第一話 ソムリンド家没落
アルフレッドをはじめ、ソムリンド家の面々が考えていた以上に切れ者である次男のオスカーの手は厳しかった。
英雄と呼ばれたウィルフは部外者と言う事もあって多少甘いところもあったようで、魔窟に向かう準備に若干の時間を持たせようとしてくれたが、オスカーはそれを許さなかった。
元々ソムリンド家の財産管理のほとんどをオスカーが担っていた事もあり、ソムリンド家の共有財産もオスカー個人のものとなっていたため、魔窟に向かう者それぞれに剣が一振り与えられた程度しか持ち出す事が出来なかった。
しかもそれだけではなく、ソムリンド家の現当主とアルフレッドの追放は決まっていたのだが、それに同行する者と街に残って身分を捨てて一般人になる者までは厳密に決められていなかったにも関わらず、大多数の者が魔窟への同行ではなく一般人として街に残る事を選び、ソムリンド家を見限ったのである。
その中の幾人かはオスカーの仕込みもあっただろう。
だが、それだけではなく人望の点でも現当主よりマクドネルとオスカーの方が上で、ついて行くのであれば現当主と魔窟でやり直すより、街でマクドネル達と一緒にやって行く方を選んだと言う事実は、現当主の心を折るには十分だった。
結果として現当主と第一、第二夫人、アルフレッドと言う追放の決まったメンバー以外にはアルフレッドに懐いているレミリアの他、僅か数名しか同行する者はいなかった。
一応アルフレッドの個人資産とも言える、街の奴隷商人から買い取った奴隷達もいたのだが、それもオスカーが解放の手続きを済ませたせいか同行してこなかった。
それもアルフレッドの人望の無さとも言えなくもないが、『仮面』と言う得体の知れなさが奴隷達にとっても薄気味悪さにつながっていた。
また、レミリアと言う直接的な恐怖もあって、奴隷達は解放された事を喜んで街に残る事を選んだのである。
広大な敷地の中に住んでいたのは使用人だけで百人を超える数だったのだが、その現当主に同行する者は総勢で十人前後。
当主の威勢を砕き、心を折るには十分過ぎる精神攻撃だった。
追放され、大した荷物も持てないままに魔窟へ向かう足取りは極めて重く、この短時間で当主と第一夫人は一気に十歳は老け込んだ様に見えた。
一方おっとりした楽天的な性格の第二夫人はその身分から追放を免れなかったものの、オスカーにとっては実母にあたる彼女の追放はやりすぎではないかと、マクドネルがオスカーに言ったくらいに人畜無害な人物である。
彼女に関しては見せしめの部分が大きいが、それでも彼女は受け入れていた。
「魔窟、ですか。どう言うところかアルフさんは分かりますか?」
第二夫人はアルフレッドの事を『アルフさん』と呼んでいる。
実母ではないと言う事もあるのだが、彼女は『ソムリンド家の第二夫人』と言う相当な地位にいると言う自覚が無いらしく、いつも遠慮がちだった。
ソムリンド家でレミリアの事を恐れていない、数少ない人物の一人でもある。
「俺も詳しい事はわかりませんけど、魔窟の入口すぐには大きな町の様な拠点があるらしくて、そこでの生活は街とさほど変わらないと言うのは聞いた事はあります」
「まぁ、だったらアルフさんとレミちゃんがいれば大丈夫ですね」
「あ、いや、俺はさほど」
「いえいえ、アルフさんは十分頼りになりますよ。ねえ、レミちゃん?」
現状を正しく認識していないのか、敢えて空気を読まない楽天さを全面に出しているのか、第二夫人はいつもと変わらない口調でレミリアに言う。
それに対して、レミリアも無言で頷いていた。
相変わらず巨大な芋虫型の使い魔を抱えたままである。
基本的に人に懐かないレミリアだが、アルフレッドの他にこの第二夫人だけは敵視する事もなく、特別に懐いている訳ではないものの避けていると言う訳でもない。
レミリアの場合、敵視せずに避けていないと言うだけで相当な譲歩である。
「ですがお兄様」
基本的に誰とも会話しようとしないレミリアだが、アルフレッドに対してだけは例外で話しかけてくる。
「魔窟の英雄などと名乗る輩はともかく、マクドネル、オスカーを打倒するのであれば魔窟の武具は必要になると思います。お兄様、何かプランはありますか?」
「プランも何も。俺も魔窟はほとんど入った事が無いから……」
貴族の通う学校と言うものが街にはあり、そこでもやはり家柄によっての優劣ははっきりと分かれていた。
アルフレッドや領主の娘のメーヴェなどは最上位の家柄であり、やはり学校でも生徒の模範を期待、と言うよりほぼ強制されていた。
一方底辺の者達の中には、校則で禁止されている魔窟探索を勝手に行う者もいた。
いわゆる不良扱いを受けた者達で、日頃の鬱憤を魔窟の魔物で晴らしていたと言う、誰も求めていない武勇伝を大声で話していたのを、アルフレッドが聞きたいとは思わなくても耳に入ってきた。
最低限の装備として剣を一振りだけ持ってくる事が許されたが、その剣は少なくとも街で手に入る武器の質で言えばかなり上位である。
さらにアルフレッドには『仮面』の能力もある事を考えると、たかだか不良にどうにかなる程度の魔物であれば、アルフレッドにとってもさほど恐れる様なレベルの相手ではないだろう。
もし問題があるとすれば、アルフレッドには実戦の経験が無いと言う事だった。
魔窟と言う空間は、一般的な常識が一切通用しない。
分かりやすい例として、魔窟の入口は数箇所あるのだがその入口から通ったルートからは考えられないところで一層の拠点で合流すると言うものがあった。
魔窟では時間の流れさえ一定ではないらしく、魔窟の英雄ウィルフは見た目には二十代中頃に見えるのだが、実年齢はそれより遥かに上だと言われている。
一方魔窟の空気に合わない者は短期間に老け込み、十代であっても僅かな時間で老衰死する者もいるらしい。
魔窟の入口は複数あり、直線距離でいうなら領主の館の裏手にある森側の魔窟入口がもっとも近いのだが、かなりの高低差があるので特殊なルートでも無い限り最短距離を移動する事は出来ず、結果としてかなり距離がある。
さらに魔窟から溢れ出てきた魔物やら獣やらの危険が大きいと言う事もあり、今回はそちらではなく道なりに進んだ方向にある山側の魔窟入口を目指した。
といっても、魔窟に入って少しすると結局のところ同じ拠点に行き着くらしいので、入口にはさほど大きな問題は無い。
みすぼらしいとさえ言える姿で街を追われたソムリンド家の面々だが、その姿を目撃した街の住人達から声をかけられる事もなく、またこちらからも声をかける事もせず、何故かいつもと変わらない第二夫人以外は惨めさから黙々と重い足取りで魔窟を目指した。
山側の魔窟は道なりにただ進んでいくだけで到着出来る上に、これといった障害になるものもなく、魔窟と街を結ぶ主要道路となっている。
もう一箇所、街の貧民街の近くにある沼側の入口もあるにはあるのだが、わざわざ遠い上に貧民街を通る理由も無い。
通常であれば徒歩でも短時間で到達出来る魔窟入口だが、足取りの重さのせいもあって昼頃に出たソムリンド家の面々は、夜になってようやく魔窟に到達した。
魔窟と言うところは不思議なところで、あからさまに洞窟であるにも関わらず何故か視界がはっきりしている。
目立った光源も無いのに、何故かほんのりと明るいのだ。
ソムリンド家の一行は、アルフレッドを先頭に進んでいく。
まったく未知の土地なのでアルフレッドも不安が無い訳ではなかったが、それでもここで魔物に襲われる事は少ないと予測していた。
明確な根拠としては弱いものの、魔窟の外に溢れた魔物と言うのがさほど強力な魔物で無い事と、何より転生者であるアルフレッドにとってこのシチュエーションはダンジョンものの定番中の定番である。
ダンジョンに入った直後にまったく手に負えない魔物が巣食っているのであれば、魔窟探索どころの話ではなく、すぐさま封印するべきところだろう。
それをしないどころか、街にとって魔窟探索は主要産業とも言うべき力の入れ具合である。
その状況から『ゲームを始めた途端に詰みのクソゲー』ではない、とアルフレッドは判断した。
ウィルフが指摘した通り、かつてのアルフレッドは特に何を生み出すでもなく、ただ漫然と生きてきた。
小学生の頃には優等生だった。
勉強は言うに及ばず、運動神経も悪くなく、面倒見も悪くなかったはずだった。
それがどこからかズレ始めたのだが、それがどこかは自分でもわからない。
中学、高校の時にはもう空気の様な存在になっていた。
特にイジメにあっていた訳でも、それに加担していた訳でもなく、クラスから意図的に無視されてきたと言う訳でもないはずなのだが、自分でも不思議なくらいそこに存在していてもいなくても変わらない様になっていた。
もちろんそれは大学、就職後にも続き、自分でも分からない内にそこから逸脱し、気がついたら自室に引き篭る生活を送っていた。
何故かは分からない。
自分では大した努力もしていないのに、この世界で一生懸命に生きている人々を上から見ている様なヤツが、殺したいくらい嫌いなんだ。
ウィルフはアルフレッドにそんな暴言をぶつけてきた。
努力してこなかった訳ではない、とアルフレッドは思う。
その機会が無かったのだ、と。
やればできるはずだった。小学生の頃にはそうだったのだから、本気を出すべき機会があれば自分は出来るはずだった。
それが来たのだ。
無為と思われた引き篭り時代も、ゲームや漫画に没頭して現実と向かい合わなかった日々も、無駄では無かったはずだ。
実際にソムリンド家の財力を増やすのに、アルフレッドは貢献してきたところはある。
貴族の学校で流行っていた漫画の原作者として世にヒット作を出してきた事もあり、それは多少なりともソムリンド家の収入になって来た事は間違いない。
思っていた通り、魔窟に入ってすぐに魔物が現れると言う事も無く開けた場所に出る事が出来た。
安心したところで、一つの可能性を見逃していた事に気付く。
これは所謂ダンジョンものとアルフレッドは見越して、最初の拠点までは簡単に来れると踏んだのだが、もしこれが死にゲーベースだった場合は物凄く危険だったのかもしれない。
一瞬背筋が寒くなったが、ただ運否天賦に任せた訳ではなく、自分なりに情報を整理して出した予測であり、それが正解だったのだから良しとするべきところだろう。
アルフレッドは自分にそう言い聞かせた。




