドを襲っていたゴブリンの頭を撃ち抜く。
ピンポイントで頭を打ち抜かれた衝撃をゴブリンの細くて脆い首で耐える事は出来ず、首は折れ、喉が裂けて三匹目はそのまま後方へ転がされていく。
「ふん、最初だけだったわね。情けない」
腰を抜かしたアルフレッドを見下し、吐き捨てる様にシオンは言う。
だが、腹も立たない。
腰を抜かした状態のアルフレッドは、呆然と惨状を見る事しか出来なかった。
「お兄様」
レミリアがすぐ近くに来て、アルフレッドを心配そうに覗き込んでくる。
「情けないわね。妹にまで心配されるなんて。『武のソムリンド』なんて言われても、所詮貴方は三男。マクドネル様やオスカー様と比べて、その名を名乗る器では無いと言う事よ」
シオンはそんな暴言を吐く。
そんな暴君に抗議する様に、レミリアはじっとシオンの方を見る。
「な、何よ。何か文句でもあるの?」
無言の迫力に押されながら、それでもシオンはレミリアに対して強がって見せる。
「アルフレッド。腰を抜かすとは情けない限りだな」
向こうも戦闘が終わったのか、ランドルフが勝ち誇った顔でやって来る。
「この程度に手こずっているあんた達が偉そうには言えないわよ」
シオンはランドルフ達にも厳しい。
「い、いや、シオンさん。俺とトーマスで一匹ずつは倒しましたから」
「そうですよ。俺達はアルフレッドみたいに腰抜かしてないですよ」
ランドルフとトーマスは抗議する。
「アルフは二体倒したわよ。それも一撃で」
ランドルフとトーマスは自分達の事で手一杯だったので見ていなかったので、アルフレッドは戦う事が出来ずに腰を抜かしたのだと思い込んでいた。
それもあって勝ち誇っていたのだが、シオンの言葉に目を丸くして驚いている。
「まぁ、何にしろゴブリン五匹退治は成功したみたいね」
「一匹には逃げられましたけど、五匹は倒しましたからね」
シオンの言葉に、ランドルフは大げさに相槌を打つ。
「でも、これでギルド会員にはなれたわけで。出だしとしては上々じゃないですか」
ランドルフに同調するようにトーマスも大げさに言うが、シオンから睨まれる。
「この程度の魔物で浮かれないで。まったく、こんな事では街を不当に占領した連中から解放する事が出来ると思っているの? 私達の目的はこの程度の魔物を倒す事でも、ギルドに加入する事でもなく、街を正しくあるべき姿に戻すと言う事なのよ? それを忘れないで!」
浮かれる二人に対し、シオンはキツく言い放つ。
「アルフもよ。最初は良かったけど、その程度では私の役には立たないわよ。私に認められたかったら、もっとしゃんとしなさい」
シオンは不機嫌を隠そうともせず、冷たい目をアルフレッドに向ける。
だが、それらの言葉もアルフレッドの耳には入ってこない。
まだゴブリンの死骸はそこらに転がっているのである。
喉を裂かれ、腹を切られ、首を折られた、パッと見には人間の子供に見えなくもない無残な死骸。
何故こいつらは平然としていられる? これが日常の、あるべき光景だとでも?
アルフレッドはこれまでにも感じた事はあったが、今改めて強烈に意識させられた。
ここは異世界であり、自分の知っている常識が通用しないと言う事を。




